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空斎と権太

 意識を取り戻した時、陸郎は自分が見知らぬ部屋のなかで布団に寝かされているのに気づいた。


(ここは――)


 陸郎は身を起そうとして、腹部に走る痛みに呻いた。


「動くな」


 呼びかけられたしわがれ声に、陸郎は声の方を見やった。


 囲炉裏にあたる老人がいる。

 無造作に結わえた頭髪から、口髭、顎鬚まで、白髪混じりの様子をしている。


「無暗に動くと腹が裂ける。手間をかけさせるな」

「……貴方が助けてくれたのでしょうか?」


 陸郎は腹部が痛まないように一度横になってから、そろそろと身を起こした。


「運が良かったの。臓腑まで斬られなんだが幸いじゃ。腹の皮一枚で済んでおった。二十日もすれば治るじゃろう」

「――そよは? 娘は一緒におりませんでしたか?」


 陸郎はそよが一緒に谷底に落ちたのを思い出し、必死の形相で尋ねた。


「離れにおる。あっちのほうが、ちと重傷じゃ。が、心配はあるまい」

「生きて――生きてるんですね?」

「うむ。足の骨を折っとるがな。……心配か?」

「はい」


 陸郎は真剣な面持ちで頷いた。

 じろり、と陸郎を一瞥すると、老人は囲炉裏に視線を落として火かき棒で灰をかきまわした。


「出た先の右手が離れじゃ。縫った腹が裂けんように用心して行け。向こうでは権太が火の用心をしておるから、こちらに来るように言ってくれ」

「権太さんですね」

「なり(・・)はでかいが、まだ子どもじゃ。――外は冷える、そこの綿入れをひっかけていけ」


 陸郎は布団の上にかかっている綿入れを羽織る際に、自分が白い着物に着替えていることに気づいた。

 陸郎はそうっと身を起こすと屋外へ出た。


(夜だ――しかも雪が……)


 屋外は既に真っ暗であった。

 その闇の中で、部屋の薄明かりに照らされて、雪がちらちらと舞い降りているのが見て取れる。

 陸郎は扉を閉めると、教えられたように右手の小さな離れ小屋に向かった。


「――失礼します。手当てを受けた者です」


 陸郎は扉の前でそう呼びかけると、扉を開いて中に入った。

 中では囲炉裏の前に座り、こっくりこっくりと居眠りをしている男がいる。


「あの――失礼します」


 陸郎は居眠り男を起こそうと、少し大きな声を出した。

 居眠りから覚めた男は、慌てて立ち上がった。


(大きい……)


 ゆうに六尺はあろうかという男の身体の大きさに、陸郎は驚いた。

 だがその巨躯とは裏腹に、顔だちはまだあどけない。

 どころか、寒さのせいか鼻水まで垂らしたままである。


「うあ? ――あ、あんちゃん、気がついただな。えかった、えかった」

「あなたが、権太さん?」

「おらぁ、権太だぁ」


 まだ幼さの残る声でそう言うと、権太はにぃと陸郎に笑ってみせた。


「あの――ご老人が向こうでお呼びです。それと……娘がこちらにいると聞いたのですが」

「姉ちゃんなら、そっちの部屋だぁ。――じゃあ、火見ててくれろ」


 権太はそれだけ言うと、さっさと陸郎を残して外に出て行った。

 陸郎は部屋に上がり込むと、奥の間へと進んでいった。


 布団に寝かされた娘がいる。

 そよであった。


「そよ――」


(――無事でよかった………)


