第7章 第4話 先生と生徒
「不登校になった生徒についての相談です。何やら良くない噂も広まっているみたいで…」
「わざわざ探偵に相談しようと思った理由を、聞かせてもらえますか?」
探偵である鼎は、真面目そうな教師であるレイリーから相談を受けていた。学校内で解決せずに探偵に持ち込むという事は、それなりに特殊な事情が絡んでいるはずだ。
「実は不登校の子が仮想空間の危険地帯に出入りしているみたいで…」
「学校側で対処できないレベルの危険地帯なんですか?」
鼎には心当たりがあったが、断定せずにレイリーに質問した。レイリーは持参した資料を読みながら、質問に答えた。
「その…ブラックエリアと呼ばれてるみたいですけど…ご存知ですか?」
「知っています…そこに出入りしてる人とも知り合いになりました。探偵として、立ち入り事も多いので…」
「ブラックエリア…どんな人が出入りしているんですか?」
「普通に女の子とかも出入りしてますよ。不登校になったのも、その子かも知れませんね」
「…その子の名前をお聞きしても、いいですか?」
「桃香・グリフィンです。私も彼女から、今は学校に行っていないと聞きました」
レイリーは急に衝撃を受けた様な表情になり、言葉が見つからないみたいだった。鼎は少し不安に感じたが、レイリーはすぐに落ち着いた。
「この子…です。本当にブラックエリアに出入りしてるんですね?」
「はい、私も一緒に行動した事があります」
レイリーはどうするべきか、かなり悩んでいる様子だった。やがて彼女は決心したらしく、顔を上げて鼎に頼んだ。
「桃香の、ブラックエリアでの様子を見せてもらえますか?」
ーー
レイリーは教師として、真摯に生徒に向き合う人物だった。空回りする事も多かったが、生徒や同僚からの評判はとても良かった。
桃香は不真面目な生徒だったが、レイリーは心配していた。何度か彼女と対話しようとしたが、ほとんど相手にされなかった。
「ボクに向き合って何してくれるの?一生遊んで暮らせる金くれるの?」
桃香はそう言ってレイリーのことを避け続けた。やがて不登校になってしまった桃香の事を、レイリーは心配し続けていた。
(仮想空間アナザーアース…)
過去の検診記録をチェックしていた彼女は、桃香が長時間アナザーアースにログインしている事を確認した。他の教員から健康に良くないと注意を受けていたらしいが、無視していた様だ。
(アナザーアースでなら、対話できるかも知れない…)
そう思いユーザー登録を済ませたレイリーだったが、予想以上に仮想現実が広かった事に驚いた。これでは、何処に行けば桃香に会えるのか分からない。
(誰かを頼らなきゃ…)
そう思ったレイリーは、アナザーアースでユーザー探しに協力してくれそうな人間を探した。その結果、仮想現実で活動している探偵がいる事が分かった。
(依頼…ここにメッセージ送ればいいのかな…)
レイリーはアドレスを公開していた探偵にメッセージを送った。その探偵が、桃香に関わってからブラックエリアに頻繁に出入りしている鼎だったのだ。
ーー
「桃香に会いたいという事ですね?」
「はい、私一人でブラックエリアに入るのは危険だと思ったので…」
レイリーも、ブラックエリアが仮想現実の無法地帯であるという事は調べていた。詳しい人と一緒に入らなければ、酷い目に遭うと察していた。
「まず、桃香に連絡を取ってみます」
レイリーは桃香に、依頼に協力して欲しいとメッセージを送ってみた。普段なら早くイエスかノーか返信が来るはずだが…
「デバイスを見れない状況なのかな…?」
「外せない用事があるのではないでしょうか。私もすぐに桃香に会いたい訳ではないので…」
鼎はこのまま桃香からの返信を待つべきか迷った。また後日、依頼人と桃香を会わせても問題は無いのだが…
「ブラックエリアの様子を、見せてもらえませんか?」
「…桃香と一緒の方が良いと思いますが」
