大切な1人と1匹
怪我をして、病院で目を覚ましたロブ。
そこへドミニクが見舞いに来て、意外な人物も現れて……。
ここ最近は忙しくて、なかなかゆっくりと寝ていられなかった。
俺はこの上ない気持ちよさを覚えながら、どこかで横たわっていた。
その場所はフワフワとしていて柔らかく、いい匂いがした。
誰かが、俺の名前を呼んだ。
1回、2回、もう一度。
俺はそれを耳にしているはずなのに、声が何といっているのかを理解出来ずにいる。
ロブ。
いや、違う。
理解出来ないってことはないだろ。
あれは、エレンだ。
エレンが俺を呼んでいる。
エレン、何か用?
どうしてそんなに、俺のこと……。
「……ロブ」
「え?」
目を開けたら、物凄く深刻な顔をしたエレンが飛び込んできた。
何も言わず、俺の顔をじっと見つめている。
「分かる? わたしのこと」
「エレン、何でそんな……」
エレンは何で、そんなことを聞くんだろう。
舌がもつれて上手く話せないのも、気持ちが悪い。
「よかった、ロブ」
「待ってて、今、先生を呼ぶから」
何の説明もせず、彼女はベッドの枕元にあったナースコールを押していた。
俺はどうやら、病院にいるらしかった。
「ロブ、覚えていないの?」
「あなた、仕事中に怪我したのよ?」
医者がやって来て、簡単な検査をしてくれた。
俺の意識がはっきりしているのを見ると、心配ないだろうとエレンに言い残した。
それでエレンはやっと、俺がどういう状況に置かれているのかを説明してくれたのだった。
「今日の明け方、ドミニクさんから連絡をもらったの」
「あなたが怪我して、病院に運ばれたって聞いて……」
「ほんとわたし、生きた心地がしなかった」
エレンは背もたれのない丸椅子に腰掛け、つっかえつっかえといった感じで話してくれた。
彼女もまた、ひどく混乱しているみたいだった。
意識がだんだんはっきりしてくると、俺は昨日のことを思い出した。
パーティー会場への突入に参加したこと、敵を制圧したこと、そしてゴリラに跳ね飛ばされて、窓から落ちたこと。
次第に感覚が戻り、体中に鈍い痛みを覚える。
頭には包帯が巻かれ、腕は骨折したので固定してあった。
「3階から落ちたみたいだけど、幸い、命に別状はないみたいね」
「本当に、本当によかった……」
エレンはうな垂れるようにして俺の手を取ると、そこに額を押しつけた。
しばらくそうして顔を上げると、困ったような顔をして笑ってみせるのだった。
そんな彼女を見ていると、心配をかけたことが本当に心苦しく感じられた。
彼女だけじゃなく、きっと、特犯のメンバーにも心配をかけてしまったに違いない。
レオのやつは、どうか分からないけど……。
不意にノックの音がして、ドアの向こうからドミニクの声が聞こえた。
エレンが招き入れると、ベッドに起き上がっている俺を見て、彼もまた安堵したように目を細めた。
「とりあえずは無事で、よかったよ」
「初めての大きな現場で、張り切り過ぎたな」
ドミニクにそう言われると、何だか恥ずかしかった。
結局は、そういうことだった。
大きな現場で張り切り過ぎ、その結果、怪我をしてしまったのだ。
「あの、現場は?」
「ん? 問題なく収めたよ」
「ロブが怪我をしてしまったのは残念だったが、結果的には当初の計画通りといったところだな」
ドミニクから状況を聞き、俺はひとまずは安心出来た。
怪我をして足手まといになって、その上突入までふいになったとなれば、頭を上げられない。
「すみませんでした」
「いやなに、謝ることはない」
「回復したら、もっと鬼のようなトレーニングをやらせるだけだよ」
ドミニクが冗談を言い、薄暗かった病室の雰囲気が明るくなった。
肩の荷が少しは下りたように感じていた時、いきなり、部屋のドアが勢いよく開いた。
誰もがびっくりしてドアの先を見ると、そこにはレオが立っていた。
「レオ、おまえも来たのか?」
「何だかんだ言って、ロブのことが心配……」
ドミニクの言葉をよそに、レオはつかつかとベッドに歩み寄る。
そしていきなり、俺の胸倉を掴んだ。
「!?」
「レオ、どうしたの!?」
「……ふざけんじゃねえ」
エレンが止めに入ろうとする中、絞り出すようにレオが言う。
彼から話しかけられるのは、多分、初めてだった。
「ふざけるなって、何が……」
「しらばっくれんのかよ?」
「俺を庇って怪我しようなんざ、100年早いっつうんだよ!」
「庇ってって……そうなの、ロブ?」
「いや、俺は……」
依然として胸倉を掴まれて口ごもりながら、俺は記憶をたどった。
そもそも俺はどうして、怪我をしたのか?
