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陸郎の覚悟

 空斎はそれだけ言うと、興味がない、というようにまた歩みを進めた。

 陸郎は追いすがった。


「――しかし、先ほど先生は賊の命を奪うことなく、賊を追い払いました」


 空斎は足を止めて陸郎を見た。


「たわけが! ――人を斬り、己を斬れて、はじめて人を斬らぬことができるというもの。はなから人を斬る覚悟がなければ人に斬られるのが落ちよ。ぬしの腹の傷が、その証じゃろうが」


 まさに図星をさされて、陸郎は身のすくむ思いをした。


「……しかし、私はあの娘を……どうしても無事に江戸に送り届けねばならぬのです」


 陸郎はうちのめされる思いを味わいながら、なんとかそう口にした。


「お主は、あの娘の命が大事と申すか?」

「はい」

「なら、江戸になど行かせねば済むこと。国へ戻るか、二人で遠国ででも暮らせばよかろう。それができんのは、娘の命より、国の大事をとっておるからじゃ」


 空斎は冷たい表情で言葉を続けた。


「それほどまで役目大事ならば、お主一人で国元へ戻り、加勢を連れてくるがよかろう。運が良ければ――雪山を抜け里に戻り、国へ戻れるかもしれん。その方が国元連中の覚えもよかろうて」


 空斎は蔑視のこもった目でひと睨みすると、さっさと歩き始めてもう語ろうとはしなかった。

 後に残された陸郎は、力なく立ち尽くすばかりであった。


   *


 その日の夕餉の席で、そよは敏感にその雰囲気が変わったことを察した。

 それまでの日々の中で、食事の場はうちとけた雰囲気になってきていた。が、その晩は外の寒さが入り込んだように、場の雰囲気は凍り付いたまま気まずさが漂っていた。


 一言も口を聞こうとしない空斎の渋面は相変わらずだったが、その中に頑なさが入っているのをそよは見て取った。それ以上に陸郎の苦渋に満ちた顔は、このところ安らいだ表情を見せていた陸郎の心痛の深さを言わずもがなで物語っていた。


 そよと陸郎は離れに戻ったが、床をしいた後、そよは襖の向こうで陸郎が起き出して外へ出る気配を感じた。


(陸郎さまと空斎先生の間に、いったい何が……)


 そよはいても立ってもいられず、身を起して杖で身体を支えると、そっと扉まで近づいていった。


 扉を静かに開けて外を見ると、中庭に空斎と陸郎が出ていた。

 立っている空斎の前で陸郎は俯き、地面に少し足を開いて正座して、両手の平を地に着けていた。 


「――空斎先生、私は二親を幼い頃に亡くし、そよ殿の父君に引き取られ成人になるまで時を過ごしてきました。そよ殿の父上は私の父上……そよ殿の兄は私の兄でもあるのです。

 その兄が江戸から戻るという報せをそよ殿から聞いた日、村の百姓を襲った賊が現れました。私は追って木刀でその真剣を持った浪人と対峙したのです。


 ……勝てませんでした。危うく命を落とすところを、江戸から戻ってきた兄に助けられたのです。その時、その浪人が言いました。

『人を斬ってこそ武士』と――。


 その浪人の言葉、真剣勝負に臆したことに、私はそれまで学んできた剣の意味が見えなくなり、迷いを持つようになりました。

 そしてその迷いのまま試合で負け、そよ殿の警護の任に就き、ここでも腹を斬られ命を落としかけたのです。――私はそよ殿を守れませんでした。


 今回のそよ殿の輿入れは、父が決めたものです。そして兄は私たちを助けるため敵の足止めをしました。……今はどうなってるか判りません」


 陸郎はここまで話すと、俯いていた顔を上げて空斎を見た。


「空斎先生、私はそよ殿の命を守るのみならず、父、兄の恩に応えねばなりません。私が戻れればそれもよいでしょう。でも、私が山を下りられなかったら――そよ殿を江戸に送れないばかりか、そよ殿の所在を知る者もいなくなってしまいます。


 ――私は功名などいりません。私の命に代えても、ただ、そよ殿を無事に江戸に辿りつかせたい…。あるのはその一念だけです。これに嘘偽りはありません。

 空斎先生、どうか私に、剣術をお教えください」


 陸郎は地面に額をつけるように頭を下げた。

 空斎はその姿を黙って見下ろしていた。


(――陸郎様………)


 扉の隙間から外を覗いていたそよは、陸郎の思わぬ行動に驚いていた。


「――先生の技に、私の迷いを払う光を見出しました。お願いします、先生!」


 陸郎は平伏したまま、なお言葉を続けた。

 空斎はじっと陸郎を見下ろしていたが、やがてその口を開いた。


「――お主、あの娘に惚れておるのか?」

「――_」


 伏せた顔のなかで、陸郎ははっとなった。

 知らずのうちに上体が起きるなかで、陸郎は空斎の顔を見て答えた。


「……はい」


(――陸郎様!)


