黒川塊山
「影廻――」
「諸国で取り潰しを受けて浪人と化した侍が、江戸近辺に集まり火付け盗賊や押し込み強盗になったりすることが増えていた。江戸の治安を守るために色んな手が講じられたが、中にはその網の目をくぐるような存在もいた。大名家に囲われている集団や、幕府の旗本の次男、三男などがその頭目だったりするような件が存在したのじゃ。
豊臣寄りだった遠国の大名はそもそも幕府にいい感情をもっておらんし、長子相続のお触れが出てから、旗本の相続長子以外の子どもは将来に対する不満を、好き勝手に振る舞うことで憂さ晴らしをするようになっていた。
しかし、これらの者は表だって江戸奉行が手を出せるような存在ではない。そこで但馬守様が江戸の治安を守るために、極秘に裏でそれらの不穏人物たちを処罰する目的で作ったのが『影廻』じゃ」
達彦の言葉に、陸郎は静かに問うた。
「処罰――というより、抹殺でしょうか?」
「そうじゃ。しかし、それは全うな裁きにかけられても死罪に値する者のみに対して行われる罰である。わしはこの隠密の役職に就き、但馬守様の下で働いた。
但馬守様と直接言葉を交わす機会も自然と増えた。その時だったのだろう、わしはふとした事から、但馬守様のご子息、将軍剣術指南役の左門友矩さまが、妹のそよにどこか似ていると、ふと話したのじゃ。
おそらく、その言葉を覚えておいでだったのだろう。
しばらくした頃、父上にそよの輿入れの話が持ちかけられた。父上は是が非にでもこの話をまとめたいと、大喜びじゃった……」
達彦は苦悩の表情で、そよを見た。
「そよ……すまなんだ。わしの軽口のせいで、お前の運命を大きく変えてしまうことになったしまった。許してくれ」
「お兄様――」
そよは潤んだ眼で達彦を見つめた。
陸郎はそよを傍に促しながら、達彦の元へと近づいた。
「達兄、私はずっと達兄の弟です。さあ、早く一緒に逃げましょう」
「――陸郎、お前を斬ろうとした、わしを許すというのか?」
陸郎は何も言わず、ただ微笑んで見せた。
くっ、と達彦は俯いて、零れる涙を堪えようとした。
「さあ、行きましょう――」
「――そうはいくまい」
陸郎の声に水を差すように、闇の中から声が上がった。
それと同時に、抜き身を持った影がわらわらと闇の中から現れる。
陸郎はその闇に眼を凝らした。
雲が完全に晴れて、月明りがそこに立つ人物を浮かび上がらせた。
「――黒川塊山」
達彦が低く呟いた。
その周辺には、十人ほどの侍が刀を持って構えている。
黒川塊山は、その太い眉を愉快気に上げると、陸郎たちに向かって口を開いた。
「ようやく、お前たちの全員を見つけることができた。苦労したぞ」
「……黒川どの、貴方はその野心のために人を殺すことに、何のためらいもないのですか?」
陸郎は黒川に詰問した。
黒川は余裕のある口ぶりで、陸郎に応える。
「何を言っておるのだ? そもそも、内密に輿入れの話など進め、国の権勢を専横しようとしたのは春日一派が先ではないか。我らはその一部の専横の陰謀を阻止しようとしたのみ。何に恥じるところがあろう?」
「――お前たちの背後に尾張徳川の力が働いているのは知っているのだぞ! 国の権勢を奪おうとしいているのは、お前たちではないか」
達彦は黒川に向かって怒鳴った。
黒川はそれをせせら笑うと、達彦に向かって言った。
「それは、そちらから見たらそう。だが、こちらから見たらこう。……そういう事ではないのか、春日? 話しても埒があくまい」
黒川は顎で周りの者に合図を出した。
ざっと刀を持った男たちが、陸郎たちを取り囲む。
「お前たちをここで斬ればそれで終わりだ。輿入れもなく、国の権勢も無事我らのものとなる」
「――一つ、聞きます」
陸郎が口を開いた。
「父上――春日達之丞を殺したのは、貴方の差し金ですか?」
陸郎の言葉に、その事実を知らなかった、そよと達彦が驚きの声をあげた。
それを見て、黒川は愉快気に答えた。
「わしが斬った」
「……なんですって」
「わしが斬ったのだ、直接な。元はと言えば久澄陸郎、お前が悪いのだぞ」
「私が?」
「お前が羽生におとなしく斬られていれば、爺ぃは死なずに済んだものを。羽生が失敗したと聞いて、わしは事の成り行きを逆転させるために、仕方なく春日殿を斬ったのだ。仕方なくな」
黒川はそう、うそぶいて笑った。
「貴様! ……父上を!」
達彦は傷ついた腕に剣を持ち、怒りを露わにして剣を構えた。
「お前とて、逆の立場ならやる。怒るな、春日。――まあ、もっとも怒ったところで無駄だかな」
黒川塊山はそう笑いながら、剣を抜き放った。
その時、陸郎たちを囲んでた男の一人が、呻き声をあげて倒れた。
「なんだ!?」
「――しかと聞いたぞ! 黒川塊山!」
その一人を斬って姿を現したのは、美木利光だった。
「美木どの!」
「黒川塊山、やはり貴様が春日様殺しの下手人だったのだな。……よくも俺をたばかってくれたな。全てを白日に晒してやる」