 こみ上げる嬉しさと安堵を抑え、陸郎はその傍に膝を落とした。

 少し髪を乱し、唇と顔色を青くしたそよが、静かに寝息をたてている。

 陸郎は胸のつまる想いで、その寝顔を見つめた。


「そよ……」


 その声を聞いてか、眠っていたそよが不意に目を開いた。


「……陸郎さま?」


 まだ夢と現実(うつつ)の境にいるそよは、ぼんやりと陸郎を見つめ、その身を起そうとした。


「――痛」

「大丈夫か?」


 痛みを感じて表情を変えたそよに、陸郎は我知らず寄り添った。

 吐息も触れそうなほどの距離で、そよは潤んだ瞳で陸郎を見上げた。


「これは……夢でしょうか…」

「いや――夢ではない…」


 陸郎はそよを見つめ、そよも陸郎を見つめ返した。

 そよの唇から、そっと吐息が洩れた。


「陸郎さま……ご無事で――_」


 そよはそれだけ洩らすと、陸郎の身体にしなだれかかるように身を寄せた。

 その細い手は、強く陸郎の着物を掴んでいる。

 陸郎は、そよの肩をそっと抱いた。


「そよ殿……そなたも、無事でよかった」

「陸郎さま、本当に生きているのですね――」

「ああ。ここの家人に助けられたらしい。……そういえば、まだろくに礼もしておらん――」


 陸郎がそう口にした時、表の扉が開いて冷たい風が吹き込んできた。

 陸郎は慌てて、さっとそよから身を離した。


「娘も気がついたか」


 先ほどの髭の老人と、権太が並んではいってくる。

 権太は抱えていた布団を近くまで持ってくると、床に降ろした。


「どうじゃ、脚は痛むか?」


 老人はじろり、とそよを見ながら、傍に腰を下ろした。


「あ、少しだけ――です。あの……お助けいただき、ありがとうございました」


 正座になることができないながらも、そよは深々と老人に頭を下げた。

 陸郎も続いて正座で向き直り、頭を深く下げる。


「我ら両名の命をお救いいただき、真に感謝の言葉もありませぬ。有難うございました」

「――ぬしらをここまで運んだは、この権太よ。傷の手当てができたとて、その場に置かれては今夜の寒さじゃ凍え死んだじゃろう」


 老人の言葉を聞いて、そよは権太に向かっても頭を下げた。


「権太さん――本当にどうも、ありがとうございました」

「有難うございました」

「うへへ……おらぁ、恥ずかしいだぁ」


 権太はてれ臭そうに笑いながら、袖口でぐいと鼻水を拭いた。


「ぬしらは――夫婦(めおと)か?」


 老人の問いに、陸郎は少し動揺しつつ頭を振った。


「いえ、とんでもござりませぬ。我らは信濃国飯山佐久間家が家臣、久澄陸郎と家老春日達之丞の娘そよにございます。――訳あって命を狙われた折でした」


「ふむ……まあ、詳しいことはよい。追手とやらも、この雪ではもう探すこともできまいて。二人とも気づいたのなら、火の番も自分たちでできるじゃろう。お主の寝床はこちらに移させたから、しばらくはゆっくり休め」

「あ、あの……貴方のお名前は――?」


 陸郎の問いに、老人はじろりと視線を向けた。


「空斎――と呼ばれておる」

「空斎様は、医術の心得が?」


「少しな。――ふん、それだけ喋れれば、もう後は体力じゃな。権太、鍋を持ってきてやれ」

「あい」


 権太は立ち上がると、表へ出て行った。


「お主たちを見つけたのが今朝のことじゃ。少し下流の川原に二人で流れ着いておった。――娘の手がしっかりとお主の腕を握ったままでな」


 陸郎は驚いてそよを振り返ったが、そよは少し顔を赤らめて俯いた。


「二人、離れなんだが幸いじゃったな。そこから手当てして運び――まるまる一日眠っておった、というわけじゃ。身に着けておった着物と荷は乾かしておる。傷を癒すには精をつけねばならん、まずは腹ごしらえじゃ。ただし、お主は腹の傷に触らぬ程度にな」


 空斎――と名乗った老人がそう言い終わらぬうちに、権太が鍋を持って再び現れた。中では雑炊が湯気をたてていた。


「では、喰ったらまた休め。もし熱でうなされることがあったら呼びに来い。それじゃな」


 空斎はそれだけ言うと、立ち上がって外へと足を向けた。


「――何から何まで、かたじけのうございます」


 陸郎は平伏して礼を述べた。

 空斎はそれには応えず、権太とともに母屋へと戻っていった。


 陸郎は動けないそよに、椀に雑炊をついでわたしてやった。

 二人は暖かい夕食をとると急速に疲れが出て、それからぐっすりと寝入ってしまった。



 目を覚ますと、陸郎はそよが隣の布団で眠っているのに気づいた。

 陸郎は傷にさわらぬようにゆっくりと身を起こすと、そよの寝顔にぼんやりと見入った。

 昨夜は青ざめていた唇にも生気が戻り、穏やかな寝顔のそよに陸郎は安堵した。


(――こんなにも……)


