刺客・鳥山五郎太
陸郎とそよは山を下り、中山道へと辿りついた。
そのまま中山道を南下すると、諏訪へと抜ける。
二人は視界の開けた峠の茶屋で、眼下に広がる諏訪湖を眺めながら休憩した。
諏訪湖は表面が凍りつき、真っ白な姿を見せていた。
その凍った湖面に、一本の亀裂が長く入っている。
「湖の表面が割れているようだね」
「本当ですわ」
そよもくたびれた足を休めながら、湖の様子を眺めていた。
「――あれは『御神渡り』ですよ」
茶屋の婆やが、そう教えてくれた。
「おみわたり?」
「ええ、神様の歩いた跡ですよ。あれで豊作、凶作を占いますんで」
婆やはそう言って、人懐っこい笑顔を見せた。
二人はしばらく、その悠然とした景色を眺めた。
(我らの歩く道にも、神の加護があるとよいが――)
陸郎はぼんやりと、そんな事を思った。
二人はそれから湖の方に降りていき、途中で諏訪大社へと参拝をした。
諏訪大社は古事記によると、国譲りに関わった神が祀られている。
天照大御神の命を受けた建御雷神は、出雲の国の大国主神に国譲りを迫った。大国主神は子の事代主神にその決定を預けたが、事代主はそれを承諾した。すると今度は大国主神が「自分にはもう一人、子がいる」と言ってるところに、千人引きの大岩を持った建御名方神が現れた。大国主神は子である建御名方神に国譲りを預けたが、建御名方神は建御雷神に力競べを臨んだ。
しかし建御名方神が建御雷神の腕を掴むと、その腕が氷や剣に変わり、建御名方神は恐れをなして退いた。建御雷神はさらに葦を掴むように、建御名方神を無造作に掴んで投げたので、建御名方神は科野の諏訪まで逃げてきて、そこで命乞いをしてこの地より動かないことを約束した。それにより天照大御神の芦原中国平定が完了したのだった。
諏訪大社はこの建御名方神を祀る神社である。この日本の『相撲の起源』とされる神話を、陸郎も曇安和尚から聞いて知っていた。
(負けた側とは、げん(・・)が悪いだろうか――)
陸郎はふと思ったが、それを思い直した。
“負けた側にも、居場所が必要なのじゃ”
空斎の言葉を、陸郎は思い出したのだった。
(勝ち負けより、神としてそこに在ることに参っていこう……)
陸郎はそう思い、そよと一緒に諏訪大社へと立ち寄った。
神社前の甲州街道の起点には茶店や土産物屋が並び、人々が集まる賑わい場所だということが見て取れた。神社に入ると、やはり多くの人が参拝に訪れている。
すぐに神殿の巨大なしめ縄が目に入り、その珍しさに陸郎もそよも目を見張った。
本殿に向かい、陸郎とそよは参拝した。
手を合わせ祈る。
陸郎は、この江戸行きが無事に着くように祈った。
隣のそよも静かに手を合わせ、目を閉じている。
目を開いたそよに、陸郎は言った。
「この旅が無事に着くように祈願した」
陸郎の言葉を聞いて、そよが応える。
「わたくしは……陸郎さまのご無事をお祈りしました」
陸郎はなんとも言えない気持ちになった。
「無事でなければいけないのは……そなたなんだぞ」
「でも……」
陸郎は苦笑した。
「では、参ろうか」
二人が本殿に背を向け振り返った瞬間、陸郎は人ごみのなかにこちらを見つめる眼を見つけた。
鳥山五郎太であった。
「鳥山さん……」
絶句する陸郎に向かって、鳥山五郎太はゆっくりと歩いてきた。
二人の前まで来ると、そよに向かって一礼した。
「鳥山さん――何故、ここに?」
陸郎は五郎太に言った。
五郎太は陸郎を見ると、穏やかに口を開いた。
「判っているでござろう」
「では――貴方が刺客……?」
「左様。お二人の命を貰い受けるように命じられております。残念ではあるが、仕方ありませぬ」
五郎太は淡々と言った。
陸郎は穏やかな五郎太の振る舞いを見て、語勢を強めて口を開いた。
「鳥山さん、私たちが狙われるいわれはありません。無用な果し合いは止めましょう」
「いえ。――それはでき申さぬ」
五郎太は残念そうに首を振った。
「主命を果たすのが武士の務め。上役の命は、主君の命と心得てござる」
「我らには斬られるような罪はない! 鳥山さん、判って下さらないのですか!?」
陸郎は必死に訴えた。
五郎太は陸郎の顔をじっと見つめた。
「詳しいことは判らぬ。ただ『国の大事』のために斬れ、と命ぜられておる。仕方ありませぬ」
「『国のため』ならば――貴方は、何の罪もない娘を斬るというのですか?」
「罪のあるなしは我の知らぬこと。拙者は命ぜられたことを信ずるのみ……」
