10
渡利が歌詞も含めて初めて「曲」を完成させてから一ヶ月後。連日猛暑日を記録する夏休みの中、
「――もう無理だな……」
「……うん、無理だね……」
「終わりだな……これ以上は無理だ……」
額に汗を浮かばせた国見はそう言い、漁師小屋の中音を立てて立ち上がる。
「――あちーーーーーーーッ!!」
国見はそう吠え、頭を掻きむしった。
「暑い! 暑すぎる! 海ん近くで風もあるっつうのになんでこんなあちーんだよ! 異常気象だろマジで! 無理だ無理! もうこんなクーラーもねえ小屋んなかでちまちまやってんのは無理だ! 終わり! 死ぬっつうのマジで!」
「死んじゃうねほんと……」
「クソっ、マジでなんとかしねーとな……場所! どっかねーのかよ渡利!?」
「うーん……うちはやっぱりダメだし……サキちゃんちは?」
「うちもせめーからなー。それに弟が一応受験生だからよ。アタシの弟にしちゃできっから上のとこ目指してがんばってっから邪魔はできねーからなー」
「そうだよねー……勉強とかなら図書館とか使えるんだけど、大声出すし……」
「だな。やっぱカラオケしかねーよなー。つっても毎日行ってりゃ金なくなるしよー……やっぱアレしかねーな」
「アレって?」
「テンチョーにタダで使わせてもらう」
「う、それはちょっとさすがに……」
「でもそれしかねーじゃねーか! せめてもうちょい安くしてもらうとかよ! 三割負担だよ三割! 保険料!」
「それはさすがに無理がありすぎるんじゃ……」
「んなこと言ってらんねーだろ!? 夏休みっつったって部屋はあいてんだしよ! そうと決まりゃ直談判だ。行くっきゃねえ。行くぞ渡利!」
「え、えー?」
「ダメ元だよダメ元! できることは全部やらねーとだろ!」
国見はそう言い、さっさと荷物をまとめズカズカと漁師小屋を後にするのであった。
*
して、早速やってきたカラオケ店。
「つーことで店長。部屋タダで使わせてください」
「無茶言わないでよね……」
とさすがの店長もうなだれて返す。
「いーじゃないっすかどうせあいてんだから!」
「……一応言っとくけどさ、僕も所詮雇われ店長だからね。ここは別に僕のもんじゃないのよ」
「そ、そうだよサキちゃん。無理があるって」
と言う渡利に、
「お前はどっちの味方なんだよ! わかった店長! 出世払い! それでどーっすか!?」
「それは詐欺とほとんど変わらないよ……だいたいそれ誰が立て替えるのよ」
「そりゃ店長しかいないじゃん」
「……渡利さーん」
「わ、私もそれは無茶だって、」
「だからどっちの味方だ渡利! お前の将来のためだろうが!」
「将来?」
と店長。
「そーっすよ。この際だから言うぞ渡利」
「え? 何を……」
「いやね店長、なにもアタシらもただ遊びで歌ってるわけじゃないんすよ。というかアタシはほぼ歌ってないけど。渡利はこう見えても曲作ってんすよ曲を」
「え、作曲ってこと?」
「そー。それを練習つうか、確かめるためにカラオケ使ってて。ガンガン歌うから家じゃ家族や近所の迷惑じゃないっすか。んで今まではアタシがじーちゃんの港にある小屋とか借りてやってたんすけど、この暑さじゃん? さすがにもう無理で。クーラーも扇風機もないしさ。だからせめて夏の間くらいは使わせてくんないかって話なんすよ」
「そっか……いや、理由はわかったけどさ、だからってねえ」
「……わかった店長。だったら実際聴いて判断してくださいよ?」
『え?』
とハモったのは店長と渡利。
「渡利の歌聴いたらんなこと言ってらんなくなるって。自分で作った曲をさ。聴いてからでも遅くないっしょ」
「いや、サキちゃんそれはさすがに……」
「遠慮すんじゃねーよ渡利! ケツモチだよケツモチ! マジでやってくっつーならそういうのも必要じゃねえか!」
「それを言うなら多分タニマチかパトロンだね……」
と店長がつっこむ。
「そうそれ! 知らねーけど! とにかく自分の力で支援してくれる人を勝ち取るんだよ! アタシらなんかまだガキで金も力もねーんだからさ! そうやって大人利用してかねーとだろうが!」
「利用ってその相手が目の前にいるんだけどね……」
とやはりため息とともにつっこむ店長。
「とにかくそーいうことっすよ。どっすか店長。せめて聴いてからにしてよ」
