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渡利榴にとって国見野咲は謎の存在であった。いや、謎などというほど大層なものではない。見たまんま同じ、と言った具合に、評判通りに「不良」生徒。遅刻欠席早退の常習犯で、進級もギリギリだったという話。細くスラリと背が高く、染めた明るい長髪に耳にはピアス。目つきも悪い。当然教師にも目をつけられているが、教師も生徒も関係なく誰に対しても同じ感じで馴れ馴れしいというか横柄というか、尊大な、ある意味「不良」特有の態度。噂じゃタバコも吸っている。素直に「かっこいい」とも思うが、お近づきにはなりたくない、と思う相手。
一方で国見にとって渡利はいるもいないも区別がつかないような存在だった。高二に進級した今年から同じクラス。とはいえ「会話」をした回数など片手で数える程もない。いつも教室のすみっこで一人の大人しい生徒。授業で当てられても恐ろしく声が小さくいつだってうつむき加減。その一方で名前は「リュウ」と男のようにかっこいい。漢字でどう書くかまでは覚えていなかったが、そのギャップが強く印象に残っていた。こいつ、リュウなんてかカッケー名前なのにこんな小せえ声なのか、と。こりゃどれだけ吠えても火なんて百円ライター分だって出やしねえな、などと。
そんな渡利が、昨日見せたあのヴォイス。地を鳴らす歌声。歌唱力。その音の振動は、一日経った今でもまだ国見の体にははっきりと残っていた。こいつ、こんなすごくておもしれえやつだったのか、と。
*
授業終了のチャイムが鳴り昼休みになる。と同時に国見はガタッと音を立て立ち上がり、ソッコーと言った具合に足早にズカズカと渡利の席まで向かった。そうしてその腕を掴み立ち上がらせる。
「行くぞ」
「え? っと、どこに」
「どっかあんだろ。弁当持ってけよ。天気いいし外でも行くか。お前もよそに聞かれたくねえんだろ?」
と返事も待たず教室を出ていく。渡利は慌ててカバンから弁当の包みを取り出し、その後を追った。
*
着いた先は人気のない体育館裏。
「――これじゃほんとにカツアゲと間違われるんじゃ……」
「だからしねえって! んなの思うやつがわりいだろ」
と国見は制服のスカートなど気にせずどかっとアスファルトの段差の上に腰を下ろす。
「あ、うん……それで、その、話っていうのは……」
「昨日のことしかねえだろ」
やっぱりか、と渡利はぎゅっと体を強張らせる。
「――あの、その、昨日のことは、誰にも言わないでもらえますか……?」
「別に誰かに話すつもりとかねーけど。言われたら困んの?」
「困ります、それはもう」
「はーん。まあいいけどさ。んじゃかわりに絶対敬語禁止な。ビビられてるみたいで感じわりーじゃん」
「それは、その――ごめん……」
「ああ。まあこっちも悪いとは思うけど。あとはそっちもバイトの件内緒な」
「え?」
「昨日のカラオケでのバイト。ガッコーには言ってねえからさ」
「あ、うん。それはもう、全然、絶対誰にも言わないし」
「頼むな。センコーはもちろんだけど友達にもよ」
「あ、うん、それも大丈夫……私友達いないから……」
と寂しそうに笑って言い、うつむく渡利。が、それに、
「やっぱ? なんか見ててこいつ友達いなそうだなーとか思ってたんだわ」
と国見はあっけらかんに言う。
「うぅ、ひどい……」
「自分でも言ってんじゃん。いないもんはいないんだからしゃあねえだろ? んじゃアタシが友達一号だな。よろしく」
と握手を求めて手を差し出す。
「え、っと……国見さんが、友達になってくれるの?」
「なるとかじゃなくてダチつったらもうダチだろ。アタシみたいなのと友達だと困っか?」
「いえ、そんな、困るとかじゃないけど……でもどうして?」
「どうしてとかなくね? もうダチつったらダチなんだし。ほれほれ、握手」
「あ、うん……よ、よろしくお願いします……」
と渡利も差し出されたその手を、両手で握り返した。
「両手かよ! ほんとおもしれえなお前」
と笑う国見。
「てか本題なんだけどよ、お前めっちゃ歌うめえじゃん」
「うっ、その話はちょっと……」
「いいだろもうバレてんだし。あんなバッチリ聞いといて今更知らんふりとかできんでしょ。というか聞くじゃなくて浴びるだったぜありゃ。まさかあの声の小さい渡利さんがあんな歌声隠し持ってたとはな」
