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ミックスジュース

作者: はじ

 朝の種類には、どのようなものがあるのでしょう?

 吸引する空気を美味しく感じる清々しい朝。

 昨夜のお酒が残った気鬱な朝。

 まだ眠り足りなくて布団に抱かれる朝。

 徹夜明けで意識朦朧(いしきもうろう)とした朝。

 母親に無理やり起こされて苛立つ朝。

 寝違えて首が痛い朝。

 何れの朝であろうとも、私には必ず行うことがあります。

 それは、ミックスジュースを作ることです。

 週に一度の買い物で大量購入した数々の果実たちが、今朝も白い冷蔵庫のなかで私のことを待っています。

 私はその期待に応えなければなりません。

 だから私はどれほど眠かろうと掛布団の小癪(こしゃく)な誘惑を()ぎ払い、外界との断絶を象徴するカーテンを()じ開け、ありとあらゆる負の要因を(はら)ってから神聖なるキッチンへと(おもむ)きます。

 高窓から()り込まれた朝の陽射しは大理石の壁や床で反射して、キッチンから一切の陰りを追放してくれます。

 調理台には(ちり)一つ、電気コンロには染み一つ、シンクからは水垢の気配すら排除されており、まるで聖人の霊廟(れいびょう)のような神々しさすら漂っているキッチンを、私は粛々とした気持ちを携えて進みます。

 まずは丹念に手を洗います。

 何事もこの工程から始まります。

 ホテルのフロントにある呼び鈴を鳴らすようにハンドソープの頭を二度プッシュし、口から噴出された洗浄液と、水道の蛇口から放出された水を手の平のなかで混ぜ合わせます。二種の液体は互いを希釈し合い、混淆(こんこう)し、完全に調和し合うと、新たな物質に生まれ変わります。

 私はその物質を泡と名付けます。

 泡は私の皮膚にいる常在菌を殺菌し、手垢をスポンジ状の体内に取り込みます。彼が(けが)れをその一身に背負ってくれたので、私の両手はこの場に相応しい神聖な手へと昇華されます。対して泡は汚穢(おわい)の象徴へと変容し、清潔な私の手に(すが)りついてくる憐れな貧民へと成り下がります。

 私は汚らわしい泡を水道水で洗い流し、水を止めて潔白のタオルで水気を拭います。生地から立つ洗剤の芳香は、神聖な場を盛り上げるアロマのような役割を担い、これから敢行される儀式を神々しく切り詰めていかせます。

 それは私の精神も同じです。身体から穢れを払拭していくにつれ、精神は手放された風船のように俗世から解脱(げだつ)していき、遠大な宇内を俯瞰(ふかん)する森羅万象の一部へと癒着(ゆちゃく)するのです。

 手を拭き終え、私はタオルを四つ折りにして調理台の上に乗せます。そして、頭上にある収納棚を少し背伸びして開扉します。中には陶磁器製の食器や、ピンクストンローズのティーカップとソーサーに交じって、聖水を溜めておくアスペルソリウムのような形状をした電動ミキサーが品位を持って私を見下ろしています。

 私は穢れのない両手を彼らへと伸ばします。聖域への立ち入りを許可された私の手は電動ミキサーを両脇から優しく包み込み、音もなく目線まで引き下ろして調理台に配置します。

 本体から伸びる電源プラグをコンセントに差し込んで準備を整えた私は、ふんわりと(きびす)を返し、陽射しを避けるようにして壁際に設置されている冷蔵庫へと向かいます。陰に(そび)える冷蔵庫はまるで白い棺のような外観をしていますが、その白さからは腐敗や腐乱という嫌悪の配色が一切排斥されているので、棺は現状の神聖さに背くことなく雪景色に咲くスノードロップのように淡く馴染んでいます。

 私はその白い棺を開きます。

 暖色のライトが灯り、夕暮れのように照らし出されたその中かから、牛乳パックを取り出して扉を閉じます。水際(みぎわ)の音を立てる牛乳パックを調理台に置き、次に棺から野菜室を引き出します。目下に現れたのは、寒さに息を潜めた色彩多様な果実たち。今日はどの子にしましょうか。ピアノでも弾くかのように指先で果実の表皮を叩きながら、見た目の張りや押したときの反発で食べ頃の果実を探って行きます。

 果実の鍵盤が鳴らす音律を採譜し、徐々に音曲を成していくその譜面から今朝の気分に打って付けのレシピを作り終えた私は、目的の果実を次々と取り出して、ミキサーの横へと整列させていきます。


「さぁ、始めましょう」


 声を掛けてから、私は作業を始めます。

 列の先頭にいる心臓のように真赤なリンゴを手に取って、銀色のナイフで丁寧に皮を剥いてから一口大に切り分け、ばらばらとミキサーの中に放り込みます。

 次に私が選んだのは、肺臓のように粒が寄り集まったブドウの房です。赤紫色の房をほぐし、皮から飛び出したエメラルドの実をぷちぷちと小気味よくミキサーへ飛ばしていきます。

 続いて、眼球ほどの大きさがあるアメリカンチェリー。視神経のように実から飛び出した茎を引き抜いてからミキサーへ入れます。

 ここで一度、ミキサーに(ふた)をして始動スイッチを入れます。透明の本体から見える内部では、激しく回転する刃によって果実たちが切り裂かれ、その傷口から溢れ出した果汁が濃厚に混ざり合う様を観察することができます。

