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曲が終わり、小屋の中に再び静寂が訪れる。開け放たれたシャッターの向こうでは波が寄せては返し、その音が貝殻の中のように優しく響いていた。
「――以上、その、一曲目です……一応その、今のところ自分では一番好きで、よくできたと思ってる曲なんだけど……」
「……渡利よ」
「は、はい」
「――お前すごくねえか?」
と目を見開き渡利を見る国見。
「いや、だってこれちゃんと音楽っつうか曲になってんじゃん? アタシだって詳しくは知らねえけどさ。これなんの音? ピアノ?」
「あ、えっとその、キーボードっていう、まあ電子ピアノっていうか、ピアノの鍵盤で色んな音を出せる楽器っていうか……」
「はー、すげえな。んじゃ完全にお前のその指で音出してるってわけか」
「うん、まあそうだけど、ほんとはもっとちゃんとしたエレクトーンとか、パソコンとかでDTMでやりたいんだけどお金ないし……これもスマートフォンで録ってるから音もあれで」
「ふーん。よくわかんねえけど色々あんだな。でもすげえちゃんと曲になってんじゃねえか。まあさ、アタシもど素人だからそういう意味じゃ本当の意味での曲の善し悪しなんかわからねえけどよ、でもアタシはすげえいいと思うぞ? てか好きだしな。やっぱすげえと思うし。
なんかもうやっぱ曲なんてもん作れてる時点ですげえとしか思わねえけどさ、それがもう思ってたより何倍もすごいし、ほんとそれこそバイト先でかかってるような曲とたいして変わんねえんじゃねえかって。まーあえていうならやっぱ録音? の仕方とか機材かなんかのせいで数段音落ちてんだろうなーくらいは思ったけどさ、でもそれはお前のせいじゃねえし、っと渡利?」
「――それはほんとに、嘘じゃない? お世辞じゃない? 思ったことそのまま言ってる?」
「たりめーだろ。嘘なんかついたってしゃあねえし。アタシは他人のためになんか嘘つかねえしな」
「それもどうかと思うけど……ほんとに? ほんとにいいって思ったの?」
「ああ。でもこれ聴いちまうとやっぱちゃんとボーカル入ってるの聴きてえってなるわな。ポップスにしたって歌なしの曲だけで売れてるのなんて基本ねえわけじゃん? つか純粋にこれにどんな歌とか歌詞ついてんだろうって気になるよな。録ってないだけで歌自体はもうできてんの?」
「それは、一応、その……」
と言ってまた小さく頷くだけの渡利。
「また含みのある言い方だなー。あるかないかの二択なんだから簡単だろ。どっち!」
「……あり、ます、けど未完成っていうか……」
「途中ってことな。三択だったか。まあ途中でもあんならとりあえず聴かせてよ。歌えんでしょ? この前練習してたわけだしよ」
「……じゃ、じゃあその、国見さんが歌ってくれない……?」
「バーカ、一回も聴かないで歌えるわけないだろ。楽譜とか見たってちんぷんかんぷんだぞアタシなんか」
「う、それは確かに……じゃあ、歌ってみるけど、歌ってる時はこっち見ないでね……?」
「着替えかよ。それしねえと始まらねえなら仕方ねえけどさ。んじゃほら、背中向けてっからとっととやっちまえよ」
と国見は渡利に背を向け、小屋の外に広がる海に目を向ける。
「私もその、恥ずかしいから反対向いて歌うね」
「おうおう。こんな狭い小屋ん中で背中向けあってんのも笑えんねー。まあお前の歌なんだから好きにしろよ」
国見はそう言い、腰掛けていたビールケースを小屋の出入り口付近まで移動させ、外と中の境界線上でタバコに火をつけた。そうしてボーッと海を眺めながら始まるのを待つ。
「――じゃあその、歌います……」
「おう」
国見はそれだけ返す。やがて先程聴いたイントロが流れてくる。
その後に、渡利の歌声がやってきた。
この前カラオケで聴いたものとは違う。声量は少なく、どこか遠慮がちだ。それでも普段の渡利の声と比べれば随分と大きい。そしてその声の本質も変わらない。