ニッと口角を上げ渡利の顔を覗く国見。
「うっ、それは……」
「あんなバカでけえ声出んのになんで普段はあんなんなんだよ」
「それは……というかそんな大きかった?」
「まあな。部屋の外までビリビリ来てたけどさ、空けたら暴風雨ドンッって感じよ」
「ま、まあ、マイクもあったし……」
「マイクだけじゃああならんでしょ。あれなんて曲? 初めて聞いたけど」
「……それはちょっと」
「なんだよ隠して。なんかオタクみてえなやつなの? アタシはいいと思ったけどさ」
「ほ、ほんと?」
と渡利は珍しく顔を上げ目を輝かせる。
「ああ。一瞬だったけど多分丁度サビだったし。お前のインパクトもあったけどなんか一発で残ったな」
「そっか……」
と、やはり嬉しそうに微笑む渡利。
「……もしかしてだけどさ、あれお前が自分で作った曲?」
「え!? え、え、ど、どうして!?」
「いや、なんか音の感じが普段のうちのカラオケと違ったし。うちのスピーカーとは別のとっから出てる気がしたからさ。それになんかお前がやたら嬉しそう」
「そ、それは……」
と今度はしまったといった具合に青ざめて顔をそらす渡利。
「もう認めてんじゃねえかそれ! お前全部顔出ておもしれーなー!」
と腹を抱えゲラゲラ笑う国見。
「ぜ、絶対誰にも言わないでねほんと!」
「なんで? 言やいいじゃん自分で」
「言うわけないじゃん誰にも!」
「まだ未完成なん?」
「いや、そういうことじゃなくて……」
と再びごにょごにょと言い淀む渡利。
「なにお前、もしかして恥ずかしがってんの?」
「……もしかしなくてもそうだけど、だって普通恥ずかしいし」
「はあ? どこがよ。かっけーじゃん自分で曲作ってるなんて。すげーし」
「……そんなこと言うの多分国見さんだけだよ」
「はー? なんで」
「……だって、私みたいに友達いなくて、いつも一人で、大人しくて引っ込み思案で声もいつも小さくて……」
「ヒャハッハ! お前それ全部わかってやってたのかよ!」
「……別にやりたくてやってるわけじゃないけど……」
「わかったわかった。まー自覚あるってことだな。自分で引っ込み思案とか言ってんのはウケるけど。要するに恥ずかしがり屋でビビリで色々コエーってこと?」
「……だいたい、そんな感じ」
「へー。んだから一人でカラオケで歌ってたのかよ。あんなバカでかいパーティールームで一人で」
「それは、あの時そこしか空いてなくて……」
「まあでも実は歌うの好きで大声も出るってことでしょ? しかもめっちゃいい声でうまいし」
「それはまたちょっと違うんだけど……」
「お、何が?」
「……その前に一応ちゃんと聞いておきたいんだけど、その、声が大きかったとか、いい声とか、歌上手いとかは全部その、お世辞とかじゃなくて本当……?」
「そりゃな。まーアタシの耳なんて素人のバカ耳だろうけどよ、でもあそこでのバイトもけっこー続いてっからな。聞こえてくんのとか部屋入ってとか色々あるけどお前のは今までで一番ずば抜けてたぞ」
「そっか……その、ありがとう……」
と渡利は顔を伏せ照れた様子で言う。
「礼なんかいらねえよ事実だし。ただのアタシが思ったことだしよ。んじゃ今までもちょくちょくうちのカラオケ来て歌ってたわけか」
「うん、まあたまにだけど、色々確認したくて……」
「なんだよ色々って」
「う、それは……」
「いいじゃねえか別に今更! もうお互い知っちまってんだしよ! お互い秘密にするわけだしもう共犯よ共犯!」
「共犯ってなんかいやな響きだなぁ、なんか悪いことしてるみたいで……」
と小さくため息を付きうなだれる渡利。
「……ほんと、誰にも言わない?」
「言わないって言う相手もいねえし。逆に誰に知られたら困んのよ」
「誰にと言うか、みんなに……?」
「よう知らんけど相当だなー。まあ大丈夫大丈夫、任しとき。アタシこう見えても口は硬えからさ」
そう言ってケラケラ笑う国見に「本当かなぁ」と渡利は不安しかなかった。
「――たまにああやって歌ってるし、歌うのも嫌いじゃないっていうか、まあ好きだけど、でもそれは手段として仕方なくって感じだからさ……」
「は? どういうこと?」
「……私は、メインってわけじゃないけど、曲を作るのが好きで、曲作ったりしてるんだけど、それで作った曲に満足とかもあるんだけど、でもやっぱりこの曲にはボーカルがあってとかがあって、歌が必要なんだけど、でも歌ってくれる人なんかいないし、頼むのも恥ずかしいし……その、自分で曲作ったんで歌ってもらえませんかだなんて、絶対言えなくて……」
