note.72 「とりあえず飯食っていいか?」
「ニゼアール・ヴィースって天使が言ってたんだ」
『エール・ヴィースは我らの長、カラス・ヴィーナス様の命において回収させていただく。これまでエール・ヴィースが世話を掛けた。彼の代わりに挨拶に参ったまで……それでは』
リッチーは宿泊所に突如として現れた天使について話した。
眠るイデオが心配なことと、出てきたエール・ヴィースという名前。そして天使族の長だというカラス・ヴィーナス。
「イデオはカラス・ヴィーナスが命令して攫われたんだ……!」
「でもよ、出穂さんが狙われてるのはキーロイだろ? 何で天使族に……?」
「キーロイからの追跡は、どうやったかは知らないけど、イデオが対策を打ったって言ってた。だから天使族と共謀したんじゃないかな……想像だけど」
それについてはキングもそう思っていた。
そうしなければ、キングが天使から狙われる筋合いもない。
「……俺もその、天使族から生け捕り、とか言って攻撃を受けたんだ。だから帰るの遅くなっちまって」
リッチーの瞳がぎゅっと絞られ揺れた。キングの手を握ったままだった肉球がぐっと押し付けられる。
「いいよ、遅く帰ってきたのなんか。……ちょとは怒ってたけど――、でも生きて帰ってきたんなら、もうなんでもいいよ」
「うん……サンキュ」
「キングとマックスに何があったのかも教えて。少しでもイデオを助けるための手掛かりが必要だ」
キングはゆっくりと頷いた。
「ゴレアン・ヴィースってやつが襲ってきたんだ。場所はスーベランダンの裏路地――金持ち連中なんか寄り付かないようなスラム街だ。そこに現場上司のミグさんに言われて配達に行ったんだ。そしたら届け先の建物からそいつが出てきた」
「そのミグさんって人は天使とグルじゃないんだね?」
「うん、全然。ミグさんは天使に怒ってた。キメラなんだけど、ドラゴンの血が絶やされたのは天使のせい、みたいな話してて」
「ドラゴンの末裔!? 天使族が龍族を滅ぼしたってこと? ……天使は何をしたいんだ……?」
「天使族が間引いたって言ってた。アイツらはほんっとに昔から生きてるみたい」
「それは神話っていうか、まことしやかに伝えられてる通りだね。間引いたってことは、やっぱり……カラス・ヴィーナスっていう長老が絡んでるのかな?」
「そこまでは言ってなかったかな。……――リッチーはあの音を聞いた?」
リッチーははた、と動きを止めた。
その当時は突然現れた天使に、イデオがあっという間に攫われた事実しか見えていなかったのだ。その出来事の間にも、そのあとも、リッチーの中で尾を引くのと同じようにあの音が響き続けていた。
「あの音はなんなの?」
己の中に怖れの感情を見つけた。当たり前に生きてきた世界の、新しい法則を見つけてしまった気持ちだ。
「ゴレアン・ヴィースって天使が言うに、おふくろの声だって。あれを聞くとどんだけ死にそうでも復活するんだ。なんもなかったかのように――俺達が帰ってこれたのはミグさんがゴレアン・ヴィースを引き受けてくれたからなんだ。でも……すげえてこずってた。だから、俺はあの音をゴレアン・ヴィースに届けにくいように、撹乱させるために歌った」
「……そんな……っ!」
「どうしたんだ、リッチー?」
キングにしては、それでも自分の力不足でミグを腐心させ、ミグの家族を傷つけてしまい、しまいには自分たちだけは無傷で生還したことが心を重傷にしていた。
それなのに、リッチーはその話をする前に世界の終りのような、絶望した表情を見せた。
「キングの歌は、音楽は……っ、そんなことのために使うもんじゃないッ……!! 誰かを助けるにしても、届けるのは、もっと違うものなんだよ!! なんでそんなことしたんだバカ!!」
(……俺の音楽のために、こんなに怒ってくれる人いるんだ、この世界には……)
もはやうっすらした色しか思い出せない富山の空の下で、萩原旭鳴のセンセイは語っていた。
絶対にお前にこたえてくれる道具がある。
(センセイ、応えてくれたのは仲間だったよ。楽器でも譜面でも、確かに音楽はねえよ。理解してくれる仲間だ、それが俺の――)
きっとイデオも似たような想いに眉を寄せるのだろう。
マックスはキングがそこで歌うよりも、キング自身を優先してくれた。
(やっぱり、俺はカラス・ヴィーナスに見せつけなきゃなんねえ。俺達の音楽を!)