「うーん……まあ正直渡利さんが曲作ってたとかは意外だったから聴いてみたいとは思うけど……」
「でしょ? だったら話ははえー! 早速今から聴きましょーよ! どうせ部屋あいてんでしょ?」
「僕仕事中」
「んじゃ休憩10分こっち移動させて! んなこと言ってっとアタシも酔っ払い処理すんのやめますよ!?」
「もう脅しだよねそれ……」
と言いつつ、店長はその重い腰を上げた。
「じゃあまあ、五分だけね。五分で大丈夫渡利さん?」
「あ、はい! その、曲自体は四分もないので……」
「そっか。じゃあ聴かせてもらおうかな」
「あ、はい! あの、その、本当にすみません」
「大丈夫だよ少しくらい。僕が自分で選んだことだしね。それにそういう時は謝るよりお礼言う方がいいと思うよ。相手も喜ぶっていうかさ」
「あ、はい! 失礼しました! じゃなくてその、ありがとうございます!」
*
そうしてやってきたカラオケルームの一室。国見と店長がソファに鎮座し、それに対面して渡利が立っている。
「じゃ、じゃその、歌わせていただきます……私が、自分で作った、曲と歌詞です。『きみの声』という曲です。聴いてください……その、本当に申し訳ないんですけど、やっぱりまだどうしても緊張するので、本当に失礼なんですけど、ちゃんと歌うためにも後ろを向いて歌わせていただきます……その、見えてると、やっぱりどうしても緊張してしまうので……」
「うん、大丈夫だよ。こっちも渡利さんのベストの歌を聴きたいからさ」
「はい。今回は本当に、ありがとうございます……じゃ、じゃあそのサキちゃん、曲、お願い」
「おう。もういいか?」
「ちょ、ちょっと待って」
渡利はそう言うと背中を向け、スーハーと何度か大きく深呼吸する。
「――うん、大丈夫。お願いします」
「じゃあ、行くぞ」
国見はそう言い、曲の再生ボタンを押した。
*
渡利が初めて完成させた曲、『きみの声』。三分ちょっとのその曲を、渡利は自身の歌声で今、歌いきった。
初めて、自分と国見以外の誰かに聴かせて歌う、曲だった。
*
「――い、以上です……」
「てことでテンチョー、どうよ? すごくない?」
「……うん、そうだね……」
店長はそう言い、手を組んで少し考え込む。
「渡利さん、ちょっと聞いてもいいかな」
「は、はい! な、なんでもおっしゃってください!」
「うん、そのさ――渡利さんは、本気でプロを目指してるの?」
それはある意味、初めて向けられる問いであった。
「――あの、その……しょ、正直、最初というか、前は全然、そんなことはなかったです……その、私はご覧の通り不器用で、喋れなくて……あがり症とか、普段は声も小さくて、それで普通の仕事というか、そういうのは絶対自分には無理だと思ってて、それであわよくばといいますか、音楽を仕事にできたらいいのになーみたいな、虫のいいことと考えてて……」
渡利は続ける。
「――けどその、今は、なんていうか、この曲、『きみの声』は、初めてちゃんと曲も歌詞も、歌も完成させられて、しかもそれもただ作るだけじゃなくて、ちゃんと人に――人って言っても、正直サキちゃん一人だけだったんですけど、でもそうやって、ちゃんと人に聴いてもらうために曲を作って、作れて……それでなんていうか、今は、自分には本当にできるかもしれないっていうか……でもそれ以上にやっぱり、自分でもこう、やりたいって、もっと作って、もっとたくさんの人にこの曲を聴いてもらいたいって、ほんとにそう、思えるようになりました……」
「うん……それは結局プロになりたいってこと?」
「……その、やっぱりまだ自分で言うのも怖いんですけど――はい。わた、私はその、音楽の、プ、プロに、なりたいです!」
マイク越しの、その宣言。言葉が振動とともに、部屋中に響き渡る。
「――そっか、わかりました。僕も正直に話すけどさ、まあ僕なんてカラオケ店の店長なんかやってるけど音楽なんかど素人だからね。別に音楽やってたわけじゃないしそんな好きでちゃんと聴いてるわけでもないし。だから正直ちゃんとした評価っていうか判断なんかできないけど、その上で言うとさ――やっぱり純粋にすごいと思ったよ、僕は」
と店長は言う。