 適度なところで観察を止め、停止スイッチを押して刃の稼動を停めます。


「さぁさ、どんどん行きましょう!」


 ミキサーに溜まった薄紅色のジュースを見て、でき上がりを待ち望んだ私はやや気色ばみながらそう言って、綺麗に並べられた手足のようなバナナの房から四本もぎ取り、黄色い皮を剥いでナイフで切り刻んでミキサーへ落とします。

 そして息を吐く間もなく、酒浸りの肝臓のように熟成したマンゴーに、ざくざく、ざくとナイフを入れ、満腹時の胃のように身が詰まったオレンジの厚い皮を素早く剥いて一緒にミキサーへ放ります。

 腎臓のようなアボカド、皮膚に似た容貌のイチゴは好物なのでちょっと大目に、膀胱のようなキウイは半分に切断してからスプーンで実を(えぐ)って投入します。

 ここでもう一度ミキサーに蓋をし、刃を回転させます。今度は悠長に眺めてはいません。果実が(なぶ)られているその隙に、絡まって丸まった腸のようなパイナップルの頭と尻を切り落として分解していきます。

 調理台の上でガタガタと唸るミキサーを脇目で確認しつつ、最後の獲物である脳みそのようなメロンのヘタを切り、半分にしてから中に詰まっている種をスプーンでこそぎ落とし、すべての種を取り払ってから三日月状に切り分けて、最後にナイフで月の円周をなぞって分厚い皮を脱がせます。

 ミキサーを停め、解体されたパイナップルとメロンを中に入れ、蓋をして、スイッチを押し、刃を回し、手に付着した果汁をタオルで拭き取ってから、私は仕上げの牛乳を注ぎ忘れていたことを思い出します。


「ふふ、私ったらドジね」


 冗談めかすようにそう呟いて、ミキサーを一旦停めて牛乳を注ぎ入れます。

 白濁した液と混濁した果汁がミキサーの内部でマーブル模様を作り出し、調和のないアトランダムな風景に終止符を打つために、私はミキサーに蓋をしてスイッチを押します。牛乳と果汁は、包囲された容器の内壁に沿って螺旋を描き、その回転数と相反するようにして果肉が原形を失くしていきます。

 リンゴのような心臓も。

 ブドウのような肺臓も。

 さくらんぼのような眼球も。

 バナナのような手足も。

 マンゴーのような肝臓も。

 オレンジのような胃も。

 アボカドのような腎臓も。

 イチゴのような皮膚も。

 キウイのような膀胱も。

 パイナップルのような腸も。

 メロンのような脳みそも。

 皆すべてミルクの導きによって融和し、入り乱れ、(まみ)れ、五月雨のように壁面に雨垂れ、左右を行き交い、上下を飛び交い、交じり混じりて雑ざり合うと、ミキサーの中には支子(くちなし)色のミックスジュースが完成しています。

 私はうんと背伸びをして身辺を浸す豊潤なミックスジュースから上がり、頭上を閉ざしているミキサーの蓋を押し上げて外へと出ます。

 部屋中に射し込んでいる朝陽が眩しくて、思わず瞬きをすると濡れた前髪の先端で躊躇(ためら)っていた雫が髪先から離れて大理石の床へと落下しました。

 ミックスジュースによって身も心も一新された私は、その爽快な気分を味わいながら裸体で滴っている果汁を四つ折りのタオルで丁寧に拭いていきます。しかし、そろそろ出社の準備を整えなければならないので、そう悠長にしてもいられません。

 私は入念さと手早さの中間のペースで身体から水気を拭き取って、小走りで居室へと戻ります。箪笥の一段目からピンク色の下着を取り出して穿き、二段目から真っ白なシャツを出して羽織ります。ボタンを留めながら部屋を横断し、壁にかかっている濃紺のスーツを手に取って着込みます。そして、今日の会議で必要な資料が鞄に入っていることを確認してから、卓上に置かれた小鏡の前にそっと腰を落としてテキパキと顔にお化粧を施していきます。

 すべての用意を整えた私は、姿見で外観を眺めてから足早に家を後にします。

 ハイヒールを快活に鳴らして最寄り駅へと向かい電車に乗り込むと、先に乗車していた同僚の子が小さく手を振って私を呼びました。

 私は、乗客の間を抜けて彼女が立っているドア付近のスペースまで向かいます。彼女の面持ちにはファンデーションで巧みに隠匿されてはいますが、昨日の仕事の疲労が霧のように残っていました。

 彼女はやって来た私に目を通して、聞こえないくらい小さなため息を吐いて口を開きました。

「今日も元気そうね」

 彼女の第一声に私は「そう?」と、とぼけたフリをしてみせます。

「そんな毎朝元気なんて、なにか秘訣があるんでしょう」

「さぁ、どうでしょう」

 猫のようにはぐらかす私を同僚は軽く睨みました。

「あるなら教えてよ。私も試したいから」

 私は彼女から車窓へと視点を移し、流れていく景色をぼんやりと眺めながら、

「元気の秘訣はね」

 にっこり微笑みながら言いました。

「毎朝、ミックスジュースを『作る』ことよ」




 来週か再来週くらいには短編をもう一つ投稿する予定です。

 感想、意見、アドバイス等ありましたら是非お願いします。

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