第七章
禍々しい光が部屋全体を包み込む中、私は魔法陣の異常な構造に気づいた。
通常の召喚陣や転移陣とは明らかに異なる、歪んだ幾何学模様。
これは魂を操作するための陣形だ。
「全員、魔法陣の外に出ろ!」
オズワルドの叫びが響いたが、既に遅かった。魔法陣から伸びた光の触手が、部屋の出入口を塞いでいく。逃げ道が断たれた。
「無駄だ。この『魂縛の結界』の中では、私が絶対だ」
レオンハルトの声が、部屋中に木霊する。
彼の姿が光の中で揺らぎ、実体があるのかさえ定かではなくなっていく。
エドワードが素早く分析魔法を展開した。
青白い光が魔法陣を走査し、その構造を解き明かそうとする。
「この結界……三重の呪縛構造になっている。外側から順に『空間固定』『魔力吸引』『魂抽出』だ」
「つまり、この中にいる限り、徐々に魔力と魂を奪われるということか」
オズワルドの表情が険しくなる。
彼の読み通り、既に私の体から魔力が少しずつ流出し始めていた。
まるで体温が奪われていくような感覚。
「まずは外殻の『空間固定』を破る。全員、属性を分散させて同時攻撃だ!」
オズワルドの指示で、魔術師たちが持ち場につく。
火、水、風、土、光、闇。六つの属性魔法が、結界の壁に向けて放たれた。
しかし、魔法は結界に触れた瞬間、霧散してしまう。
「無意味だ。この結界は、私が十年かけて完成させた傑作。簡単に破られるものではない」
レオンハルトの嘲笑が響く中、私は自分の魔力の流出速度が増していることに気づいた。
このままでは、全員が力を失ってしまう。
エドワードが私の肩を掴んだ。
「リーナ、君の純粋魔力なら、この結界に干渉できるかもしれない」
「でも、どうやって……」
「結界の核を探すんだ。必ず、魔力の集束点がある。
そこを破壊すれば、結界全体が崩壊する」
私は目を閉じ、周囲の魔力の流れに意識を集中させた。結界から発せられる魔力は、複雑な波形を描いている。その波形を辿り、源泉を探る。
あった。レオンハルトの足元、魔法陣の中心部。そこに、漆黒の宝珠が埋め込まれている。
「あの宝珠が核です」
「ならば、そこを狙う」
オズワルドが魔術師たちに指示を出した。五名の魔術師が同時に攻撃魔法を構築し、宝珠に向けて放つ。
だが、レオンハルトが手を翳すと、攻撃は全て彼の掌に吸い込まれてしまった。
「だから言ったろう。無駄だと」
レオンハルトが吸収した魔力を逆流させる。五名の魔術師たちが衝撃で吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた。
「くっ……一人ずつでは、相手にならないか」
オズワルドが歯噛みする。彼もまた、魔力の流出で徐々に弱っていた。
私は決断した。
エドワードの言う通り、純粋魔力ならば結界に干渉できる可能性がある。
ならば、私が宝珠を破壊するしかない。
「エドワード、時間を稼いでください」
「リーナ、まさか……」
「大丈夫です。私を信じて」
「待っーー」
私はエドワードの制止を振り切り、魔法陣の中心に向かって走り出した。
レオンハルトの目が驚愕に見開かれる。
「愚かな! 自ら魂抽出の中心に飛び込むとは!」
レオンハルトが闇の魔法を放ってきた。黒い槍が私に迫る。
だが、エドワードの風魔法がそれを弾き飛ばした。
「リーナを守れ!」
オズワルドの号令で、残った魔術師たちが防御魔法を展開する。私の周囲に、幾重もの障壁が張られた。
私は全速力で魔法陣の中心に到達し、宝珠の前に膝をついた。
手を伸ばし、宝珠に触れようとする。
「やめろ! それに触れれば、お前の魂が……!」
レオンハルトの叫びを無視し、私は宝珠を掴んだ。
瞬間、凄まじい痛みが全身を駆け巡った。
魂が引き裂かれるような苦痛。意識が遠のきそうになる。
