2.天使みたいな…?
始業式とホームルームが終わればいよいよ生徒の時間。部活動だ。
校舎中のそこかしこで新入生をひとりでも引き入れようとぎらぎらした熱気が立ちのぼる。
僕が所属するバスケ部だって例外じゃない。早速着替えて体育館へ向かおうとしたところで呼び止められた。
「勇希、今日から新歓じゃん?今からチラシ追加でコピーして配っといてくんない?あんたなら客寄せになるっしょ!」
彼女は玲奈。僕と同じバスケ部で同い年とは思えないほどしっかりしてる。多分次の部長はこの子で決まりだ。
「じゃ、私他の準備やっとくからー!」
僕が返事をする間もなく玲奈は嵐のように去っていった。チラシ配りか。ちょっと気が重いけど………黙って機械的に手渡すぐらいなら僕でもやれそうだ。着替えは後にして職員室へと向かった。
新学期ということで職員室もどこか慌ただしい。近くにいた先生にコピー機を使わせて下さいとお願いをすると、やや面倒そうに応えられた。
「ああ、コピー機…今ちょうど紙切れちゃった所で。」
「はぁ」
「多分社会科準備室にいっぱいあるとおもうんだよね…一之瀬さん、ついでに持てる分だけ持ってきてくんない?」
社会科準備室といえばここからぐるっと向かいの部屋だ。なかなかの距離に面倒くさそうな僕を察したのか、先生が追加で畳み掛ける。
「お願い。先生いま手離せないのよ…。お礼にバスケ部のチラシ多めに刷ってあげるからさ。ね?」
面倒は面倒だがこの流れで流石に断る訳にもいかない。わかりましたと返事をして僕は準備室へと向かった。
ここら辺の教室はまとめてあまり使われておらず、薄暗く埃っぽい。校舎に響く喧騒からも遠ざかり、しんと冷えた不思議な空気だ。
がたん、静けさを引き裂くように物音がする。目的地のちょうど隣の空き教室だ。なんとはなしに覗いてみるとそこには─
「ちょっと待って!待ってってば、」
窓から射し込んだ光の中で女の子と何かが踊っている。踊っている?いや、あれは暴れているんだ。
落ち着いて見てみると暴れているものは猫で、女の子はそれをどうにか捕まえようとしているみたいだった。
「えっと、大丈夫?」
目の前の小さな獣に夢中の彼女はやっと僕に気がついたらしい。一瞬の驚きの後、彼女は言った。
「あっ扉!閉めて閉めて!はやく!」
「あっ…?うん!」
後ろ手ですぐに扉を閉める。確認した彼女は早口で僕に説明をした。
「あの、リボン取られちゃって、今取り返そうとしてるとこなんですっ」
なるほど彼女がハーフツインテールにしている頭には片方だけ赤いリボンが結ばれている。本来ならきちんと両側に結ばれていたんだろう。よく見ると猫の口からだらりと垂れた赤い物が確認できる。
「あれ細いから、飲み込んじゃったらやばいですよね?」
ちらりと不安そうにこちらを見やる彼女と初めて目が合った。
(─あ………)
可愛いかもしれない。かなり。
「あっ!」
彼女がそう叫ぶと同時に、猫は目にも止まらぬ速さで走る─何故か、僕の方に。
「えっ!?ちょっと、ダメ─」
全てがスローモーションだ。飛び掛る猫、驚いた表情でこちらに手を伸ばす彼女─やっぱり凄く可愛い子かも。そして、こっちに倒れて─
どん、と衝撃が背中に走った後、遅れてじわじわと体が痛みだす。幸い空き教室の机は後ろの方にまとめて下げられており、大惨事は免れたようだ。てかなんか重い…。
目を開くと、視界いっぱいに先程の女の子がいた。柔らかな髪が頬をくすぐる。目が離せない僕など素知らぬ顔で彼女は恐らく僕の頭の上あたりにいるのだろう猫を見ていた。
「あ、離した」
僕も首を捻って猫の方を見る。舌の棘に絡んでいたのだろう、猫は器用に前足と床にリボンを挟み口から引き抜くと、一度大きく伸びをして開いていた後ろの扉から出ていった。
「ふぅ………。」
安心したのだろう、僕の上で彼女が脱力し、重みが増す。同時に雲が切れて一等強い日射しが彼女にかかっていた影を消した。
大丈夫とか、どいてとか、怪我は無いかとか、言うべき台詞はいくつかあっただろう。それでも僕はただ彼女に見とれていた。
午後の日射しに照らされたその子の、ふわふわとした色の明るい長い髪。それを額縁にして華奢な体は少し大きめの制服に包まれている。胸元についたバッジは赤色。今年度の新入生の色だ。
白い肌はなめらかに丸みを帯び、薄桃色の頬を形作っている。まつ毛に縁取られた大きな瞳は惚けた顔の僕を映していた。
(天使………?)
すみれが聞いたら本当にドン引きしてくれるだろう、やや気持ちの悪い、それでいて率直な感想が出る。光の中で細かに舞う埃すら今はこの子を彩るようだ。ずっと見ていたい。けどそろそろ怖がられるだろうな─ぐるぐると渦巻く思考を打ち切ったのは彼女だった。
ぐっと顔と顔が近付いた。というか、近付いて、きた。長い髪がカーテンのように僕の周りを囲み、一気に視界が狭くなる。
「へ、」声とも吐息ともつかないなんとも間抜けな音が漏れた。それを聞いた彼女の唇はにっこりと弧を描き、目尻にはなんとも意地の悪そうな雰囲気が宿った。
「どうしちゃったんですかぁ?せんぱい………」
甘ったるい中にどこかピリピリと痺れるような響きをたたえてそれは響いた。何だろう、これは。
心臓がどんどん煩くなっていく。顔が熱い。
「なんでそんな顔するんですか………?」
ふふ、楽しそうに笑うその顔から目が離せない。彼女の細い指が僕の頬をついと撫で、ひんやりとした優しい感触に胸の奥の方がじんと痺れた。言葉が詰まって、何も出てこない。
「かーわい」
呆然としている僕をよそに彼女はふわりと立ち上がった。スカートを数度払うとこちらを見下ろす。ぞくぞくと微弱な電流のようなものが一瞬頭を走って消えた。
「立てますか?」
彼女が手を伸ばす。さっきまでのあの独特の雰囲気はすっかり消え失せ、ただこちらを純粋に心配するその顔にこちらも急速に頭が冷える。
「あ、うん大丈夫…」
頬のしつこい熱を振り切るように立ち上がる。
僕はただ床を見るしかなかった。心臓が落ち着くまでは彼女を見られない。床に揺れる陽の光をただ見つめていると、密かに彼女が笑った気がした。
やっとヒロイン出せて嬉しいです