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そよの涙

「ならば、何故、人は剣を持つのか?

 ――応仁の乱の前まで、戦をするのは各武家に属する武士だけじゃった。じゃが応仁の乱の前後、兵法もろくに知らぬような多くの雑兵が『足軽』として戦に出るようになった。この足軽たちは戦もするが、もともとが流民じゃ。その場で略奪をし、乱暴を働いた。戦がない時は野盗となった。


 世は乱れ、生き馬の目を抜くような時代が続いた。人は戦場以外の場所でも、自らを守らなければならなくなった。常に携帯できる剣は、己が命を守る最後の頼りとなる。百姓たちですら、自らを守るため剣を持つようなことがあった。


 そもそも戦場において大きな働きをする猛将と、剣での戦いで精妙な技を見せる剣豪とは、戦いの質がまったく異なっておる。戦場では大勢が入り乱れ、精神は集中よりも拡散のほうに傾いておる。どれだけ戦えば終わるということはなく、戦う時間には前もった限りはない。


 こういう中で存分に戦えるのは、長い武器を長い時間振り回せる体力に優れ、できればその姿だけで周囲を威圧できるような偉丈夫である。


 これに対し剣での戦いは、多くは一対一か少人数の戦いであり、そこに居合わせた者のみで戦いが終わり、体力よりも精妙な技を駆使できることが重要となる。人を威圧せぬ見かけのほうが、むしろ勝敗に有利に働くことすらあるのじゃ。


 剣の上手が戦場で目立った功をなしたという話がないのも当然なのじゃ。そして剣の上手になるためには、お前がしたような時間をかけた修行が必要じゃ。これはある程度、泰平の世でなくてはできんことじゃ。――剣の道はむしろ、戦を拒んだところにできる」


 空斎は静かに、陸郎に目線を移した。


「剣は本来、命を守るものである。そして剣が斬るのは、己が弱き心じゃ。……判るな?」

「はい」


 陸郎は静かに応え、空斎も頷いた。


「では剣を取れ。夜の稽古はより心を研ぎ澄ます。ただし、あまり昂ぶらせるな」

「はい」


 そういうと二人は、刃引きの剣を持ち、満月の下で向き合った。


 陸郎は青眼、空斎は下段に構える。

 月明りが二人の剣に光る。


 陸郎は激しさを保ちつつ静かに、澄んだ水のように心を開いた。

 心の鏡が、空斎の姿を映し出す。


 対する空斎は――また鏡。


 二人は互いに映し合いながら、静かに間を詰めていった。

 ふと、二人の歩みが止まる。


 陸郎は「心を静める」という意すらなく、ただ明鏡止水の境地でそこに在った。

 どれくらいの時が二人の間に流れたのか、誰も判らない。


 が、やがて陸郎が僅かに動いた。

 と、空斎が動く。


 ほぼ同時に、陸郎もさらに動いた。

 そして――勝敗は決した。


 空斎の下段からの突きに入り身しつつ、陸郎は奥に短く持った剣を空斎の喉元に止めていた。


「――よし」


 空斎が身体を戻しながら、深く頷いた。


   *


 年が明けてから、そよは自分で歩いて湯場まで歩き、陸郎はそれに同行していた。

 次第に穏やかで暖かい日が増え、周りの雪が溶け出していた。


 山道を歩いていた陸郎は、前を歩くそよがあげた声に足を止めた。


「あ、陸郎さま、あんな処から水が」


 見ると山肌に現れた岸壁の亀裂から、水が溢れて流れ出している。


「雪どけ水が溢れてきたのだな――もう、春だ…」

「――」


 陸郎の言葉に、そよは驚きと切なさの入り混じった表情を見せた。

 そよは目を伏せた。


「……わたくし、江戸へ行きたくありません」


 陸郎は何も言えずに、ただそよを見つめた。

 そよは顔を上げた。


「わたくしが斬られるのが恐いんじゃありません。――陸郎さまが戦うのが……恐い」


 そよの切なげな表情に、陸郎は噛みしめるようにゆっくりと言った。


「空斎先生に剣術を教わり、奥伝のところまできた。……どこまでできるのかは判らないが、私はそなたを命を懸けて守る。必ず、そなたを江戸に送り届ける」

「陸郎さま……」


 そよは小さく呟いた。

 それから二人は黙々と湯場まで歩いた。

 そよを入り口で見届けると、陸郎は(むしろ)を敷いて、そこで座禅を組んだ。


 陸郎は静かに瞑想した。

 やがてしばらくの後、陸郎は背後からやってくる気配に気づいた。


(あがってきたか)


 陸郎はそよの足取りを感じながら、足組を解いた。


 ――不意に。

 寄り添ってきた熱い身体の感触が、陸郎の背中へと伝わってきた。


「――陸郎さま…」

「そよ殿………」


 陸郎は突然の出来事に、言葉を失っていた。


「わたくし……わたくし、やっぱり他の人に嫁ぐのは嫌です――_」


 陸郎のすぐ耳元で、そよの涙声が響いた。


「ずっと幼い頃から……わたくしは、いずれ陸郎さまの元に嫁ぐのだと、そう思い定めてきました。陸郎さまが春日の家を出たのも、いずれ父上がそう取り計らってくれるものと――。わたくしはずっと………陸郎さまのことを……」