だが、私は歯を食いしばって耐えた。体内の純粋魔力を総動員し、宝珠に流し込んでいく。
宝珠は闇の魔力で構成されている。
ならば、属性を持たない純粋魔力で中和できるはずだ。
「馬鹿な……純粋魔力で、魂喰いの宝珠を中和しようというのか!?」
レオンハルトの声に、初めて焦りが滲んだ。
宝珠が激しく振動し始める。
内部で闇と純粋が激しく反応し、相殺し合っている。
「させるか!」
レオンハルトが魔法陣を通じて、さらに魔力を宝珠に注ぎ込んできた。
宝珠の闇が強まり、私の魔力が押し返される。
このままでは、押し負ける。
私は目を閉じ、体内の最深部にある魔力の源泉に意識を向けた。
まだ、使っていない力がある。眠っている力がある。
白銀の魔女の血。
その記憶が、私の中で目覚め始めた。
見えた。
遥か昔、この国を救った女性魔術師の姿。
彼女は私と同じ純粋魔力を持ち、全ての属性を自在に操っていた。
そして、彼女の声が響く。
『恐れるな。お前の中にある力を、解放しなさい』
私は目を開けた。体内の魔力が、かつてない勢いで溢れ出してくる。
「これは……覚醒か!?」
エドワードの驚きの声。
私の体が、白銀の光に包まれていく。純粋魔力が可視化され、まるで炎のように揺らめいている。
「『純粋魔力・完全解放』」
私の言葉とともに、宝珠に注ぎ込む魔力の量が爆発的に増加した。闇の魔力が、次々と中和されていく。
「やめろ、やめろ! 私の十年が……研究が……!」
レオンハルトが絶叫するが、もう止められない。
宝珠が光に包まれ、そして砕け散った。
結界が崩壊していく。魂縛の呪いが解け、空間固定が消失し、魔力吸引が停止した。
レオンハルトは膝をつき、床に手をついた。宝珠の破壊で、彼の魔力も大きく削がれたようだ。
「終わりだ、レオンハルト」
オズワルドがレオンハルトに近づき、拘束魔法をかけた。光の鎖が彼の体を縛り上げる。
「くそ……こんなはずでは……」
レオンハルトの呻きは、もはや虚しく響くだけだった。
私は力が抜け、その場に座り込んだ。魔力を使い果たした疲労感が全身を覆う。
「リーナ!」
エドワードが駆け寄り、私を支えた。
「大丈夫か?」
「ええ……少し、疲れただけです」
私は微笑んだ。エドワードの腕の中で、ようやく安堵の息をついた。
レオンハルトは王宮の地下牢に収監された。彼の罪は重く、終身刑が確定した。
事件から三日後、私は宮廷魔術師団の執務室で報告書を書いていた。今回の事件の詳細を記録する作業だが、書きながら改めて事の重大さを実感する。
「リーナ、少し休んだらどうだ」
オズワルドが心配そうに声をかけてきた。
「いえ、これくらいは平気です」
「君の活躍がなければ、全員が危なかった。感謝している」
オズワルドの言葉に、私は少し照れくさくなった。
「団長やエドワード様がいたからこそです」
「謙遜するな。君の力は本物だ」
オズワルドは真剣な表情で続けた。
「国王陛下も、君の功績を高く評価している。近々、正式な叙勲があるだろう」
叙勲。貴族としての地位がさらに高まるということだ。
「恐れ多いことです」
「いや、当然の報いだ。それに……」
オズワルドが少し悪戯っぽく笑った。
「エドワードも、君のことを気にかけている。あいつ、君が寝込んでいる間、ずっと部屋の前で待機していたんだぞ」
私は顔が熱くなるのを感じた。
その時、ドアがノックされた。
「失礼します」
入ってきたのは、見覚えのある顔だった。
アレクシスだ。
彼は以前よりも痩せて、顔色も悪い。目には深い疲労が滲んでいた。
「アレクシス様……どうしてここに」
「話がある。少しだけ、時間をもらえないか」
私はオズワルドを見た。彼は頷いて、執務室を出ていった。
