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左近の告白

「あたしは、あの人の言う事ならなんでも聞くし、何でもする。あの人は間違ったことをしない人だって知ってるから。あの人に貰った命だ。あの人のためにすることなら、あたしは何にも恐くないんだよ」


 そう言うとお園は、少し照れくさそうに首をすくめて、また歩き始めた。


 長屋街を少し外れた処に、小屋が立っている。お園はそこへ二人を案内した。

 二人はそこで戻るお園を見送ると、一つ間に布団を敷いて寝た。

 二人が床につき暗くなると、そよが不意に闇のなかで話しかけてきた。


「……お園さんて、とても素敵な方ですね――_」

「うん、そうだな。蛍庵先生もいい人でよかった……」


 陸郎もゆっくりと頷いた。


「あんな風に人を想う気持ち…判る気がします……」

「うん…そうだな……」


 そよの言葉に、陸郎はゆっくりと呟いた。


 翌日、昼過ぎごろになると療養所にそよを残し、陸郎は蛍庵のところへと出向いた。


「今日、国屋敷に様子を見に行ってみようと思います」


 陸郎の言葉に、蛍庵は頷いた。


「そうさな。しかし目立たないように様子を見てくるんだ。それで屋敷に出入りしてる人間を見て、お前さんの側の信用のおける奴を見つけて、嬢ちゃんが江戸に来てることを話せばいい。そしたら輿入れの準備は進めてくれるだろう」

「はい、そうします」


 陸郎は蛍庵の言葉を聞いて、大名屋敷が集まる一角へ足を運んだ。

 陸郎は遠目に、国屋敷の出入りの人間を見る。


 と、黒川一派の顔ぶれが多くいることに気がついた。


(黒川一派には江戸向きの御用はないはずなのに……どうしたことだ――)


 陸郎は怪しんだ。ふと気づくと、堀田左近が通りへと出てきている。


(左近だ。――よし、左近なら)


 陸郎は左近の後を気づかれないように追うと、少し離れた処で後ろから声をかけた。


「左近、左近」


 ビクン、として振り返る左近の顔に、恐れの色が混じっている。


「――陸郎……生きているのか?」

「当たり前だ。なんだと思ってる」


 陸郎は少し呆れた。


「俺はもうてっきり――いや、そんな事を言ってる場合じゃない。こんな処じゃ駄目だ、来い」


 左近はそういうと、どんどんと細い裏道に分け入っていった。

 しばらくすると、通りの向こうに国屋敷が見える。


「なんだ、国屋敷に戻ったのか?」

「――裏城戸から俺の部屋まで何食わぬ顔で入れ。俺が先に行くから、呼んだら来い」


 左近はそう言うと、通りを渡り裏城戸を開けた。

 陸郎に手招きする。


 陸郎が大股で歩いて裏城戸に入ると、左近は扉を閉めた。

 中庭を抜け、縁側から一室に入る。


 狭いながらも、そこは左近の居室らしかった。

 襖を閉じて向き合って座ると、左近はようやく一息ついた。


「――ふう、ここならよかろう。連中のいる処とは棟が離れてるし、下手なところではうろついてる連中に見られないとも限らんからな」

「黒川の一派が、随分と江戸に来ているようだが?」


 陸郎の問いに、左近はため息まじりに答えた。


「……陸郎、お前は追われている」

「うん、それは判っているが」


「そうじゃない。『裏』の話じゃないんだ。お前には召し取りのお触れが出ている」

「なに!? いったい何故に?」


 左近は苦悩を見せながら陸郎に言った。


「ご家老春日達之丞様の殺害および、娘そよのかどわかしの件でだ」

「なんだって!」


 陸郎は驚愕のあまり声をあげた。


「そんな馬鹿な――いや、それよりも父上が殺されたと?」

「ああ、少し前のことだが…。ご自宅で斬られているのが見つかった。それを黒川一派たちが、お前の仕業だと噂を流し始め、それがいつの間にか事実のように扱われてしまったんだ」


