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初期スキンな僕と課金勢

作者: けいとろ

これは筆者が最近思っていることである。

共感してほしいとは思うが、この考えを押し付けることはしない。

高校卒業後、僕は大学へ進学した。

高校から大学に進むと、自分と全く同じ進路に進むという人はもはやいなくなる。

高校までなら「幼稚園の時からずっと一緒」というような幼馴染的存在はたまに見かける。

しかし大学までずっと一緒という人には、いまだ出会えていない。

つまり言いたいことは、人が歩む人生の進路はさまざまであるということである。

自分より頭が良かったあいつが、もう社会人として働いているという事実や、自分より頭が悪かったあいつが難関大学に合格したなど言い出せばきりがない。

まぁとにかく、僕は無限にある人生の選択のほとんどを捨てて一つの進路に進んだ。

そしてこれからも目の前には数えきれない道広がっている。

もちろん目に見える道もあれば見えない道もある。





大学では、かたっ苦しい制服や集団行動的な制限がなくなり自由が広がっていると思っていた。

確かにそこには無数の「自由」が道端にいくつも落ちてあり、拾いたい放題だった。

しかしその「自由」を拾うことはできなかった。

その勇気が僕にはなかった。

環境が変化すると、人はすぐにその環境に慣れようとする。

カメレオンのようにその環境の色に自分を染めようとする。

いや染まってしまう。

そうなると今まで関りがあった人とは疎遠になる。

たとえ「友達」と格付けしていた人でも、だんだん「知り合い」となり、最後には「他人」と格が落ちていくような気がしてくる。


当時はこのメンバーが最強で最高だと思っていた。

本当に心の底から思っていた。

しかし、今振り返ればそんな思いは空想に過ぎず、そんなメンバーとは卒業以来顔を合わせていない。


ただ当時仲が良かった遺産として、ラインやインスタグラムはアカウントとしてつながっている。

時々あの頃は楽しかったなと当時の友達のプロフィールを見たりする。

当時のラインの名前はニックネームだったのに今やフルネームでおまけに漢字である。

めっちゃ変わっているやんこいつ。

こいつのアイコン彼女か?

こいつ誰や。

あ、こんなやつおったな!

いろんな感情が沸き上がる。

とても楽しいひと時。

しかしそんな反面、やはり人間は他人と比較してしまう生き物なのだろう、自分は成長せずに、

あの頃から全く変わっていない自分がモノクロで映る。

他人は良くも悪くも変わっている。

でも自分は、もはやあの頃の楽しかった当時を思い出すだけで全く変わっていない。

周りは髪色を変えたり、好きなことに打ち込んだり、挑戦したりしているのだろう。

自分の変わりようのなさに幻滅する。

自分はできる奴だけ思っていた。

しかし、実際になんでもやっていいよと言われると何もできない陰キャである。

自分には勇気がない。

「自由」というリスクを取れる度胸がない。

僕はその重みに耐えられない。

こんなことを日頃から思ってしまう。

助けてほしいものである。



あなたもこういった経験はありましたか?

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― 新着の感想 ―
昔は自分は小説家になれる才能が有るぞ、って本気で思っていました。 時間はいくらでも有りました。 勉強をしないのも自由。 だから小説に集中しました。 舐めていました。 10万文字を書く事自体しんどい…
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