第一章
「リーナ・アーデルハイト、貴女との婚約を破棄する」
王宮の大広間に、冷たい声が響き渡った。
私は呆然と立ち尽くした。
目の前にいるのは、五年間婚約者だったはずのアレクシス・フォン・ヴェルナー子爵。
彼の隣には、この一ヶ月で急接近したという伯爵令嬢、ルシア・ブランシェが寄り添っている。
「え……?」
「聞こえなかったのか。婚約破棄だ。貴女には魔力がない。子爵家の妻として相応しくない」
アレクシスの言葉に、周囲から失笑が漏れた。
ここは王宮で年に一度開かれる、貴族の社交晩餐会。王族を含む国内の有力貴族が一堂に会する場だ。そんな公の席で、婚約破棄を宣言するなど、通常ではありえない。
「アレクシス様……なぜ、こんな場所で……」
「公の場だからこそだ。貴女のような無能な女と婚約していたことが、私の恥なのだ」
胸が締め付けられた。
魔力がない。
確かに、私の魔力は他者から感知できない。
魔力測定の水晶球も反応しない。
この世界では、魔力の強さが貴族の価値を決める。
測定できない魔力など、ないも同然だ。
だが、それは事実ではない。
私は確かに力を持っている。
ただ、その性質が特殊すぎて、通常の方法では測定できないだけだ。
幼い頃から気づいていたが、誰にも信じてもらえなかった。
両親でさえ、私の言葉を慰めと受け取った。
「ルシア様は、水の上級魔法を使いこなす。貴女とは格が違う」
アレクシスは得意げにルシアの肩を抱いた。ルシアは恥じらうように頬を染めている。
「アレクシス様ったら……でも、リーナさんには気の毒ですわね。魔力のない貴族令嬢なんて、これからどうするのかしら」
ルシアの言葉は同情を装っているが、目は笑っていなかった。
周囲の貴族たちも、ひそひそと囁き始めた。
「アーデルハイト家の令嬢、本当に魔力がないらしいわよ」
「可哀想に。あの家は代々優秀な魔法使いの家系なのに」
「劣等種ね。そんな女と婚約させられていたヴェルナー子爵が気の毒だわ」
屈辱だった。
だが、私は何も言い返せなかった。証明する術がないからだ。
「……わかりました」
私は静かに答えた。
「婚約破棄、受け入れます」
「賢明だな。では、この場で正式に解消したと認める」
アレクシスは満足そうに頷いた。
私は深く一礼すると、大広間を後にした。
背中に突き刺さる視線を感じながら、必死に涙をこらえた。
廊下に出た途端、膝が笑った。
壁に手をついて、なんとか立っている。
「なによ……」
小さく呟いた。悔しさと無力感が込み上げてくる。
だが、涙は流さなかった。
代わりに、心の奥底で何かが静かに燃え上がるのを感じた。
これまで耐えてきた。両親の落胆した目。
使用人たちの憐れむような視線。
社交界での冷たい扱い。そして今日の屈辱。
もう、十分だ。
私には力がある。それを証明する時が来た。
「リーナ様」
声をかけられて振り返ると、侍女のマリアが心配そうな顔で立っていた。
「聞いてしまいました……大丈夫ですか?」
「ああ、マリア。ごめんなさい、心配をかけて」
マリアは私が幼い頃から仕える数少ない理解者だ。
彼女だけは、私の魔力の存在を信じてくれていた。
「あの男、許せません。リーナ様の本当の実力を知らないくせに」
「いいのよ。むしろ、これで良かったのかもしれない」
私は小さく微笑んだ。
「これで、もう誰にも遠慮する必要がないわ」
マリアは驚いたように目を見開いた。
「リーナ様……」
「明日、王立魔法学院の特別試験に申し込むわ」
王立魔法学院の特別試験。それは年に一度、王国全土から魔法使いを募り、その実力を測る公開試験だ。
上位入賞者には王宮魔法師団への入団資格が与えられる。
この国で最も権威のある試験であり、貴族の子弟でも合格は困難とされている。
「でも、リーナ様。試験には推薦状が必要では……」
「公爵家の令嬢なら、自己推薦が可能よ。形式的な審査はあるけれど、貴族の体面として拒否されることはないわ」
私は決意を込めて言った。
「もう隠す必要はない。私の全てを、見せてあげる」
翌日、私は王立魔法学院の受付を訪れた。
受付嬢は、魔力のない私が特別試験に申し込むと聞いて、露骨に困惑した表情を浮かべた。
「あの……アーデルハイト様。試験は非常に高度な魔法技術を要求されます。魔力測定で反応のない方が参加されるのは……」