美木は怒りに燃えたぎる眼で、黒川を睨んだ。
「美木どの、何故ここが…?」
陸郎の問いに、美木は懐から一枚の紙を取り出した。
「左近の部屋を調べてみたら、ここの家の借入書が出てきた。手掛かりになるかと思い、念のために来たら――これだ」
「……知られたのなら、お前も生かしておくわけにはいくまい。死んだ鳥山と根性なしの羽生の代わりにつかってやろうかと思っていたが――もはや邪魔なだけだ」
「邪魔なのは、貴様の存在自体だ!」
美木は怒鳴った。
その怒声に合わせるように、刀を持った男たちが動き始めた。
「――達兄、そよ殿を連れて、ここから離脱してください!」
陸郎は、美木の作った囲いの破れ目を確保しながら、達彦にそう言った。
そよが顔を上げて、陸郎を見る。
「しかし――」
達彦が躊躇の色を見せた。
陸郎はその達彦に向かって言った。
「前は達兄が足止めをしてくれました。今度が私がそれを返す番です」
「しかし、そよはお前が連れて逃げるべきだ…。わしがここで足止めをする」
そう覚悟を決めた達彦に、陸郎は言った。
「達兄――そよは、我らが妹ではありませんか。ここで、なんとしても守るんです」
「陸郎……」
「陸郎さま――」
「速く! 向こうへ!」
達彦は頷くと、そよの背を促して囲みの外へと駆けていった。
「美木どのも、速く!」
「……貴様、俺を見くびるなよ。俺が他人を置いて逃げるような男だと思ってるのか」
「判りました。――一緒に戦いましょう」
陸郎は微笑んで言った。
美木は不敵に笑った。
「行くぞ!」
美木が瞬時に動く。
逃げた二人を追おうとしていた男に斬りつけ、相手はその剣を封じる間もなく肩掛けに斬られて倒れた。
陸郎は呼吸を整えた。
斬りつけてきた一人の太刀を『氷柱落し』で折り、瞬時にその側頭部を峰打ちで打つ。
と、背後から斬りつけてきた太刀を円転の動きでかわしながら、その膝裏を剣で薙ぎ払った。
“集団を相手にした時は、一つ処にとどまってはならぬ”
空斎の教えた集団相手の戦法を、陸郎は実践していた。
「集団の時は、どんな達者であろうと集中力が落ちる。いわば雑になる。逆に、こちらが精度を高く保っていては、やがて時間がたつとともに疲労が目立って、討ち取られてしまうじゃろう。
集団を相手にした時は、一つ処にとどまってはならぬ。常に動き、相手の狙いどころを絞らせるな。円転の動きを駆使し、とどまらぬ水のように動くのじゃ。『流水の法』と心せよ」
陸郎は流れる水のように時に緩やかに、そして時に速く動きながら、円転の動きで敵の剣線をかわしつつ確実に相手を戦闘不能にしていった。しかもその中ですら、陸郎は相手に致命傷は与えずに相手を制していたのだった。
美木は炎のように燃えさかった。ひるむ相手を容赦なく斬りつけ、瞬時に動いて次の相手に向かう。恐れを知らぬ炎神のように、美木の剣は血で赤く染まった。
やがて数で圧倒していたはずの黒川の配下が、気づくと全員地に伏していた。
美木は大きく息をして、離れて見ていた黒川を睨みつけている。
陸郎は静かに、黒川を見つめた。
「――黒川どの、後は貴方一人です。もう、止めましょう」
黒川は眼を見開いて、驚きに喘いだ。
「そんな馬鹿な……これだけの手勢で、たった二人が討ち取れんだと――?」
その時、遠くから、そよの悲鳴が上がった。
「そよ!」
陸郎はすぐさま振り返って、声の方へと駆け出した。
「――ククク、来たな。……月代が」
「なんだと……?」
美木は黒川を一睨みすると、自らも陸郎の後を追った。
駆けつけた陸郎が見たのは、地に倒れ、そよに抱かれた達彦と、そこに立ちはだかる月代抜宗の姿だった。
「達兄!」
陸郎は達彦のもとへ駆け寄った。
「……陸郎」
達彦は腹と袈裟を大きく斬られていた。
「――達兄…私と戦った傷のために………」
陸郎は息も絶え絶えの達彦の姿に声を震わせた。
その陸郎の姿を見て、達彦は笑った。
「陸郎……いいんだ。報いだ…我が欲のな……」
「お兄様! お兄様!」
そよが泣きながら、達彦の顔を見つめた。
「……すまなかったな、そよ……。だが、きっとお前のことは、この陸郎が守ってくれる――」
「――それはどうかな」
辿りついた黒川が、嘲笑的な声で達彦に言った。
「お前たちは皆、この月代が斬り捨ててくれる。――さあ、頼んだぞ、月代」
黒川はにやついた顔で、黒川の傍へと寄り添って言った。
次の瞬間、月代抜宗は無造作に黒川を袈裟懸けに斬り降ろした。
「な――」
駆けつけた美木も含め、そこにいた全員が息を呑んだ。
「な……何故…?」
黒川は倒れながら、信じられないものを見る目つきで月代抜宗を見た。
月代抜宗は、冷たい眼でその黒川を見下ろした。
「ご命令でな」
「めい…れい…? 誰の…?」
月代抜宗が、冷たく笑った。
「尾張徳川様の――」
「う…嘘だ」
「お前はもう充分、役割を果たした。用済みだ。ついでに、俺の本当の雇主を教えてやろう」
「な…?」
月代抜宗は、死ぬ寸前の黒川に言った。