「僕も自分で曲作ってる人なんか初めて見たからね。それがほんとにこう、ちゃんとした曲だし。僕みたいな素人が聴いても普通にそのへんの曲と比べても遜色ないと思うしさ。でもそういうのはやっぱり素人の声だからね。だからこそちゃんと、本当に良し悪しとか才能とか、そういうのが区別できる人に聴いてもらったほうがいいと思うよ」
「は、はい……」
「うん。少なくともさ、その入口っていうか、スタートラインには立ってると思うし。そういうプロの人が、ちゃんと真面目に聴いて判断しようって思える、そういうところにはさ。そりゃ素人だけど、やっぱり所詮アマチュアでしかないのとそれより一つ二つ上だってのの区別くらいはつくと思うからさ。カラオケやってて人の歌を聴くことも多いから、単純にカラオケが上手いっていうのとは別の何かがあるっていうのも、わかる気がするし」
店長はそう言うと一つ息をつき、ソファの背もたれに腰を預ける。
「ただまあ、それと部屋をタダで使わせるっていうのは話が別でさ、やっぱりここは別に僕の持ち物じゃないし、僕にそんな決定権はないからね」
「……はい、それはもう、最初から無茶な話だったので……」
「うん。でもさ、それはあくまで開店中って話でね。要するにお金がかかるか否かって話で。わかると思うけど部屋使わせるっていうことは電気代とかかかるってことだからね。それをお客さんからお金貰って工面してるからできてるわけで」
「じゃあ金かかんなきゃ使ってもいいってことっすか?」
と国見。
「まー早い話がそうだけど――開店前と閉店後。電気消してカラオケも使わないで、冷暖房だってそうだけど早い話なんにもうちの機器とか電化製品使わないなら貸してあげられるよ。もちろんほんとはダメなんだけどさ」
「――そ、それは、」
「テンチョー! やっぱやるじゃねーかこのおっさん! 男だねー!」
と国見が笑いながら店長のぽっちゃりとしたお腹をバシバシと叩く。
「うん、でもほんと店長に向かっておっさんとか絶対ダメだからね……」
「いーじゃねーっすか今くらい!」
「よくないんだけどねー……ほんと僕以外には絶対やっちゃダメだよそんなこと……」
ともう諦めの境地のため息をつく店長。
「まあ、そういうことだけどさ、閉店後はさすがに無理だからね。深夜だし。君らもまだ高校生だし、こっちもさっさと店閉めて帰りたいからさ。だから実際開店前だけかな。それも僕がいる時だけね」
「いえ、それでももう使わせていただけるだけで」
「うん。まー基本他の店員にはバレないようにね。もしもの時は勉強に使わせてもらってるとかで。それならさすがにお咎めなしだろうしさ。あとまあ、外暑いから使いたいってことだけど、やっぱり開店前だとそんな冷房とかつけられないからさ。一応お客さんのために開店前から少しはつけてるけどそれも電気代のためにかなり弱めだし。そこは絶対にいじっちゃダメってことで多分暑さはそんな変わらないと思うけど、大丈夫かな?」
「はい、ほんともう、使わせてもらえるだけでこんなにありがたいことはないので」
「うん。まー朝ならまだ多少は涼しいだろうからね……まーほんと、くれぐれも他の店員には言わないようにね。言ったとしても相手は選んでさ」
「そこは大丈夫っすよテンチョー。アタシも信頼できる相手くらいはもうバッチリ分かってますから」
と国見が親指を立てて言う。
「君はそうだろうね。そこは心配してないけど、まー自分から言うようなことは控えてね。んじゃま、こっちもシフト確認してからまた連絡するよ。使える時をさ」
「はい。あの、本当に、本当にありがとうございます!」
と深々と頭を下げて礼を言う渡利。
「うん、いいよ。これも僕が自分で決めたことだしさ。それに君が、渡利さんが自分自身のその歌と曲で勝ち取ったものだから。本当に、すごいと思ったよ、君の曲。すごいし、良かったし――僕は、ちゃんと積み重ねてけばこの子ならプロになれるんだろうなって、純粋にそう思ったからさ」
「――ありがとうございます。そのお言葉を励みに、がんばります」
「うん。応援してるよ。それじゃ暑いから、体調気をつけてね」
店長はそう言って部屋を後にしようとする。
「あとそれと、言うまでもないけど君たちは勉強が本業なんだからそこはちゃんとね。それとバイトも。こっちとしちゃそこおろそかにされたら困るからさ」
店長はそう言って苦笑し、部屋を出ていくのであった。




