note.73 そこに音楽はあるのだ。
「……はあー?」
さっきまで、出そうと思っても出なかった声が口から飛び出たことにも驚いた。
しかし「意味が分からん」と吐き捨てる前に、イデオは現在の己の体が人間の雄ではない、ということに気付いて血の気が引いていく思いがしていた。実際に青ざめていたかもしれない。
「ええ、そのまさかですよ、葛生出穂」
思考を読まれたかのようなタイミングで、カラス・ヴィーナスはにこりと笑いかけた。
「天使は単為生殖が可能です。私がそのように造りましたからね。但し、私がある合図を出してから、葛生出穂――エール・ヴィースの体は次代のエール・ヴィースを受胎する……産み落とせば、あなたの魂は放出されますし、その体は朽ちる。よってこのノーアウィーン世界には、救済の天使エール・ヴィースが再誕する。それだけのことです。簡単ですよね?」
イデオの頭の中には「倫理観!」という叫びが、でかでかとしたフォントで映し出された。
とはいえ、この体のことといい、そもそも地球は日本で生まれ育った人間とは倫理観が違うのも仕方がない。
(だとしても、はいそうですかと見す見す自殺行為的な妊娠出産をするほど俺は無欲じゃねえ。せっかく得た命と体だ。しかも自前のドラムセットを持ち込むことに成功している。音楽を持ち込むことにも……! この人生を失いたくない! もう二度と、絶対に!)
昔の葛生出穂だったらどうしていただろうか。
すぐ最近のようだが、そうも思えない。なにせ、己は異世界転生者だ。
キーロイの話では、ほぼノータイムで死んだイデオの魂は拾われ、エール・ヴィースに移植されている。それから馬の前ににんじんを垂らしたかのようにほいほいと忙しく仕事をこなしていれば、いつの間にかノーアウィーン世界の暦で二年間は過ぎ去っていた。
言われるがままに難題に立ち向かっていくのは、生前の(という表現もおかしいが)葛生出穂なら普段通りの日常だった。上司に無茶をおしつけられるのも残業も休日出勤も。
だが、己の中に欲が芽生える。
『俺とセッションしろ』
そこからこの世界にも音楽は鳴り響くのだと、砂漠のようだった心に水が染み渡るようにじわじわと気付かされ、思い知らされた。
今ならキングの言っていたことがわかる。彼はラーガはどこにでもあると信じている。ラーガとは彼にとって、きっと希望の音楽のことなのだ。
(こんな時、こんな場所でも、音楽はあるのか? アイツは……たとえ今の俺の立場でも歌うんだろうな)
「何を笑っているのです?」
カラス・ヴィーナスが不思議そうな顔でイデオを観察する。
「いや、確認をしただけだ。お前、カラス・ヴィーナスと言ったか。カラス・ヴィーナスは世界のどこにでも音楽はあると信じるか?」
「なんです……そのオンガクというものは?」
「いいから答えろ」
拉致され投獄され、挙げ句、身動きも発言についても意思を握られているというのに、いやに強気な態度のイデオ。カラス・ヴィーナスは美しい顔に怪訝を浮かべた。
「オンガク……そうですね、それが何かは想像つきませんが、私が在れといえばこの世界にそのオンガクとやらも存在するでしょう。また同様に、私が無いといえば存在しません。よって、このノーアウィーンにはオンガクというものは存在しない」
「お前は自分が全知全能の神かなにかだと思っているのか?」
「それに近いものだという自覚はありますよ。なにせ、このノーアウィーンを誕生させたのは私――カラス・ヴィーナスにほかなりません」
「ノーアウィーン創世の神が……!?」
これは厄介な相手だ。想定していたよりも。
イデオはそう思うと同時に、コイツさえなんとかなればキーロイも諦めるような、何かを起こせると確信した。
「ええ、いかにも。私が宇宙に発生した時、私はノーアウィーンを創りました。それは大変なことでしたが、今ではこのノーアウィーン世界のすべてが可愛い我が子……そこに異分子が突然にして現れたのです。私の怒りはもっともでしょう? 葛生出穂、わかりますよね?」
「いやわからん」
「なぜです!?」
「すべてが自分の思う通りにデザインできるなら、この世界にだって初めから仕様書や設計書も要らないだろ。必ずバグは出る。スーベランダンの職場でもそれくらいのものは存在していた」