 そよの震える声が、陸郎の胸を締めつけた。

 陸郎は思わず振り返り、そよの肩を掴んだ。

 そこには涙に濡れた、そよの悲痛な顔があった。


「そよ殿――」

「陸郎さまは……わたくしがお嫌いですか?」


「そんなはずあるまい」

「わたくし……陸郎さまと空斎先生が話しているのを聞いてしまいました………。陸郎さまも、わたくしのことを想ってくれていると知って――」


 そよは潤んだ瞳で陸郎を見た。

 胸がただ苦しくて、陸郎は何も言えなかった。


 そのまま抱きしめたくなる衝動を、陸郎は懸命に堪えていた。


「陸郎さま――このまま、わたくしを…何処か遠くに連れて行ってください……。わたくしは、陸郎さまのお傍なら、何処へでも行きます――」


 そよは涙に濡れた瞳で、真剣に陸郎に訴えた。


(こんなにも――)


 自分を想ってくれている、そよが愛おしかった。

 だが陸郎は、苦しみながら首を振った。


「……駄目だ」

「どうしてです!」


 そよが悲痛な声をあげた。

 陸郎は悲しみを堪えながら、そよに言った。


「達兄がどんな想いで我らを逃してくれたか、考えなんだか?」

「――」


 そよは俯いた。


「……達兄の想いを無にして我らだけが逃げたとて、そんな我らが何処で幸せになれるであろう?」


 陸郎の言葉に気づかされたように、そよははっと顔を上げた。


「陸郎さま……」

「そよ殿――判ってくれ」


 陸郎の言葉を聞くと、そよは不意に立ち上がって表へと歩いていった。

 そよの背中を追って、陸郎も表へと出る。


 そよは表に出た処で、背中を向けたまま両手で顔を覆っていた。

 そのそよの背中を、何も言わずに陸郎は見守っていた。


 やがてそよは振り返ると、涙の跡の残る顔で笑みをつくってみせた。


「――判っておりました、わたくしだって…」


 陸郎は、切ない想いでそよの作り笑顔を見つめた。


「ただ少し……少しだけ、夢をみたかったのです…。それだけですわ。――けど、もういいのです。我が侭言ってごめんなさい、陸郎さま」


 そよは悲しみのなかで、微笑を浮かべた。


(――これ以上、ここにいても辛いだけだ)


 陸郎は、不意に思い定めた。


「そよ殿、江戸へ発とう」


 そよは、陸郎の言葉に小さく頷いた。


「……いつになさいますの?」


 陸郎は少し考えた。


「――明後日。空斎先生には私から伝える」


 小屋に戻ると、空斎が庭に出ていた。


 そよは泣き顔を見せないように、そそくさと離れに入った。


 二人の様子を見て、空斎は変化を察していた。


「空斎先生」


 陸郎は空斎に声をかけた。

 じろり、と空斎が見る。


「――江戸へ発とうと思います」


 無言で空斎は頷いた。


「明後日の朝、発ちます。それまでに、最後の稽古をお願いします」


 陸郎は頭を下げた。


「うむ」


 空斎はそれだけ応えると、その日の稽古を陸郎につけた。


 翌日、空斎は庭の隅の小池のほとりに陸郎と立った。

 空斎は陸郎を正面から見据えて言った。


「お前に、秘太刀の一手を教える」

「はい」


 陸郎は礼をして応えた。


「――雪が溶けかかっておる」


 空斎は小池の方を見て、その周りの残り雪を指さした。


「下が溶けた雪は支えがないまま、今、池の上にひさしのように張り出しておる。しかしもう少し溶けてくると、自らの重みで下に落ちる。見よ」


 空斎は小池の一角にある、池の上に少し張り出して残る雪の箇所を指さした。

 少し見ていると、その張り出した部分が崩れ、雪は水面にポチャリと落ち、溶けた。


「秘太刀の名は、『残雪』」

「残雪――」


「相手を斬るのではなく、ただ斬ってくる相手の腕に太刀を添えに行く。相手の腕は先ほどの雪のように、自然に落ちる。そういう技じゃ」


 陸郎は秘太刀の凄みに、密かに震撼した。

 空斎は静かに続ける。


「……これは、相手を選び、相手を知る太刀でもある」

「というのは……?」

「相手が本気で、迷うことなくこちらを斬ろうとすれば、その腕は落ちる。じゃが、迷いや躊躇いがある時は、途中で止まる。――この技は、相手の真意、覚悟を知る太刀じゃ」


 陸郎は深く頷いた。


「では、今からそれを伝える」


 空斎はその日、陸郎に最後の稽古をつけた。



 稽古を終えると、空斎は母屋の部屋に、陸郎一人を呼び入れた。

 改まって向き合って座ると、空斎は厳かに口を開いた。


「わしの名は行方(ゆくかた)元恒(もとつね)。以前は加賀前田家の家臣だった者である」

「――そうでしたか」


 陸郎が驚きの色を見せると、空斎は頷いた。


「わしがまだ若かった折、国に剣術を教えながら諸国を旅する剣士がやってきた。名を神後(じんご)伊豆(いずの)守宗(もりむね)(はる)――わしの師である。宗治どのは『神陰流』を名乗っていた。城下の腕自慢が小手調べに立ち合いを申し入れたが、ことごとく敗れた。そこで宗治どのの元には多くの弟子が集まり、わしもその中の一人だった。


 宗治どのは新陰流開祖、上泉(かみいずみ)伊勢(いせの)(かみ)信綱(のぶつな)様の高弟であり、自分の剣はそれを継ぐものであると語られた」


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