いい声だと思う。独特の、不思議な歌声だ。どこかこの海を思わせる。歌もうまい。少なくともど素人で耳の肥えていない国見にとってはとても上手く感じられた。
国見はじっと海を見つめていた。火のついたタバコには口をつけていない。灰が伸びていき、ぽとりとアスファルトの上に落ちる。煙は風によって流れていく。
その中で、国見の耳には渡利の歌声しか聴こえていなかった。
*
「――以上です。ご、ご清聴ありがとうございました……」
と渡利が歌い終える。
「おう。まあこっち座れよ」
と国見は地面でタバコの火をもみ消し、次の一本に火をつけた。
「あ、うん……」
「そっちは風下だからこっち来いよ。煙いくだろ」
「あ、うん」
「今そういうことは気遣えんだなーとか思った?」
「え? いや、別に……ちょっとは思ったけど……」
「ハハッ。正直でいいなー。服に臭いついて家のやつになんか言われんのもわりいでしょ」
「うん。でもそれなら初めから吸わないほうがいいと思うけど……未成年なんだし」
「そうだけどよ、それもそれでおかしくねえか? 要するに19歳364日ではダメだけど二十歳んなったらOKってことでしょ? その一日数時間で。それっておかしくね? なんも変わんねえじゃん」
「それはそうだけど、でもそれを言ったら始まらないし……」
「だけどさー。お前だって誰もいない時は赤信号くらい無視して渡んだろ?」
「私は待ってるよ一人でも」
「は? マジで? なんでよ」
「いや、だって誰かに見られたら『渡利のやつ普段はあんなくせに一人だと信号無視してるよ』とか思われそうだし……」
「ハハッ! お前ほんとおもしれーなー! 普通そんなこと気にしないっしょ」
「でも私は気になるから……」
「ふーん。まあいいや。お前はお前だしな……渡利はさ、なんで曲作ってんの?」
「え?」
「なんで作曲とかし始めたわけ? 作ろうと思ったっていうかさ。アタシはんなこと思ったことねえし。作ってる理由とか」
「あぁ……その、私はさ、国見さんも知ってると思うけど、すごく声小さいし、引っ込み思案で、友達も全然できないし……でもこう、やっぱり言いたいことじゃないけど、思ってることとかはあって、それを出したいとかも思ってて……
でもできないから、代わりに作曲じゃないけど――曲を作ってると、自分を出せるんだ。思ってることとか、溜まってることとか。そういうの、普通に話して表には出せないけど、でも出したくて、それが一人で曲作ってるとできるっていうか……はじめはそういう感じで、曲作り始めて、それでこう、なんか自分でも安心っていうか、吐き出せたって気がして……だから多分、私にとっては曲を作ることがおしゃべりとかそういうのなんだと思う……」
「なるほどねぇ……でも今はしゃべってんじゃん」
「それは、その、国見さんにはもうバレちゃってるし……でも多分、私も誰かには話したかったんだと思うから……」
「その相手がアタシでよかったわけ?」
「それは――多分、結果オーライ?」
「ハハハ! 結果オーライかよ。なら良かったわ。まあ安心してよ、ちゃんとお前が危惧してる通り誰かに話したりはしねえし。言おうとも思わねえしな」
国見はそう言ってタバコの煙を吐いて笑う。
「さっきのよ、歌も、歌詞もあれお前が考えてんだろ?」
「うん、一応は……でもまあ、納得っていうか、あれでいいとは思ってないけど……」
「やっぱか」
「わかる?」
「わかるというか曲に比べりゃな。アタシでもそれくらいはわかったし」
「そっか……さっきも話したけど、私にとっては作曲が目的っていうか、思ったことを出したりする手段だから、歌詞とか歌はそうじゃないっていうか、曲ができた時点である程度満足してるっていうか、その時点でほとんど終わっちゃってるから……
なんていうかこう、歌詞とか歌はその手段じゃないっていうか、自分が求めてることでもないし合ってる気もしなくて……でもこう、曲をちゃんと完成させたいなあとかは思うからやるにはやるけど、でもこう、うまくいかなくて……」