「規定では、自己推薦での参加は認められているはずですが?」
「それは、そうですが……」
受付嬢は言葉に詰まった。
「公爵令嬢として、体面を保つためにも、再考されては……」
「申し込みます」
私はきっぱりと言った。
受付嬢は諦めたように書類を差し出した。
書類に署名すると、試験日時と会場が記された札を渡された。
試験は三日後。会場は王宮の特設闘技場だ。
特別試験は公開形式で行われる。
観客席には王族や貴族、一般市民まで詰めかけ、受験者の実力を見定める。
合格すれば名誉だが、失敗すれば恥をさらすことになる。
魔力のない私が参加するというニュースは、瞬く間に社交界に広まった。
試験当日。
闘技場は既に観客で埋め尽くされていた。
私が控室に入ると、他の受験者たちが一斉にこちらを見た。
「あれが、魔力のないアーデルハイト令嬢か」
「何しに来たんだ? 恥をさらしに来たのか?」
「可哀想に。婚約破棄されて、頭がおかしくなったのかもしれないな」
心ない言葉が飛び交う。だが、私は気にしなかった。
控室の隅に座り、静かに心を整える。
体内を流れる魔力の流れを感じる。それは川のように穏やかで、しかし海のように深い。
「よう、リーナ」
聞き覚えのある声に顔を上げると、アレクシスが立っていた。隣にはルシアもいる。
「まさか本当に参加するとはな。勇気だけは認めてやるよ」
アレクシスは嘲笑を浮かべた。
「でも、無駄だ。貴女には魔力がない。この試験は、魔力の強さを競うものだ」
「そうですわ。リーナさん、今からでも棄権されては? これ以上恥をさらすことはありませんわ」
ルシアも優しげな口調で言うが、目は冷たかった。
私は二人を見上げた。
「忠告ありがとう。でも、大丈夫よ」
「何が大丈夫なんだ? 現実を見ろ、リーナ」
「現実は、これから見せるわ」
私は静かに答えた。アレクシスは鼻で笑った。
「ふん、最後まで強がるか。まあいい、せいぜい楽しませてもらうよ」
二人は去っていった。
間もなく、試験開始のアナウンスが流れた。
受験者は一人ずつ闘技場に呼ばれ、課題をこなしていく。
最初の課題は「魔力放出」。
体内の魔力を外部に放出し、その量と質を測定する基礎試験だ。
受験者たちは次々と魔力を放出していく。
青白い光が闘技場を照らし、観客から歓声が上がる。
アレクシスの番が来た。
彼は自信満々に魔力を放出する。
測定器の数値は「4200」を示した。
「おお、四千超えか!」
「さすがヴェルナー子爵!」
観客席がどよめく。アレクシスは得意げに胸を張った。
ルシアは「3800」。彼女も上位の成績だ。
そして、私の名前が呼ばれた。
「次、リーナ・アーデルハイト!」
観客席がざわついた。
「あの魔力のない令嬢が?」
「何ができるんだ?」
「見世物だな」
嘲笑混じりの声が飛び交う中、私は闘技場の中央に立った。
試験官が測定器を構えている。
「では、魔力を放出してください」
私は深呼吸した。
これまで誰にも見せたことのない、私の真の力。
それを解放する時が来た。
手のひらに意識を集中させる。
体内を循環していた魔力が、ゆっくりと外へ向かって流れ始める。
だが、それは通常の魔力とは異なる。
私の魔力は、可視光域では見えない。だから誰も感知できなかった。
しかし、放出すれば、その圧力は誰もが感じるはずだ。
「はあっ!」
気合とともに、魔力を解放した。
瞬間、闘技場全体が振動した。
「な、何だ!?」
「地震か!?」
観客席が騒然となる。
測定器が激しく震え始めた。数値が急上昇していく。
5000、10000、15000――
「ちょ、測定器が壊れる! 止めてください!」
試験官が慌てて叫んだ。
私は魔力の出力を抑えた。
だが、測定器は既にオーバーフローを起こしていた。画面には「ERROR」の文字が点滅している。
闘技場が、静まり返った。
誰もが、呆然と私を見つめていた。
観客席のアレクシスは、顔を青ざめさせている。
ルシアは口を開けたまま、固まっていた。
「……測定不能、です」
試験官が震える声で言った。
「魔力量が、測定器の上限を超えています。少なくとも、20000以上……いえ、もっと上かもしれません」
どよめきが、歓声に変わった。
「嘘だろ!? 20000超え!?」
「王宮魔法師団長でも15000だぞ!?」
「アーデルハイト令嬢に、そんな魔力が!?」




