史実編30話
すみません、こっち完全に忘れてました。
尾張から撤退した羽柴軍は破竹の勢いで織田信雄の所領を攻略。
上機嫌な秀吉の元に信澄が呼び出された。
「津田日向守、参りました」
「おう、待っておったぞ。此度貴殿を呼んだのは織田の家督の事じゃ」
「織田の家督?三介と敵対した時に三法師様が改めて継ぐことになったのではありませぬか?」
「うむ……いやそうなのじゃがな。再度信雄めに返そうと思うておる」
「なんと、戦を終わらせるためとはいえなかなか強引ですな」
「うむ、しかしそれで良い。久太郎がワシの命令にどれだけ耐えられるか試してやるのよ」
「なるほど、確かに池田一派が弱体化した今、政権内で大きな力を持つのは久太郎や藤五郎を初めとした上様側近衆……。奴らの旗頭である三法師様を抑えてしまえば奴らも自然と大人しくなりましょうぞ」
「そういう事じゃ。既に三十郎殿からの承認も受けた故にそれで行こうと思う。此度は大儀であった……それとそろそろ七兵衛殿もワシの正式な家臣になってくれんかのう」
「ははっ!この津田日向守、羽柴筑前守様を主としてお仕え致しまする!」
こうして織田信雄に対して秀吉は織田家家督継承をエサに和議を提案。
信雄はこれに応じ大義名分を失った徳川家康も秀吉と停戦するしかなく、ここに濃尾地域を中心とした織田家の内部抗争は終結した。
しかし……。
「おのれ筑前め!私になんの相談もなく信雄に家督を譲っただと!?」
「お怒りご最も!これでは我らは使われただけではないか!」
近江佐和山城では堀秀政と長谷川秀一の怒鳴り声が響く。
「なんのために孫七郎のケツを拭ってやったと思っておる!わざわざ彼奴に俺が考えた策を教え一気に信雄を滅ぼそうと思うておったものが!タダでは済まさぬぞ……!ハゲネズミが!!」
と、怒り散らしていた秀政だが翌年に丹羽長秀が病死し丹羽長重が佐々成政討伐の際の不手際を咎められ越前を召し上げられるとその代わりとして越前北ノ庄に18万石で入城。
与力を含めればその所領は30万石にまで到達し前田利家に続く大大名になった。
同様に長谷川秀一も越前に15万石を与えられ、従四位下侍従にも任官。2人ともすっかり牙を抜かれてしまった。
信澄の方は山岡景友、佐久間安政・勝之兄弟などこれまでの戦乱で秀吉に敵対し浪人となっていた武将を秀吉の許可を得て次々と召抱えていた。
また紀州征伐、四国征伐、九州征伐と各地を転戦し従四位下右近衛少将に任官。
さらに小田原征伐で織田信雄・織田信包が失脚すると本姓を津田から織田に戻し織田高島少将豊臣信澄と名乗るようになった。
そして元号は文禄・慶長と代わり天下を統一した豊臣秀吉が病に倒れたのは慶長3年・小牧長久手以来の動乱が日本を飲み込もうとしていた。




