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渡利と国見の出会いからひと月程経ったある日。その日も二人は国見の祖父の「漁師小屋」にいた。渡利がこのひと月で作ったという「新曲」を歌い終え、国見がパチパチと拍手する。
「いーじゃん。最初に比べりゃアタシの前でもちゃんと声出てきたな」
「サキちゃん一人だし、さすがにもう慣れたから。でも他の人の前じゃ絶対ムリだと思う……」
「相変わらず自信ねーのには自信あんなー。なんかちょこちょこ噂にもなってるみたいだぞ。最近港で歌ってるやつがいるって。じーちゃんがな」
「えー? それはちょっと……大丈夫なの?」
「別に文句とかじゃなかったからな。周り家少ねーし。朝とか夜中でもないから。多少の音なら波がかき消してくれるしよ。てか波に負けてるようじゃダメじゃねーか」
「そこは負けといたほうがいい気が……」
「バーカ気持ちの問題だろ。でも漁師っつうのは朝はえーから寝てる時間も多少不規則だかんな。真っ昼間から昼寝してるとかもあるし。
もし一人の時なんか言われたらアタシの名前出しとけよ。じーちゃんの名前もさ。んでとりあえずペコペコ頭下げといてその場は退散してな。それでもどうにもなんなかったらさっさとアタシに連絡しろ」
「うん……でもサキちゃんもバイトで忙しいし……」
「いーんだってんなの。遠慮なんかすんなよ。どうせアタシのバイトなんか替えきくよーなのばっかなんだしよ。すぐ飛んでってやっから」
「それはそれでバイトの人たちに迷惑だし……というかまだちゃんとサキちゃんのおじいさんに会ってお礼もしてなかったよね。ここ使わせてもらってるのに」
「いーってんなの。たいしたことじゃねえしさ。だいたい頼んでんのはアタシなんだから」
国見はそう言って水を飲み、額に浮かんだ汗を拭う。
「とはいえさすがにここでやんのもきつくなってきたな。真夏じゃさすがに無理か」
と国見は外を見る。その先、水平線の上に広がる空は、徐々に夏のそれになっていた。気温も日々上がり、二人の格好も制服の夏服になっている。
「そうだね……機材の熱も心配しないとだし」
「そういうのもあんのか。そりゃこいつらも熱発してんだからなおさらあちーか。こんなとこにクーラーはねえしなー。さすがに扇風機もねえし。持ってくんのも面倒だなー」
「うん、そこまでしてもらうのもさすがに悪いし」
「カラオケもなー。お前も機材とか色々揃えねえといけねえのにそんな金使ってばっかいらんねえもんな。店長タダで使わせてくんないかねー」
「それはさすがに……悪いし気まずくていられなくなっちゃう……」
「ハハハ! ただでさえ新人で仕事できねーからな!」
「う、それは言わないで……」
「いーだろ事実だし。最初なんて誰でもそうだっつーの」
「サキちゃんも?」
「……アタシは別の意味でダメだったな。キレて揉めて」
「あぁ……最初からそれも逆にすごいけど……」
「とにかくアタシだって色々あったからな! 厨房の仕事はひとまずできてんだからそんな悪くねーだろ。さすがに接客もできるよーになんねえとだけどよ。じゃねーと本末転倒っつーか、ちゃんと歌えるようになるには繋がらねえんだし」
「う、ごもっともですけどさすがにまだ一ヶ月なので……」
「まー卒業まではまだ一年半はあるしな。たしょー気長でもいいかまだ。一ヶ月っていえばよ、お前もすげーよなやっぱ。一ヶ月で曲とか作ったりして。そんなぽんぽん作れるもんなの?」
「んー、というか、曲を作るって言っても色々あって……ただ作るだけなら月に一曲とかはできるかもしれないけど、ただそれをこう、ちゃんと完成させるとか自分で納得できるものになるかとかは別だから……一ヶ月色々やってみても結局最初からこれじゃダメだったかなーとかいうのもあるし……それで言えばまだちゃんと作れた曲なんて三曲くらいだから」
「はーん。やっぱ作曲っつってもそういうもんなんだな。できれば全部正解ってわけでもねえんだな。数撃ちゃ当たるっつうか」
「うん、少なくとも私の場合は。それにそうやってちゃんとできた曲にしてもやっぱり歌詞とか歌はまだちゃんとつけられてないわけだし……」