 美しかったか、と陸郎は思った。


(恐い思いをしたろう……)


 その可憐さが余計に、そよが味わった命を狙われることの恐ろしさに、陸郎は想いを馳せた。


(何があっても次は――守らなければ)


 陸郎は独り、固く決意した。


 その陸郎の胸に、様々な想いが去来した。

 野中と新庄が最後に斬り結んで倒れていったこと。

 刀で人を斬った感触。

 陸郎たちに逃げるように叫んだ達彦の声。


(達兄は無事なのだろうか……)


 陸郎は達彦の安否に思いを巡らせた。


(――あの達兄なら、そう簡単に倒されることはないはず)


 陸郎はそう思いなおすと、我知らず息を洩らした。


 気持ちを変えるように陸郎はゆっくりと立ち上がり、表への扉へと足を運んだ。

 戸に手をかけるが、簡単に開かない。

 陸郎は少し下がると、力を込めて戸を開けた。


 開いた戸口から、雪が室内になだれ込んでくる。

 戸外の雪は膝丈ほどまでに積もっていた。


「おはようございます」


 陸郎は戸外で、中庭の雪かきをしている空斎と権太を見つけて声をかけた。


「起きたか。――傷は痛まなんだか?」

「はい。おかげ様で、私もそよ殿も大丈夫のようです。本当にありがとうございます」


 陸郎は改めて礼を言い、頭を下げた。

 空斎はもう止めろ、と言わんばかりにひらひらと手を払ってみせる。傍の権太は鼻水を垂らしながら、にっかりと笑った。


「あんちゃん、元気になったんだね。えかった」

「雪が深いから無暗に出るな。――権太、離れまでの道を作るんじゃ」

「うん、判った」

「中で火をいれて待っておれ。娘のほうを見に行く」


 空斎が母屋に向かうと、権太は嬉しそうに雪をかき始めた。

 言われた通りに囲炉裏に火をくべていると、目覚めたらしいそよの声が陸郎に向けられた。


「陸郎さま」

「そよ殿、起きたか。空斎先生が診にいらっしゃるそうだ。痛まぬか?」


 陸郎は火をいじりながら、奥の間で布団から半身を起こしたそよに訊いた。


「はい。――陸郎さま、本当にご無事だったんですね……わたくし、起きたらすべてが夢だったのではないかと……けど、本当だった」

「うん。そよ殿も無事でよかった」


 陸郎はそよに、ゆっくりと笑ってみせた。

 朝陽が射し込む眩しさのなかで、二人はようやく心の平安を実感し始めていた。


「起きたようじゃな」


 扉を開けて空斎が入ってきた。手には薬箱を持っている。

 空斎はそのまま奥の間に上がり込み、薬箱をそよの布団の傍に置くと辺りを見回した。


「これでは冷えてかなわん」


 空斎は立ち上がると、部屋の隅に置いてあった火鉢を引き寄せ、囲炉裏から炭をつまんで中に放り込んだ。


「さて、脚を見せてみろ」


 空斎はそう言うと、そよが布団をめくるのを待った。

 白い着物を身に着けたそよの姿が露わになる。


 その裾から、白くて細い脚が伸びていた

 しかし左の足首は青くなっており、右の足は白布に巻かれている。空斎はその足にじっと見入った。


「ふむ……くじいた方がより悪くなったようじゃな。無理に動いたからじゃろう」

「仕方なかったんです……」


 そよが申し訳なさそうに呟くのを見て、陸郎は逃げたときに、そよに無理をさせたことを改めて理解した。


「そよの脚は――治るんですか?」


 陸郎は空斎の背中に尋ねた。


「二月もあれば治るじゃろう。それまでは安静じゃ」


 その言葉を聞いて陸郎とそよは、安堵の息を洩らした。

 緊張が解けると同時に、陸郎はそよの脚の美しさに気づき、顔を赤らめて視線を逸らした。


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