「そういう感じか。まあ確かに無理してそっちまでやる必要はねえかもしれないけど、でもせっかく作ったのに歌がねえともったいねえってのはあるかもな」
「うん……だからその、ってわけじゃないけど、あのね、これは私の思いつきなんだけどさ、代わりってわけじゃないけど国見さん歌詞書いてみない?」
「はあ? アタシが?」
「うん。ていうか歌ってくれるって約束だよね」
「約束ってわけでもねえけどな」
「で、でもあの時は共犯だって言ってたのに……」
「はいはい、わーったからんな顔すんなって。歌詞はともかく歌うのは一応約束したかんな。つっても今の一発で覚えられるわけねえしよ、ちょっと時間くれよ」
「でも歌詞書いた紙はあるよ」
「歌詞わーってたって曲覚えてないと無理でしょ。アタシも物覚えわりぃし、お前が歌ってるの聴いて覚えっから録音させろよ。もっかい歌ってさ」
「えー? それなら今録ってればよかったのに……」
「悪い悪い。んなとこまで気が回らなかったわ。お前の歌に聴き惚れてたしよ」
「そうやって適当に褒めてはぐらかそうってだけじゃないの……?」
「ねえよんなもん。んな打算できるほど頭よくねえし。だいたいよ、今の聴いたって別にアタシが代わりに歌う必要とかねえんじゃねえの? そりゃこの前のカラオケん時よか声は出てねえにしてもよ、ちゃんと歌えてるし普通にうめえし、だいたいお前声めっちゃいいじゃん。曲にも合ってるしよ」
「でもそれじゃ人前では歌えないし……」
「なんだ、お前もやっぱ人前で歌いたいとか思ってんじゃん」
「てわけじゃないけど。やっぱり人に聴いてもらえないと曲もかわいそうだと思うから……私は歌いたいとは思わないし、自分の歌を聴いて欲しいとも思わないけど、でも曲はちゃんと聴いてもらいたいっていうか……」
「なるほどねえ。難儀っつうか、お前も色々めんどくせえなあ」
「うぅ、ひどい……」
「ハハハ! まーそんな顔すんなって。理屈はわかっからさ。お前がちゃんと自分の曲大事にしてんのもよ。そりゃそうだよな普通。せっかく作ったわけだしあんないいもん人に聴いてもらわねえともったいねえよ。そこはアタシも思うからな、協力したいとは思うし」
「ほんと? じゃあ」
「まあやることはやるよ。約束だし。ただまあ、アタシとしてはやっぱお前が歌うのが一番だと思ううぞ。歌えるようになってさ。そこは変わんねえから、まあそこまでの代役っつうか、ずっとやる気はねえよ。アタシもやるからさ、その間お前も歌えるようにがんばる、ってのはどうよ?」
「それは……」
「お前だってほんとは自分で歌いたいって思ってんじゃねえの? 自分の曲なんだしよ」
「……でもできないし、怖いし恥ずかしいし……」
「だーからそれをできるようになりゃいいっつってんのよ。アタシも手伝ってやるしさ。だいたい歌えないよか歌えるほうがよくない?」
「それはそうだけど……」
「だろ? それにさ、自分で歌ったほうが歌詞もよくなっかもしんねえじゃん。したら曲自体ももっと良くなるわけで。お前もいい曲にいい歌詞をつけたいとか思うわけでしょ? 自分で作ったんだからなおさらさ」
その言葉に、渡利は何も言わずただこくんと小さく頷き返した。
「だよな。まあとにかくさ、とりあえず歌うっつう約束はちゃんと守っからもっかい歌えよ。録音して覚えねえことには始まらねえし。一回やってんだから次のほうが声ももっと出んでしょ」
「……国見さん他人事だからってなんか楽しんでない?」
「ハハハ! 言うじゃんお前も。そりゃ楽しいけど言うほど他人事じゃねえよもう。お前の気持ちとか色々聞いちまったしな。アタシだって曲聴いちまった以上それが完成したのもちゃんと聴きたい。だからまあ、お互い曲のためだよ。共犯な。それならお前もいいんじゃねえか?」
「……うん、そうだね。曲のためにってのは」
「だろ? んじゃ早速もっかいやろうぜ。善は急げだよ」
「やるけど、見かけ以上にすごい体力使ってるんだからね? 精神的にだけど」
「どんだけだよ。アタシ一人にそれなら思いやられんなー」
国見はそう言ってやはり笑い、渡利の前に自分のスマホをセットするのであった。