note.13 「キングのライブに来てください!」
「時は一刻を争う」
そう言われてしまっては、詳しく事情を聞いている暇もない。
ライブというものを催すためには広い場所が必要だ、と言われて、リッチーが咄嗟に思いついたのは、モルットの広場であった。
そこはいくつかの集落からなるモルット一族全体の持ち物で、大事な決めごとを行ったり、収穫祭をしたりといった催事場でもある。
広場までの道順を、リッチーは簡単にキングとエール・ヴィースに説明し、自分は集落の住戸ひとつひとつに声を掛けて回ることになった。
(あそこまでの道は山道だけど一本道だから迷わないはず……二人は足が長いから、到着までは早いだろうな)
リッチーは先程のキングとエール・ヴィースの話を反芻する。
「集められるだけのモルット族に音楽を聴いてもらおうと考えている。出来るか、リッチー?」
エール・ヴィースの言葉はまだ鵜呑みにはできない。だが、その名案には乗りたいとリッチーは思ってしまった。リッチーは自分以外の誰かにキングの音楽を聞いてもらうことを、まだ諦めていなかったのだ。
「僕は良いことだと思うけど……でもどうだろう。みんな聞いてくれるかな……」
「そりゃまた何でだ?」
キングは眉を顰めて少しぶすっとした顔をした。しかしこの件に関しては、キングは何も悪くはないのだ。
「暮らしが、みんな苦しくて……目の前の困難しか見られないんだ。今日の仕事、今日の食べるもの、今日の安心して休めるところ。ケガ人はいなかったか、具合の悪い人はいつ良くなるか、子供は泣かなかったか……自分達にすぐ返ってくるような出来事しか興味が無い。心にとっても余裕が無いんだ。新しい事をやってみよう、挑戦してみようって気持ちになれるほどに元気が無いんだよ」
ところが。
「それならうってつけじゃねえか!」
コロっと表情を変えて、手を叩いて喜びだした。
「リッチーが教えてくれた広場に来た奴は、俺がみんな元気にしてみせる。来なかった奴にも届くほど、俺がデケエ声で歌うからさ!」
「確かにキングの声はやたらデカイけど……」
「やたらって言うなよ!」
リッチーにはそれが本当にうまくいけば、と思う一方で、気掛かりもある。
「もし……それでも、みんなが元気にならなかったら……」
「心配は不要だ」
意外にもエール・ヴィースが口を挟んできた。
「俺もいる。萩原旭鳴がギターボーカルを、俺は後ろでドラムを担当する。音楽は、音楽する人数が増えれば力が増す、と俺は思う」
「そういうもんなの?」
「そういうもんだ。聴衆に音楽が届けば、受け取った奴も力に加わる。沢山の人に聞いてもらおう」
「そっか……」
「そうだぜリッチー!」
ぽん、とリッチーの小さな肩をキングが叩く。
「俺の歌を、音楽を信じてくれ! 俺が絶対、リッチーを助けるから……!」
「う、うん?」
助ける、と言ったのはたぶんリッチーの憂うモルットの未来のことだろう。
リッチーはキングの強い瞳に魅せられて、自然と頷いてしまっていた。
「……あのさ、キングは、キングなの?」
「は? 何言ってんだ突然?」
「だってさ、エール・ヴィースはキングのこと、なんか長い名前で呼んでるじゃない?」
エール・ヴィースの眉がぴくりと動く。しかしやはり表情が乏しく、どういう感情なのかリッチーにはわからなかった。
「ああ、そういうことね。俺の親からもらった名前は旭鳴だ。姓は萩原。でも、音楽やってる時は”キング”だ。歌ってギターを弾く俺はキングなんだ」
「ふぅん……よくわかんないけど、キングっていうのは何か意味がある言葉なの?」
「王様って意味だな」
「……へえ! そうなんだ……キングは王様!」
「……絶ッ対に俺は呼ばないがな」
ぼそっとエール・ヴィースがくぎを刺した。
「俺にとってキングはB・B・キングだ。絶対に譲らん」
「えぇー……まあキングって名前の巨匠は多いけどさ……それはそれで、これはこれでいいじゃん、別に」
「良くない」
リッチーには何の話かさっぱりだ。二人は勝手に小さな諍いを始めた。
(突然どうしてキング達がみんなにオンガクを聞かせたいって言いだしたのかは、今はどうでもいい。僕は、モルットのみんなにあのオンガクが必要だと、僕が思うから聞いてほしいんだ……! キングの歌を――みんなに!)