ブラックエリアは無法地帯であり、かなりの危険地帯でもある。仮想現実の利用者になったばかりのレイリーを守り切る自信がない。
「桃香とは、どの様な切っ掛けで知り合ったんですか?」
「依頼でブラックエリアに赴く事になった際に、道案内をしてくれたんです」
「どんな依頼だったか、教えてもらえますか?」
「賭場の調査の依頼でした。誘拐されていた女の子を、助手や知り合いのプログラマーと一緒に救出したんです」
「そんな事もあったんですね…やっぱり桃香は、いい子なのでしょうか?」
「…いい子かどうかと言われると、大分怪しいですね。彼女なりのルールはあるみたいですが」
レイリーは鼎から聞いた話で、桃香は単なる悪人ではないと判断した。今すぐ会って表の世界に連れ戻す必要は無いだろう。
ーー
(リカ・アマミヤちゃんは現実ではマジメに学校通ってるんだな〜なるほどなるほど…)
その頃桃香は現実世界でリカの弱点となり得る情報を探していた。リカは桃香の予想に反して、真面目に学校に通っている少女だった。
(このデータをデバイスに打ち込んで…)
桃香はデータをコピーをせずに、デバイスに自分の指で入力した。コピーした場合、高い確率で記録が残ってしまうのだ。
(…さて、ハンターの事だしもう倒してるかな?)
そう思いながら、桃香はアナザーアースに再びログインした。
ーー
「では私はこれで…」
「待ってください、桃香からメッセージが来ました」
メッセージを確認した鼎は、すぐにレイリーに見せた。そのメッセージには賭場の座標だけ記されていた。
「これって…」
「ブラックエリア内の座標です」
桃香がアナザーアースにログインして、座標のメッセージを送って来た。この座標の場所に来て欲しい、という事なのだろう。
「ここに行けば、まず間違いなく桃香に会えます。行きますか?」
「行きます!どんな様子か、確認しないといけません」
レイリーの返答を聞き、鼎は彼女をブラックエリアへ連れて行く事になった。レイリーが怪我をしない様に、細心の注意を払う必要がある。
「くれぐれも軽はずみな行動はしないでください」
ーー
「ち、畜生…」
リカに追い詰められたハンターは、既にボロボロになっていた。リカは余裕綽々といった態度で、ハンターを面白そうに見ていた。
「耐えるね…助けは呼ばないの?」
「俺にも…プライドってもんが…」
ハンターはまだ立っていて、今度はデバイスを鎌に変形させた。リカは呆れた様子で、ボウガンを構えなおしていた。
「マジメに学校通ってる子が、こんな所にいていいのかな〜?」
リカの背後に立っていたのは、再びログインした桃香だった。不意を突かれたリカは驚いたが素早く距離を取って、有利な射程を維持した。
「戻って来たんだ…一度逃げ出したくせに」
「体勢を整える為の、戦略的撤退だよ」
リカは戻って来た桃香を前にしても、余裕を保っていた。ボウガンを用いた中距離での戦闘なら、負けるはずがないと思っていたからだ。
「良い子ちゃんのリカは、さっさと家に帰りなっ!」
ーー
「何だか地響きが聞こえて来ますが…」
「戦闘が発生しているのでしょう」
鼎はレイリーを連れて、足早にブラックエリアを移動していた。怪しいアバターと目を合わせない様にすれば、余計な危険を回避できる。
「ブラックエリア…思ったより怖い場所ですね…」
「今からでも戻りますか?」
レイリーの予想以上に、ブラックエリアは光が少ない暗い場所だった。だが彼女は先生として、桃香がどんな場所に来ているのかを知りたかった。
「戻りません。桃香の普段の居場所を、知りたいんです」
「では、注意してついて来てください」
レイリーも彼女なりに覚悟を決めていたので、逃げ出すつもりはなかった。鼎は桃香は無事だと確信した上で、賭場へと向かう。
ーー
「ここが賭場です!」
「随分荒れ果ててますね…あれは…」