「まだか。やっぱ一ヶ月経ってもそういう感じ?」
「うん、歌詞なんかは特に。歌うとか歌えるようになるとかとは別に、やっぱりあんまり向いてないかなーって思うし、そんな積極的にやろうって思えないし……
なんだろう、こう、やっぱり言葉じゃあんまり言いたいことがないっていうか、思い浮かばないし……それにやっぱり歌詞っていうのは作曲とか歌とかよりこう、すごい恥ずかしい感じがあるからさ……」
「なるほどなー。確かにアタシも歌詞書けなんて言われて書いたらなんだよこのポエムって紙グシャグシャにして捨てっかもな」
「そうそう! 書いてもこう、やっぱり『私なにこんなこと書いてんだろー』って恥ずかしくなって丸めてポイって」
「けどそれ言ってたらいつまでも曲できねえしな」
「うん……難しいよねやっぱり。ほんと自分で歌詞まで書いちゃってる人たちってすごいよねー」
「ああ……お前さ、確か最初に自分の思ってることとか言いたいこととかを曲作って出してるみたいなこと言ってたよな?」
「え? うん、まあそういうのはあるけど」
「……よし、わかった。渡利、お前今日から作曲禁止だ!」
「――え?」
「要するに自分の言いたいこととか言葉曲にして出しちまってるってことだろ? だから歌詞にまで残ってねえんじゃねえか? そこでだ。曲作らねえで溜めたモヤモヤを全部歌詞の方にぶつけんのよ。どう? 頭良くね?」
「それは……た、確かに一理ある気はするけど……」
「だろ? よし、そうと決まりゃ早速今日から作曲禁止! ぜってー曲作んなよ渡利! 全部言葉にして出せ! 歌詞だ歌詞! 歌にしろ!」
「――わ、わかった! どうなるかわからないけどやってみる!」
「よし、その意気だ! いやー我ながら会心のアイデアだぜ! 案外やるねーアタシも」
などと呑気にケラケラ笑う国見であった。
*
して、その「作曲禁止令」から一週間。学校の教室で。
「おうおう渡利、やべー顔してんぞお前」
「あ、サキちゃん……」
「大丈夫かよ。ヤク切れてるみてーじゃねえか」
「サキちゃんがそれ言うとシャレにならない……」
「言っとっけどヤクとかやったことねえぞ? シンナーだってよ。んなのなくたっていつでもアタシはハイだかんな」
「うぅ、今はなおさら羨ましい……」
「相当だな。しかしそんなツレーか『禁煙』は」
「そういうこと言わないでよ教室で……勘違いされて指導呼ばれる……」
「しゃーねーだろお前が隠語で言えっつーんだしよ」
「隠語じゃなくて暗号」
「同じだろ? でも隠語っつーとなんかエロいな」
「……そういうのもナシで」
「ウブだねーリュウちゃんは。インゴくれー別にエロくもなんともねーじゃねえか。女子高生がこんくれーで恥ずかしがってんじゃねえよ」
「人には人のペースがあるもん……」
とぷいと顔をそらす渡利。
「まいってんねーマジで。そんなキツいん?」
「追加で歌、声出しまで禁止したのそっちじゃん」
「必要だと思うから言ってやってんだろ? その様子だとマジでちゃんとやめてんだなクスリ」
「だからそういうのはー……まあ実際こうしてみると似たようなもんだったんだなって思うけどさ……」
「へー、自分でもか。ま、程々にしとけよ。それでほんとに潰っちまったら元も子もねーんだしさ。自分で判断してな。アタシの禁止令とか無視してよ」
「……うん、わかった。でも自分でもこれくらいは乗り越えないとダメだっても思うから……」
「そっか。いいじゃん、案外根性あるよなお前も。実際調子はどうなのよ。進展とか」
「んー……やればやるほどどんどんわかんなくなってくかな……」
「あー、ドツボってやつか。やっぱムズかしーんだな。けどまあ、お前も言った通り乗り越えねーといけねー壁でもあるしな。やっぱできないよりできるほうがいいしよ」
「うん……自分でもやりたいって思うし……」
と話していると、次の授業のチャイムが鳴る。
「んじゃま、なんかあったらいつでも言えよ」
「うん」
とだけ答える渡利。国見が自分の席に戻り、授業が始まる。そうして国見が後ろから渡利の様子を眺めていると、
(あいつ、ずっとビンボーゆすりしてんな……)
さすがにそろそろ発散させてやらねえとマジーか、と頬杖をついて考える国見であった。