ある種の使命感を持って、次の戸を叩く。
昨晩の騒ぎで、中には興味を持ってくれる者もいた。けれども、見たことも聞いたこともないものに猜疑心を抱く者の方が圧倒的に多い。どれだけ言葉を尽くしても、音楽の良さは伝わらない。ライブの呼び込みは正直、難航している。
トントン――。木製ドアが鳴ってからたっぷりと時間を置いて出てきたのは、小さな子供を抱いた女性であった。子供はまだ喋ることができない年のようで、指をしゃぶってリッチーをあどけない瞳で見つめている。
「あら、リッチーくん。今日はお仕事は?」
作業着ではないリッチーを見て、女性は不思議そうに首を傾げた。
「今日はお願いがあって来たんです」
「何かしら? 主人ならまだ仕事の支度をしているわよ。呼んできましょうか」
「いえ、いいんです。とにかく聞いてください」
「はあ」
急く心を圧し沈めて、リッチーは一度口を閉じた。
(オンガクってなんだ……? 聞けばわかるのに――きっとみんなにもわかるのに、言葉にしようとするとどうしても理屈っぽくなっちゃう。そんなんじゃないのに)
きゅっと目を閉じて、今度こそ、と拳を握った。「怖い顔してどうしたの?」と女性は苦笑している。リッチーは自分の熱い胸を取り出した方が口で説明するより早いような気がして、既に断られたように悲しくなっていた。考えれば考えるほど、言葉は出ない。
「じ、実は、キングのライブに来てほしいんです。ご主人も、お子さんも一緒に、ぜひ!」
「きんぐ、の、らいぶ……?」
「オンガクです。キングっていう人間が聞かせてくれるんです!」
「ああ、噂は近所の人から聞いたわ。人間が来てるんですって?」
「そうです、キングっていうんです」
「その人間さんが、なんですって?」
「ぎたーをヒいて、ウタって、オンガクを僕達に見せてくれるんです! それがすごくって……胸がぎゅうってなったり、ドキドキしたり……村や山に籠ってたら出会えないすごいもの……特別なものなんです!」
「今日? 仕事を休んで?」
「はい! ぜひ!」
「オン……?」
「オンガク、です!」
「オンガクね……聞いたことがないものだわ。そんなにすごいすごいって言うけども、何がどうすごいの? それでうちの小さな子のお腹が満たされるの?」
「そ、それは……」
やっぱり、自分にはダメだ……。想像した通りの女性の反応に、リッチーは俯いてしまいたかった。
「今はとにかく働かないと立ち行かないのよ。働いて働いて……なんとかみんなで凌いでいく。いつか生活が良くなるまでは、そうやって協力して、支え合って、やっていくしかないのよ。その、何て言ったかしら。オンガク? お仕事休んでまでは、ちょっと行かれないわ」
女性は子供を抱き直しながら、家の中を気にしている。もう話は済んだ、とでも言いたげに。
(そりゃあ、《《うた》》を聞いてる間に仕事が終わってたり、お金が沸いて来たり……そういうものではないけど、でもきっと今のみんなに必要なものなんだ。だけど、何て言ったら伝わるんだろう……)
それでもリッチーには信じるものがある。音楽の力だ。それを見てもらわなければ、こんなことをやってる意味はない。広場ではキングもエール・ヴィースも待っているだろう。リッチーの脳裏に昨晩のキングの歌声がよみがえる。
大丈夫 大丈夫 大丈夫――
その時、傷だらけの男性モルットが女性の背後から現れた。片耳が破けている。
「こんな朝っぱらから何の用だ、リッチー? さっさと仕事行くぞ!」
キングの歌声を、男性の低くゴロゴロとした声が頭から追い払う。
彼はリッチーの同僚、顔見知りである。両親が亡くなってから、単独で発破を任されるまで、ずっとやって来た大人達の一人だ。
「今日は出荷のためのトロッコ増やしとけよ。レールの切り替えもな」
「ぅっ……」
モルットの日常がリッチーの体を包み込む。音楽が空中に溶けて行ってしまうみたいに、代わりにトロッコの車輪の音が、発破の爆発音と崩落の音、仲間たちの振るうツルハシの音が、耳から脳へ通り過ぎていく。
リッチーはそれらを振り払うように、叫んだ。
「ち、違うんですっ。今日はお願いに来たんです! キングのライブに来てください!」
男性は傷痕を歪め、少年モルットの小さな頭をギロリと睨む。
おはこんばんちわ、どうも、紅粉 藍です。
私の所属するマンドリン社会人団体が定期演奏会をやっと開催することになりました。
というのも、昨今のコロナ禍でみなさんもご存知の通り、ライブやコンサートが限られた条件下でしか開くことが出来ない日々がつづいておりました故、うちの社会人団体も感染症予防のため音楽活動の自粛をしていたのです。やっと仲間達と音楽(と酒)を楽しむことが出来るようになり、安心しました。
この回でエール・ヴィースが宣う通り、音楽は楽しむ人がそこに多ければ多い程力を増します。
また音楽で満たされた世界になりますように。
ではこのへんで。また次回~ノシ