部屋に、私とアレクシスだけが残される。
重苦しい沈黙が流れた。
「……聞いた。お前が、いや、貴女が王宮を救ったと」
アレクシスが口を開いた。
「私は何もしていません。皆が協力してくれたからこそです」
「そうやって謙遜するのは、昔から変わらないな」
アレクシスが苦笑した。
「リーナ、俺は本当に愚かだった」
「今更、その話は……」
「聞いてくれ」
アレクシスは真剣な目で私を見た。
「俺は貴女の価値がわからなかった。魔力だけで人を判断し、本当に大切なものを見失っていた」
「……」
「貴女は優しく、聡明で、誰よりも芯が強い。それなのに、俺は表面的な魔力の有無だけで、全てを判断してしまった」
アレクシスの声が震えている。
「もう一度やり直したい、なんて傲慢なことは言わない。ただ……許してほしい。俺の愚かさを」
彼を見つめた。
かつて五年間、婚約者として過ごした男。
彼の後悔は、今なら本物だと感じられる。
「アレクシス様」
「リーナ……」
「私は、貴方を恨んではいません」
私は静かに言った。
「婚約破棄は、確かに辛かった。でも、それがあったからこそ、今の私がいます」
アレクシスの目が見開かれた。
「あの時、婚約を破棄されなければ、私は自分の力を証明しようとは思わなかったでしょう。ある意味で、貴方は私に自由をくれたのです」
「リーナ……」
「だから、もう気に病まないでください。貴方には貴方の人生があります。前を向いて、歩いてください」
アレクシスは唇を噛み、俯いた。
「……ありがとう。本当に、ありがとう」
彼は深く一礼し、執務室を後にした。
私は窓の外を見つめた。
心は穏やかだった。過去との決別。
それは、思ったよりも清々しいものだった。
その夜、エドワードの研究室に招かれた。
部屋には暖炉の火が灯り、温かい雰囲気に包まれている。エドワードは紅茶を淹れながら、私に微笑みかけた。
「お疲れ様。今日はゆっくり休んでくれ」
「ありがとうございます」
私は椅子に座り、差し出された紅茶を受け取った。香り高いハーブティーが、疲れた心を癒してくれる。
「リーナ、君に話がある」
エドワードが真剣な表情になった。
「何でしょうか」
「君の純粋魔力について、研究は一段落ついた。白銀の魔女の血統、そして覚醒の仕組み。全て解明できた」
エドワードは資料を広げた。
「君の魔力は、今後さらに成長するだろう。もしかしたら、歴史上最強の魔術師になるかもしれない」
「そんな……」
「いや、本当だ」
エドワードは私の目を真っ直ぐ見た。
「だからこそ、聞きたい。これから、君はどうしたい?」
私は少し考えた。宮廷魔術師として、この国に仕えることは既に決めている。でも、それだけではない何かを、エドワードは聞いている気がした。
「私は……もっと学びたいです。魔術のこと、この世界のこと。そして……」
「そして?」
「エドワード様と、一緒に研究を続けたいです」
私の言葉に、エドワードの表情が明るくなった。
「それは、私も望むところだ」
彼は立ち上がり、暖炉の前に立った。
「リーナ、実は君に提案がある」
「提案?」
「ああ。私は来月、王立魔術学院の主任教授に就任する。そこで、君を専属助手として正式に迎えたい」
専属助手。それは、エドワードの下で本格的に研究に従事することを意味する。
「もちろん、宮廷魔術師の職は続けられる。学院と宮廷、両方で活動することになるが……君なら、できると思う」
私は迷わず答えた。
「お引き受けします」
エドワードが嬉しそうに笑った。
「ありがとう。これから、君と共に多くのことを成し遂げたい」
彼が手を差し出し、私はその手を握った。温かく、力強い手。
この手と共に、私は新しい未来を歩んでいく。
窓の外では、満月が王都を照らしていた。