何で、ゴリラの前に飛び出していったのか?
あの時は、きっと無意識だった。
そこにレオを庇う気持ちがあったとは、断言出来ない……。
ゴリラの前に躍り出た刹那、彼の顔が思い浮かんだわけじゃなかった。
そうだ。
あの時浮かんだのは、エレンの顔だった。
「別に、あんたを庇ったわけじゃない」
「俺はただ、エレンに悲しい思いをさせたくないだけだ」
「何だと?」
「レオ、全然分かってないだろ」
「エレンにとって、あんたがどれだけ大切な存在かってこと」
そうだ。
そう思ったからこそ、俺はレオを無意識で庇ったんだ。
万一彼に何かあれば、恋人がどれだけ苦しむか分かっていたから。
ただ、それだけだった。
とはいえ、それで納得するレオじゃなかった。
胸倉を掴む手に力を込め、俺に顔を近付け怒鳴る。
「大切な存在だと?」
「それはテメーだって同じじゃねーのかよ」
「分かったような口利いてんじゃねえよ!」
「分かってないのはどっちだって話だよ」
「自分のこと、もっと大切にしろ!」
「テメーみたいなひよっこに言われなくたって、分かってんだよ」
「ガキの癖に、しゃしゃり出てくんじゃねー!!」
俺たちは狭い病室の中で、周囲を忘れて言い合いをした。
興奮していて、体が痛いのすら忘れてしまっていた。
そこに、喝が入った。
「ロブ! レオ!」
「いい加減にして!!」
声を上げたのは、エレンだった。
珍しく肩で息をして、俺たちのことを睨んでいる。
その様子を、ドミニクが面白そうに観察しているのが目に入った。
「ロブ!」
「あなたは怪我してるんだから、そんなに興奮するんじゃないの!」
「は、はい……」
「レオ!」
「相手は怪我してるのよ? そんな風に乱暴しないで!!」
「……チッ」
「ここは病院なの!」
「ロブもレオも、分かったわね!?」
俺は再びハイと返事をしたけど、レオのやつは何も言わなかった。
レオは結果的に俺に庇われたことがよほど癪だったのか、とにかく文句を言わないでは済まなかったんだろう。
エレンに一喝された後は、ブツブツ言いながらも病室を去っていった。
それに続くように、ドミニクもお大事にと言い残して病室を出て行った。
後に残されたのは気まずい雰囲気と、未だ怒りの中にあるエレン、耳を垂らしてしょんぼりとする俺だけだった。
「ハァー、やだもう」
「こんなに怒ったのって初めてよ」
「俺も、きみにこんなに怒られたの初めてだよな」
ハハハと気楽に笑ったら、エレンにじろりと睨まれた。
慌てて下を向き、しおらしい態度を取る。
「でもロブ、ありがとう」
「レオのこと」
「うん……」
とりあえず、それでこの場は納まったらしかった。
俺はふと、病室の窓の外を見た。
窓から見える中庭の木は、秋の終わりでずいぶんと葉を散らしていた。
「でも、自分ことも大切にしてね?」
「どっちを取るんだって言われたら困っちゃうけど……わたしにとってはレオもロブも、同じくらい大切なんだから」
「うん……」
その時、俺の中にある思いが生まれた。
もし、俺がいなくなるようなことがあったら?
エレンは、どうするだろう……。
中庭を舐めるように、風が高い音を響かせて吹き抜ける。
故郷の村では、まもなく雪が降るはずだった。