「あー、それで代わりがいないからって自分で歌ってたと」
「……そういうこと、です」
と渡利はこくんと頷く。
「はーん。聞いてりゃ色々難儀だなあ。曲作んの好きで歌もそうだしおまけに必要で、でもそれ知られたくないのに歌ってくれるやつは求めてると。てか別に今ののままでいいじゃん。歌えないならともかく歌えんだから。自分で作って自分で歌う、シンガーソングライターってやつじゃねえか。マジすご!」
「だから歌うほうは仕方なくなんだってば。だってこんな、あんな声小さいんなら人前で歌うなんて無理だし……人前で歌えない人間のボーカルで作ったって意味ないし……」
「つまりお前は作った曲を人前で披露したいと」
「それは、ちょっと違うけど……でもせっかく作ったのに誰にも聞かれないなんて曲がかわいそうだし」
「なるほどねー。お前も色々めんどくせえなー。んじゃもう覆面でボーカル募集するしかねえんじゃねえの? お前は正体出さねえでさ、諸事情でボーカルお一つ募集中です私が作った曲に歌入れてくださーいって」
「それは、私人見知り激しいから知らない人となんてできそうもないし、学校の人なんかが来ちゃったらそれこそ大変だし……」
渡利はそう言い、ちらっと国見の方を見る。
「全滅じゃねえか! やっぱ自分でちゃんと歌って発表できるようになるしかねえんじゃねーの? 能力はあんだしさ。あとは弱点克服だけして」
「それはそうなんだけど、でも一人だけ、いいと思う人がいてね」
「お、なんだいんじゃねーか。じゃあそいつに当たって砕けろでアタックしかねえな。手伝ってやるよ、お前その調子じゃ一人じゃ無理そうだし。ガッコのやつか?」
「うん……というか国見さんなんだけど……」
「は? アタシ? いやいやいや」
と国見はブンブンと腕を振って否定する。
「何言ってんだよお前。アタシとかぜってーありえねーじゃねーか」
「で、でも国見さんすごくいい声してるし……すごい素敵なハスキーボイスっていうか」
「あー……そりゃタバコのせいで喉からしてるだけだな」
「やっぱほんとに吸ってたんだ……」
「いや、ガッコーでは吸ってねえよさすがに? まあバイト休憩とか終わったとに数本とかでよ、ヘビースモーカーってほどでもねえし」
「それにいつも声大きくてはっきり出てるし……」
「……まあ声でけえのは事実だけどよ。昔っから張り上げてきたからな」
「……そ、それに共犯? ならその……」
とおどおどという渡利のその冒険と恐れと後悔が混じったような表情に晒され――国見は思わず笑ってしまった。
「わーったわーったよ。そんなすがるような目すんなって。こっちも共犯言っちまったしな。バイトにタバコに、そりゃ黙っといてもらうためにはなんかしねえとか」
そう言って高らかにケラケラと笑う。
「言っとっけどあたしゃ歌とか別にうまくねえぞ。ろくに歌えないだろうし。人前で歌うのとかだってねーよさすがに。あくまでお前の作曲を代わりのボーカルとして手伝うってだけで、それ以上はねえし色々期待もすんなよ」
「うん――え、ていうかいいの?」
「いいから言ってんだろ? アタシだってお前の曲もっと聞いてみてえしさ、お前の力になれんならそれでいいし。第一なんかそれすげえ楽しそうだしな。そういやよ、お前なんでカラオケでやってたん? やっぱ近所迷惑?」
「もあるけど、ご近所さんにもバレちゃうし……」
「そこまでかよ。んな毎回カラオケ使ってちゃ金かかるでしょ。お前もバイトとかしてるん?」
「ううん、何もしてないけど……カラオケもほんとに月に一、二回程度で、曲とかできて練習したらカラオケでちゃんと歌って確認する、みたいな感じで……」
「その月イチをアタシが踏んじまったわけか」
国見はそう言い、何が面白いのか快活に笑う。
「んじゃ今度行く時はアタシに話通せよ。従業員割引使えっから。お前の分も安くさせるし、まあ一緒で一人くらいならさすがに店長も許してくれんだろうしさ。つか首縦に降らせるし」
そうしてやはり何が楽しいかといった具合に、悪巧みをするように笑う国見を見て「この人本当に噂と言うか見た目通りの人なんだなぁ……」などと思いつつ、えらい人に見つかってしまったと肩をすくめるのであった。