レイリー達の前では、桃香とリカの戦いが繰り広げられていた。どうやら桃香の方が優勢らしく、リカは後退していた。
「ほらほら〜いい子ちゃんなんだからさっさと逃げたら〜?」
「こっちにも事情があるんだよっ…」
リカはボウガンで桃香の急所を狙うが、一発も当たらない。彼女が焦っているのは、誰が見ても明らかだった。
「隙だらけだね」
「なっ…しまっ…」
後ろに回り込まれたリカは、背後にいる桃香に反撃しようと必死になっている。こうなってしまえば悪循環であり、リカの敗北は確定した様なものである。
「おりゃ!」
「うあっ…」
桃香は直接、リカの背中に拳による強烈な一撃を叩き込んだ。仮想現実とはいえ、かなりの痛みに襲われるはずだ。
「よくも…これで、終わりじゃない…!」
そう言い残したリカは、アナザーアースからログアウトした。レイリーはその戦いの様子を、呆気にとられながら見ていた。
「ふぅ…あれ、鼎サン来てたんだ」
「今日はあなたに用がある人を連れて来たの」
桃香は鼎の隣にいる人物を見て、少し苦い顔をした。学校という場所や先生という人種に対して、いい思い出が何一つないのだ。
「ボクがここで何してるのか見に来たの?」
「タイミング悪いな。随分荒らされちまったよ」
桃香もハンターも、レイリーの事をあまり相手にしようとしなかった。表の世界の人間に、賭場の事など話したくないのだ。
「桃香さん、あなたは居場所が欲しくてここに…」
ドガアァン!
「また敵?!」
「ああ…今日は多いな。桃香、相手してやれ」
鼎は少し驚いたが、ボロボロのハンターは落ち着いていた。桃香は気乗りしていなかったが、落ち着いて相手の装備を確認する。
「あれは…unreal survivalの武器?!」
「その通り」
襲撃者はファンタジーの世界観に似合いそうな剣を持っていた。それはコスプレ用の小道具ではなく、少し振るうだけで衝撃波が放たれる代物だった。
「って、ドラファじゃん!何で?!」
「頼まれたから」
桃香に襲いかかって来たのは“unreal survival”のトッププレイヤーであるドラファだった。桃香は慌ててデバイスを銃に変形させて、距離を取った。
「頼まれたって誰に?!」
「それは言えない」
桃香は衝撃波をなんとか避けながら、弾丸を放つ。ドラファは弾丸を避けれず、ダメージを負っていた。
「流石に手強い…」
「こっちはルール無用の争いに慣れてるからね!」
最初は驚いていた桃香だったが、既に平静を取り戻していた。ドラファの方は全力を出している様子ではなかった。
「強いってのは分かったし、帰る」
「ちょ…待て!」
用は済んだと言わんばかりに、ドラファは逃走を始めた。桃香は追いかけようとしたが、連続戦闘のせいで体力が残っていない。
「桃香さん…あなたは…」
「あれ、まだいたんだ。見世物じゃないし、帰ってよ」
桃香は既にレイリーに対して、何の関心も抱いていなかった。レイリーはそれでも諦めたくなかったが、無意味だった。
「桃香さんは、どれ程恨みを買っているんですか?」
「そういうのに怯える人は、ブラックエリアにはいないよ」
桃香はレイリーを無視して、破壊された賭場の後片付けを始めた。レイリーはどう声をかけていいか分からず、ただ見ている事しか出来なかった。
「帰りな。桃香はお前の言うことなんか聞きたくないらしいぞ」
ハンターもそう言って、賭場の片付けを手伝いに向かった。レイリーは桃香の普段の様子を知って、呆然とするしかなかった。
「…満足しましたか?」
「はい…」
「この分だと、賭場の再建にはしばらく時間がかかると思います。説得するチャンスだと思いますが…」
「いいえ…あの子をどうすれば表の世界に連れ戻せるのか、今の私には分かりません」
そう言い残したレイリーは、ログアウトしてアナザーアースから去った。鼎はレイリーが目的を果たせない事を、予測出来ていた。
そして鼎も、賭場の片付けを手伝う事にした。