「そんな! 貴方は――自分で理由も判らずに人を斬ろうというのですか!」
陸郎の批判にも、五郎太は動じた気配はなかった。
「元より――判ろうとは思ってませぬ。何のために何をするかは、上が考え決めること。拙者はその命を忠実に守るだけでござる」
「鳥山さん……」
陸郎は五郎太の迷いのない態度に、どれだけ言葉を尽くしても心変わりの気配はないことを悟った。
五郎太は口を開いた。
「観念めされ、久澄どの。――ここでは人目につきまする。近くの寺に後見を頼んであります。おいでください」
五郎太はそう言うと、背中を見せて歩き始めた。
そのまま逃げることもできたかもしれない。
が、陸郎はそよを近くの茶店に座らせて言った。
「ここで待っていてくれ」
「陸郎さま……」
そよは涙のにじんだ瞳で、陸郎を見上げた。
「鳥山さん――そよ殿をここに待たせます。よろしいですか?」
五郎太はゆっくり頷いた。
「待っていてくれ」
陸郎は再度、そよにそう言うと、五郎太の後についた。
二人は一軒の、広い中庭のある寺に着いた。
誰も出てこないが、気配はある。
「どちらが死んでも弔いができるように頼んである。――娘ごの分も」
五郎太はそう言った後、中庭の端に立った。
もう一方の端に、陸郎が対峙する。
二人は刀を抜いた。
五郎太は『山の上段』。
陸郎は下段に構える。
五郎太が間を詰めた。
陸郎は以前、五郎太に敗れている。だがもはや陸郎には、相手を恐れる心はなかった。
五郎太の山の上段には一分の隙もなく、圧倒的な気迫で陸郎に迫った。
だが陸郎は、風に枝葉を揺らす大樹のように、その幹は動じることがない。
(――大きい……)
五郎太は、静かな陸郎の姿に瞠目していた。
(これほどの使い手であったか? いや――)
そんな事はない、と五郎太は思いなした。
が、すぐにその考えを捨て、目の前の陸郎を見据えた。
(以前は以前――今の相手に、気を集中するのだ)
「ムンッ」
五郎太は気合を入れて、さらに陸郎を威圧した。
陸郎は静かな佇まいを崩さない。
しばしの間。が。
鳥山五郎太は気合とともに、上段から斬りつけた。
――一瞬で、勝負が決まった。
「……見事でござる」
腕に血の線が入るなりそれは元から離れ、切断された右手が柄を掴んだまま、刀の切っ先がポトリと地面に落ちた。
――残雪――
陸郎は秘太刀を使ったのだった。
五郎太の上段からの斬りつける機を読み、左真半身で懐に入り身しつつ、陸郎は右手を柄から離し、左手を上方にかかげる。
切っ先が落ちてきた刀の峰に右手を添え、相手の落ちてくる腕に静かに寄せた。
鳥山五郎太が空を斬った瞬間に、その刃筋に沿って降りてきた五郎太の腕は、自らの勢いと重みで切断されたのだった。
右腕を失った五郎太は少し後ずさると、晴れやかな笑顔を見せた。
「――斬りつけた瞬間に、久澄どのの姿を見失いました。こんな事が起こるとは……なんという技でござるか?」
「残雪、といいます」
「残雪……」
五郎太は味わうように、その名前を自分の口で繰り返した。
「美しい技でござった……。これほどまでに美しい剣の世界があること、今まで知りませんでした――。拙者は、満足しました。悔いはありませぬ。さ、久澄どの、とどめを刺しなされ」
五郎太の言葉に、陸郎は首を振った。
「それには及びませぬ。もう、勝負はついています」
「なんと……」
五郎太は驚きの声を洩らした。
「鳥山さん、失礼します」
陸郎は一礼の後、きびすを返して立ち去ろうとした。
「ムンッ」
その時、背後で鳥山五郎太が短い気勢を放った。
陸郎は振り返った。
そこで目にしたのは、その場に座し、左手に持った脇差を腹に突きたてている鳥山五郎太の姿であった。
「――鳥山さん!」
陸郎は絶句した。
「鳥山さん……何故そんな――」
「ム……」
五郎太は苦しそうに一つ唸ると、穏やかな表情を向けて陸郎に言った。
「拙者のような身分低き者が重用されたのは、ひとえにこの剣技のおかげ。それを無くしたとあらば、もはや拙者は用の役にたちませぬ。そのまま国でみじめな姿を晒して生き続けたならば、家名の恥となり、倅の将来にも害をなすでしょう。
しかし拙者は久澄どのとの戦いに、少しも恥じるところはござらん。立派に戦い、見事に散ったとあれば、息子も誉れと思うてくれることでしょう。――ここが、引き際でござる」
鳥山五郎太の眼に迷いはなかった。