キングの目の奥に、いつもの強い光が宿ったのをリッチーは見逃さなかった。
顔を見合わせ、二人は強く頷く。
そこにマックスも加わる。
「マックスもありがとう。キング守ってくれて……マックスは怪我してない?」
「ない。ボクは、お父さんと一緒にいる。リッチーも、一緒にいる。イデオもいた。イデオも、いるべき」
三人の話の中に、ようやくほんわりとした空気が戻ってきた。
そのテーブルにじとっと向けられた視線がある。ずっと会話を聞きながら入るタイミングを窺っていたジギーヴィッドである。
「擦り合わせは終わりましたか?」
「あ、ジギーヴィッドさん……すみません。キングからまだ話を聞くなら」
「いいえ、もう大体把握しました。結構です」
びしっと手のひらを突き出してリッチーを制止した。
ずっと内輪の話も聞かれていたのだと気づいて、なんだかリッチーは気恥ずかしくなった。口元をもにょっと歪める。
「イデオさんを攫ったのは天使族。キングさんとマックスさんを襲ったのも天使族。天使族の長はカラス・ヴィーナスという。その後ろにも……まだ何者かがいる。そういうことですか?」
「おお、すげーわかりやすい! 隊長さん頭もいいんだな!」
キングが素直に褒めたのに、ジギーヴィッドは呆れたかのように息を吐いた。
「当然です。私達は戦略を用いて戦うことも時には求められますから、即時状況把握をすることは大切です。――で、キングさん達はこれからどうするんです?」
食堂中の視線がキングに注がれている。
リッチーも、マックスも、キングの言葉を待っていた。
「え、俺が決めるんか?」
「そうだよ、バンドリーダー」
「お父さん、バンドリーダー」
キングはふ、と笑った。
それから頭を掻き、伸びをするように椅子から立ち上がる。
「とりあえず飯食っていいか? 食わなきゃ戦えねえだろ?」
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イデオが目を覚ますと、まず喉の渇きを覚えた。
しかしそれはすぐに間違った認識だと気づく。声が出ないのだ。ひっかかりなく空気だけが漏れる。
辺りを見回すと、どうやら自分は繋がれているようだ。明らかに独房といった造りの小部屋に押し込められており、意識が戻ってすぐに手首の痛みを感じた。ブーツを脱がされた足首には漫画でしか見たことが無いような錘が括りつけられている。
「カラス・ヴィーナス様、エール・ヴィースが目を覚ましました」
その声にイデオは聞き覚えがあった。あまり馴染みもないが。
「そのようですね、ニゼアール。あなたはもう下がってよいですよ」
「……ですが」
「この者がもはや私達の知るエール・ヴィースではなく、地球人と入れ替わっていることはわかっているのです。諦めなさい」
「……は、ではここで」
「はい、ご苦労でした」
鉄格子の向こうでやり取りが交わされている間に、イデオは何が起きたのかを思い出そうとぼんやりした頭をむりくりフル回転させていた。
確か、仕事からの帰り道だ。
庭園に入り、ここからまた長い道のりを歩かねばならぬと辟易していたところ、頭上から覚えのある閃光が落ちてきたのだ。少しばかり残業をして、怒っているだろうリッチーのことや献立のことを考えていたので、反応が遅れてしまった。
それから妙な音が頭の中に響いた。
(な、んだ……? 体から、力が抜けていく……)
辛うじて庭園の低植樹に体を預け、立っていたのに、視線が傾いていくのを止めることは出来なかった。そこで意識は途切れたようだ。
(――ということは、キーロイ陣営に拉致されたってことか……しくったな。旭鳴達が無事だといいが……)
泉のほとりに咲く小さく可憐な花のような微笑みを湛えて、カラス・ヴィーナスと呼ばれていた碧い髪の女が鉄格子に近寄ってきた。
「葛生出穂といいましたか……単刀直入に述べます。その体から出て行きなさい。もしくは――子供を産みなさい」
どどどどどーもー紅粉でございますm(__)m
少しずつですがキング達は個々に成長をうかがわせるところが出てまいりましたね(*´ω`*)ほんのちょっぴりですが、それでも前進し続ける彼らを見守ってあげていただければ幸いです( ˘ω˘ )本当に、キングは仲間に恵まれましたね。
それにしてもイデオはなんのこっちゃという状況で今回終えてしまいました。私は楽しいです。
それではここにて失礼。また次回~ノシ