俺の昔の職場には名ばかりの眉唾しかなかったが、と要らないことも口に出しそうになるが説明が面倒なので止めておいた。
「バグはあなたです、葛生出穂。どうして私を悲しませるようなことを言うのですか?」
「俺はアンタの子供じゃあねえバグだからだ。それとも、エール・ヴィースだったらそんなことは言わない、とでも?」
「ええ、ええ、当たり前です! 私の可愛い我が子が、母を悲しませるようなことをするはずがありません!」
憤慨する自称ノーアウィーン創世の神カラス・ヴィーナス。その姿は過干渉な母親かヒステリーを起こした乙女のようであった。
(コイツは自分を母親だというが、所詮ノーアウィーンという砂場遊びを楽しんでるただの少女だ。言動が物語っている。隙はどこかにある。自分の力と存在を過信しているところなんか特に……待てよ)
イデオは不自然な論理の切れ端を見つけた。
「エール・ヴィースが本当にお前の良い子ちゃんなら、お前のために完璧な仕事をしたはずだよな? 何故死んだ?」
「あなたが殺したのでしょう、地球人のあなたが。そして天使の体をのっとり、私の創ったノーアウィーンを掌握しようと……」
「地球人にそんな力はない。この世界の人間族よりももしくは貧弱だろうな。剣も魔法もチートもない、極めて地道で勤勉な種族だ」
「そんな馬鹿な……! だって、キーロイ様は――」
(やはり!)
キーロイはカラス・ヴィーナスという強大な力を持つ清純な乙女を、いいように使っている。
(あの腹黒ショタ爺め……そんなに機構へ自分の心証を悪くするのが嫌かよ。これだから役職のついた奴は保身ばかりだ)
エール・ヴィースの死因は業務上の仕方のない事故だった、というのがイデオに聞かされていたすべてだ。当時は、さして見ず知らずの他人の死に方など興味が無かったので詳しくは突っ込まなかったが。
(おそらく、エール・ヴィースは世界の裏側ともいえる【負の面】で魔物に襲われ命を落とした……あそこの魔物の数も凶暴さもこちら側である【正の面】とは段違いだからな。それ以外に命の危険が発生するようなところはあの仕事の中ではもう無いだろうし)
カラス・ヴィーナスはわなわなと唇を震わせ、真っ赤な顔でニゼアール・ヴィースの名を呼んだ。先程下がったばかりにも関わらず、ニゼアール・ヴィースは神の僕としてすぐさま参上した。
「お呼びでしょうか、カラス・ヴィーナス様」
「至急キーロイ様と連絡を取る支度を。お忙しいとおっしゃるなら、こちらから出向きます」
「仰せの通りに」
見れば見るほどニゼアール・ヴィースはイデオの、エール・ヴィースの顔にそっくりだった。それにカラス・ヴィーナスにも。その視線がちらとイデオと交錯したが、即外された。なぜだか悲しそうだった。
(そうだ、もうひとつカラス・ヴィーナスに確認したいことがあった)
しかしイデオの声は声にならず、またしても空気が喉から漏れただけ。せめてもの感情のやり場に舌打ちをする。
独房は地下にあるようで、カラス・ヴィーナスとニゼアール・ヴィースは階段を上がっていく音だけをそこに残し去って行った。次第に遠ざかっていく足音も聞こえなくなると、耳が痛いほどに静寂が訪れる。
蝋燭の灯りすらなく、ひたすら静かな部屋。身動きもとれず、意識だけが働き続けている。以前にもあった感覚だ。
それは、死。
(でも俺は今生きてる。……そうだ、この間旭鳴と作っていた新曲のことでも考えよう)
イデオは僅かに腕を動かして己を繋ぐ鎖を鳴らし、リズムをとった。
そこに音楽はあるのだ。
どもども土門拳、紅粉 藍です((⊂(`ω´∩)
カラス・ヴィーナスの正体について今回はようやく見えてきましたね。そして、あまねく宇宙の生物を観測する機構の中間管理職キーロイについても。「異世界のラーガ」における大事な転換点のエピソードでした。
しかしまあ、人の迷惑も顧みずに音楽やりたーい(・∀・)ってだけでキングくん召喚しちゃうイデオくん、こんなところでもイメトレしてるのヤバい奴ですね(;´Д`)これはうちの小説ならではの監禁リアクションではないでしょうか……?
てなところで、今回はこのへんで。
また次回~ノシ