「しかし……私はそよ殿と一緒に国を出てるのだぞ、私にできるわけがない。ご家老の森末様は、その事をご存じのはずではないか」


 陸郎は春日派の家老の名前をあげたが、左近は首を振った。


「いや……今度のそよの輿入れは内密事項。表立っては口外できんことになっている。連中はそれを知りつつつけ込んできたのだ。――時に陸郎、今、そよは何処にいるのだ?」


「知り合いの医者の八丁堀近くの療養場にいる」

「無事なんだな?」


「ああ」

「そうか、それならまだ逆転の機会はある。そよが輿入れしてしまえば将軍家の嫁、黒川も黙るしかあるまい。その時にお前の嫌疑を晴らせばいい。お前はそれまで身を潜めていろ」


 陸郎は物憂げに黙り込んだ。


「――どうした?」

「……そよ殿の輿入れが、こんな形で利用されるのかと――_」


「仕方あるまい。こっちも必死にならねば。……しかしお前、俺が江戸に着いて達彦もお前もそよも到着してないと知った時、俺はてっきり、もうお前たちは殺されたのだと思ったのだぞ」

「実際、命を狙われた。雇いの警護の二人は死んだのだ。達兄は我らを逃がすために足止めになってくれた。……そうか、達兄は姿を見せてないか――_」


 陸郎は、達彦の事を思うと胸が痛んだ。

 左近も苦悩の色を浮かべる。


「そうこうしてるうちに、国元からご家老様殺害の件が知らされた。俺はもう、完全に黒川たちにしてやられたのだと思ったよ。お前が既に殺されているとしたら、下手人をお前にしておけば、見つかるはずはないしな。――そういう策かと思ったが、どうやら本気で探してたというわけか。それで江戸付近で見かけた者がいるなどという話で、大挙して江戸に押し寄せてきたのだな。しかしお前を見つけたら、そよの居場所を吐かせた後、口封じのために殺されるだろう。絶対に見つかってはいかん」


「うん……。そうだな。――今、蛍庵先生という医者の処で面倒を見てもらっている。身を隠す場所に協力してもらえるだろう。何かあったら、そこに使いをよこしてくれ。お前はそよ殿の輿入れの件、よろしく頼む」

「判った、まかせろ」


 陸郎と左近は強い視線でお互いを見た。

 陸郎は誰にも見つからないように注意しながら、国屋敷を後にした。


(――しかし、父上がお亡くなりになっているとは……)


 陸郎の胸中は痛んだ。


(そよに伝えるのが…辛い)


 陸郎はつけられていないかを注意しながら、大きな道を避けて細い道を選んで帰ってきた。療養場に戻ったのは、もう陽が落ちようとしている頃だった。


「私だ、戻ったぞ」


 陸郎はなかにいる、そよに呼びかけながら小屋に入った。

 しかし返事はない。


 静すぎて、人の気配が全くなかった。

 陸郎は慌てて小屋を見回したが、そよはいない。


(――蛍庵先生が、よそに移されたのかもしれん)


 陸郎は飛ぶように走り、蛍庵の処に赴いた。


「蛍庵先生!」


 血相を変えて飛び込んできた陸郎に、蛍庵は異変を感じたようだった。


「どうしたい?」

「先生、そよがいません。先生、どちらかに移されましたか?」

「いや、俺は何もしちゃいない。すると――」


 陸郎は愕然とした。

 自分が出ている間に、そよは拉致されてしまったのだった。


(いや――)


 陸郎は思い直した。


「……いや、さらう必要が向こうにはない。どうして斬っていかなかったんだ?」

「俺たちの他に嬢ちゃんの居場所を知る者はいねぇ。お前さん、誰かに嬢ちゃんの居場所を話したかい?」


 蛍庵に訊ねられ、陸郎は呆然と呟いた。


「……左近?」


 陸郎は猛然と走り出した。

 手掛かりはそれしかない。陸郎は人目につくのも構わず、国屋敷へと一直線に向かった。


(まさか――左近が…) 


