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史実編 最終回

お久しぶりです。豊臣兄弟に七兵衛が出演及び実写作品初登場記念に完結させます。


慶長5年、9月15日。

美濃の関ヶ原は濃霧に包まれていた。

その静けさを打ち壊したのは松平忠吉勢の銃声である。

これに対抗するように宇喜多勢も発砲。

関ヶ原西部に布陣した西軍と東軍はついに激突したのだった。


そして……。


信澄が関ヶ原に来る頃には戦いは終わっていた。


「あれぇ……天下分け目の戦なのに内府殿も俺も来る前に終わるとは……」


戦場に横たわる数多の死体を見て信澄も佐久間信栄も呆気に取られていた。


「豊臣家臣団恐るべし……。朝鮮で地獄を経験してきたもの達は違いますわい」


「どうやら俺の時代はもう終わったようだ。思えばこれまでまだまだ舞えるところがあったかもしれんな。いつしか守りに入ってしまっていた」


「とはいえこれからは七兵衛様が織田家の家長です。まだまだこれからですぞ」


「うーむ……これでは論功行賞も期待できんかもなぁ」


その後信澄勢は無傷だったこともあり、小早川秀秋や前田利長らと共に京まで進軍しそこの警備を任せられた。

そして戦後の論功行賞では甲斐から伊予と土佐へ加増転封となり石高は45万石となった。


しかしここからが大変であった。

伊予はともかく土佐の長宗我部氏の旧臣達は新領主に反発。

信澄は長宗我部氏の縁戚の斎藤利宗や旧臣達を積極的に登用することで何とか彼らを宥めようとした。


これに下級家臣達の中で納得しないものは最終的に粛清されたが長宗我部盛親の説得もあり何とか鎮圧。

そして信澄は伊予と土佐の中間地点にある中村を本拠とした。


時は流れ1609年。

徳川秀忠が将軍となり太平の世となると信澄は55歳で世を去り中村織田家としてその家系は幕末まで続いていくことになる。


しかし信澄の戦いはまだまだ終わらない。

信澄にとって最も過酷であろう世界線が始まるのだった。

関ヶ原も遭遇戦だったのでこんな感じの終わり方になりました。

卒論も終わって暇かつ来年は修士課程なので山崎編はまた書き始めるかもしれません。(多分新作として出します)

最近面白い説も出てきたのでその論文確認してからかも。

とにかく七兵衛、大河ドラマ出演おめでとう!!

そして今までありがとうございました。

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