 扉の隙間から覗いていたそよは、その言葉に衝撃を受け、声が洩れぬように両手で口を覆った。


「そうか……自らの命を懸けても、また人を斬ることになるとしても、あの娘を守りたい、と」

「はい。それが必要であるなら」


 陸郎の決意は固まっていた。

 空斎に拒絶された後、自身の内を見つめ直し、考え抜いた末の覚悟であった。


「……あの娘も、お前のことを想うておる。流れ着いた時にも離さなんだあの手を見れば判るわ。あの娘を江戸に送るということは、お前の元から離れていくということじゃろう? それで、お前はよいのか?」

「はい。私はただそよを……全身全霊で守るのみです」


 陸郎は迷うことなく、はっきりと答えた。


(陸郎さま……)


 そよは扉の陰で、口を覆ったまま泣いていた。

 それが嬉しさによるものか悲しみによるものか、涙しているそよ自身にも判らなかった。

 そよは泣き崩れながら、自らの部屋へと戻った。


「――よかろう。お前にその覚悟があるのなら、明日から稽古をつける」

「先生!」


 陸郎は空斎の言葉を、歓喜の表情で聞いた。

 陸郎は深々と礼をした。


「先生、ありがとうございます!」

「――時にぬし、その名を改めて聞こう」


 空斎の問いに、陸郎は顔を上げて答えた。


「久澄――陸郎にございます」


 空斎は判ったと、いうように、ゆっくりと頷いた。


   *


 翌日から陸郎の稽古は始まった。

 朝餉を済ませると、空斎と陸郎は中庭に出た。


「これを取れ」


 空斎は手に持った棒のようなものを差し出した。

 陸郎はそれを手に取って眺める。


 手に持った感触は思ったより重く、表面には革がぐるりと巻かれていた。


「……これは何ですか?」

(ふくろ(じない)というものじゃ。割った竹を組み合わせ、革をかぶせたものじゃ。中には鉄棒が仕込んであるからそれなりに重さがある。気を抜かんようにな」


「――これで立ち合うのですか?」

「お前の今の技量を見る。遠慮はいらん。――来い」


 空斎はそう言うと陸郎から数歩下がり、撓を構えた。中断から少し斜めに、切っ先を左目につける(・・・)青眼の構え。

 陸郎は慌てて自分も八相に撓を構える。


 剣を耳後ろに立てる八相の構えは、既に剣を振りかぶった状態にある。そのまま一歩踏み出し、剣を振り降ろせば相手に斬りつけられる。


(う――)


 しかし、その一歩が踏み出せない。

 空斎のその目つき、その構えの姿に、陸郎は射すくめられていた。


(――何をしたらいいのか判らない)


 陸郎の頭の中は真っ白になっていた。

 迷い、というより、むしろ混乱である。


 浪人と対峙した時も、試合の時も、このようなことはなかった。

 威圧されるわけではないが、何をしようにも無駄、ということを事前に悟らせるような、完璧な姿の構えを陸郎は空斎の姿に見た。


「――迷うな、怯えるな。どうせ、今のお前にできることはない。捨身で来い」


 空斎は陸郎を見つめたまま、静かにそう言った。


(そうだ……今の私で土台勝てるはずなどない。精一杯ぶつかるのみだ)


「りゃあっっ!」


 陸郎は気持ちを切り替えるために一つ気合いを入れると、八相から空斎の首筋を目がけて撓を振り下ろした。


 と、その撓を振り下ろしきる前に撓は陸郎の手から払い落とされ、陸郎の首筋には空斎の撓が当てられていた。


「あ……」

「拾え。どんどんかかって来い」


 空斎はそう言って間合いをとる。

 陸郎は慌てて撓を拾うと、今度はがむしゃらに上段から斬りつけた。


 しかし次の瞬間、陸郎は空斎の姿を見失った。


(え?)


 と、自分の襟が後ろに引かれ、陸郎は背中から後ろに倒された。空斎は既に背後に回り込んでいたのだった。


(――こんな事が)


 野盗の一味の一人が同じように後ろに引き倒されたことを思い出しながら、陸郎は身体を起こした。


(あの時、相手は空斎先生の姿を見失っていたのだな……)


 陸郎は納得すると、さらに次々とかかっていった。

 ある時は倒され、ある時は小手を打たれ、ある時は撓を払い落される。


 陸郎の剣技は空斎の前では児戯のようにあしらわれるばかりだった。

 しばらくすると陸郎は息が上がり、足ももつれるくらいに疲労していた。


 それでもまだ陸郎はまだ撓を構え、空斎に向かっていく。

 ふっと目の前から空斎が消え、陸郎の撓が空を切った。


 と、いつの間にかすぐ横に空斎が身を寄せて立っている。

 腕を首元に差し入れられると同時に背後の足場を取られ、ぐらりと上体が揺らぐ。あと少しでも空斎が動けば、陸郎は手もなく倒れるしかない。完全に制された状態で、陸郎は空斎の声を聞いた。


「これまでじゃ」


 空斎が身を離すと、陸郎はがっくりと力が抜け、膝から崩れ落ちた。


「――今のお前の技量は大体判った。基本はできておるが、若さと力に頼りすぎじゃ。それを直していくがその前に――_娘を背負って湯場まで連れて行け」

「……そよ殿を、あの温泉にですか?」


 陸郎は息も絶え絶えに尋ねた。


「道は判るな?」

「はい」

「お前が入るんじゃないぞ。娘がつかったら、すぐに戻ってくるのじゃ」


 空斎はそう言うと、撓を拾い上げてすたすたと立ち去って行った。



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