 迷うことなく、裏城戸から中庭を抜けて左近の居室へ向かう。

 ――と、陸郎はその開かれたままの襖の奥で、堀田左近が血を流して倒れているのを見つけた。


「――左近!」


 陸郎は駆け寄った。

 部屋に上がり込み、左近の身体を起こす。


 左近は腹部を一閃され、その上に心臓を一突きされたようだった。


「左近! しっかりしろ!」


 陸郎が声をかけると、左近はうっすらと目を開け、意識を取り戻した。


「……陸郎か」

「左近、しっかりしろ! 誰にやられたんだ!?」


「…月代抜宗……」


 陸郎の背中に冷たい戦慄が走った。


「月代――奴か……。左近、そよの居場所を話したのか?」

「…奴には話してない。だから斬られた……」


 左近は陸郎に、苦笑してみせた。


「そうか……しかし、そよがいなくなってしまった。左近、何か知らないか?」


 陸郎は苦渋のなかで、息も途切れがちの左近に問うた。すると左近は口を開いた。


「そよを連れ去ったのは……達彦だ――」

「達兄が? 何故? ――いや、生きていたのか」


 事態を把握しかねている陸郎に、左近は喘ぐ息のなかで説明をした。


「月代が来る前に、達彦が来た……。俺は、お前から聞いたそよの居所を話したんだ…」

「しかし――何故、達兄は私に黙って、そよを連れ去るような真似を?」


 左近はふっと、陸郎に向かって寂しげな笑みを見せた。


「お前――達彦が、そよに惚れているのを、やはり知らなかったんだな……」

「なんだって? ――しかし、まさか………」


「……達彦とそよは、実は本当の兄妹じゃない。そよが三つの時に、ご家老様が親を流行り病で亡くした家臣の娘を養子として引き取ったんだ。お前は知らなかったかもしれんが、達彦は知っていた……。多分、そよも知らなかったろうがな……」


 ぐっ、とむせ返ると、左近は血を吹き出した。


「――左近、もういい、判った。もう話すな」

「いや……俺はお前に言わなければいけないことがある……」


 左近はゆっくりと陸郎を見た。


「すまない――。黒川たちに、そよの輿入れを洩らしたのは俺なんだ……」

「――_」


 陸郎は驚愕し、言葉を失った。

 左近は苦しそうな声で、さらに告白を続けた。


「事の発端は……俺が国の金を使い込んだことだ………。江戸勘定役として幕府の重鎮などを葦原などで接待しているうちに、俺は葦原で一人の遊女に惚れ込んだ。その女に会うために国の勘定を誤魔化し、金を女につぎ込んだ……。


 それがある日、達彦に知られた。俺は内密に取り計らってくれるように頼んだが、額が額だ。誤魔化しきれるものではない、全てを公にして相応の処罰を受けるしかない、と達彦は厳しく俺に言った。


 ――その時、俺の脳裏に一つの案が浮かんだんだ。俺はそよの輿入れの話を内密に知らされていた。と同時に、そよに惚れている達彦の心根も、うっすらと知っていた。俺は達彦に囁いたんだ。


『お前、そよが稚児狂いの将軍に嫁いでもいいのか?』と。


 達彦が動揺したのが判った。俺は身を守るために必死だった。


『そんなに惚れているのなら、二人で遠国ででも暮らせばいい。金は俺が工面してやる』と……。


 達彦は最初、そんな事ができるはずがない、とかぶりを振った。だが、俺が金を細工して流用してやる手はずを話すうちに、その気持ちが揺らいだんだ…。


 結局……達彦は俺の話に乗ったんだ……。そよを輿入れさせる道中、黒川の一派に襲撃されたように装い、二人は金を持って西国へ逃げるつもりだったはずだ……」


 陸郎は左近の話に、言葉を失っていた。


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