地獄の夜間訓練②
地獄のような夜間訓練を終えたロブは、何とか家まで帰りつく。
そこで再びエレンと過ごす時間に感動すら覚えるが、実はそれは……。
……ブ、ロブ。
起きてよ、ロブってば。
「ん、んん……」
「ロブ、大丈夫!?」
「エ、エレン……?」
俺は、マンションの玄関で目を覚ました。
玄関を入ってすぐに力尽きたらしく、訓練をした格好のまま、クチャクチャに汚れて横たわっていた。
傍では、エレンが心配した様子で俺を覗き込んでいる。
「びっくりしたわよ」
「買い物から帰って来たら、いきなり玄関で倒れてるんだもの」
「エ、エレン~~!」
涙こそ出なかったが、俺はエレンにすがりつくようにして抱きついた。
俺は何とか、あの地獄のような夜間訓練を終えることが出来たのだ。
また愛する女性の元に帰ってこられて、心底嬉しかった。
「ほらほら、泣かないのよ」
「すっかりドロドロじゃない」
「まずはお風呂に入ってきなさい、ね?」
エレンは子どもに言い聞かせるようにそう言うと、俺をバスルームに押し込んだ。
バスタブには既に湯が張ってあって、リラックス効果のあるヴァーベナの香りでいっぱいだった。
熱いお湯の中に体を沈めると、あわや昇天しそうなほどの気持ちよさだった。
「訓練大変だったわね、お疲れさま」
「ほんっっとに、疲れたよ」
「ドミニクはさ、怖いぐらいにはしゃいでたけどね……」
昼食には、エレンの作ったカレーを食べた。
昨日の夜は缶詰を雪の中に落っことして食事を諦めたから、カレーの五臓六腑に染み入る旨さといったらない。
俺は世界一、いや、宇宙一幸せなオスだと、しみじみと感じたのだった。
食後にやっと一息ついて、俺はソファにぐたーっと寝そべるように座っていた。
その隣に、コーヒーのマグカップを持ったエレンが腰掛ける。
「職場の先輩もさ、夜間訓練で酷い目に遭ったって言ってたんだ」
「大変な目って?」
俺はコーヒーを一口含むと、シローさんの話をし始めた。
隣では、両手でカップを包んだエレンが、それを聞いている。
「訓練の帰りに、俺みたいに玄関でぶっ倒れて……それで……」
「それで?」
俺は、話の先を思い出していた。
シローさんは無意識に同棲していた彼女を押し倒し、えげつないプレイに持ち込んだ挙句、失望されて振られてしまったんだった。
そこへ行くと俺はどうだろう。
玄関でぶっ倒れはしたけど、エレンのことを襲ったりはしなかった。
そういうわけだから、彼女は今も、穏やかな顔をして俺の隣に座ってくれている。
何だ。
俺って、自分で言うのも何だけど、まあまあだったってことじゃないのか?
訓練中は何度も死にそうになったけど、下界に帰って来てからも理性を保つ余裕はあったってことになる。
ちょっぴりの自画自賛が、俺に気の緩みを許していた。
俺は自分のカップをソファ前のテーブルに置くと、エレンの手からもカップを取り上げ、同じようにした。
どうしたのと彼女が問うのを前に、その唇を塞いだ。
「……どうしたの、急に?」
「オスってさ、死にそうな目に遭うと、子孫を残そうって気が強くなるんだってさ」
「それって、つまり?」
「それってつまり、こういうこと……」
俺たちは小さな声で会話をしながら、互いの服を脱がせ合った。
彼女の肌が露わになるたび、俺はその部分にキスを繰り返した。
エレンがそれに応えるように声を漏らすと、すっかり準備万端となった。
多分俺は、いつも以上に激しく、彼女を抱いたと思う。
心の隅では、理性はちゃんとあるから大丈夫と、自分に言い訳をしながら。
「もう、ロブったら……」
「訓練から帰って来て疲れてるはずなのに、どういうことなの?」
「つまり、そういうことだよ……」
エレンがわざと怒ったような顔をして、俺から体を離した。
未だ何にも隠されていないその裸体を、俺は両腕で抱き締める。
「汗かいちゃったんじゃない? またお風呂に入る?」
「きみと一緒に?」
「そうしたいならね」
そうしたら、また中でしちゃうかも……と俺が言うと、ちょっとは加減しなさいと、エレンが苦笑いをした。
俺は幸せな気分で笑うと、先にバスルームに向かう彼女の背中を見送った。
*
……ブ、ロブ。
起きてよ、ロブってば。
「ん、んん……」
「ロブ、大丈夫!?」
「エ、エレン……?」
俺は、ソファの上で目を覚ました。
見れば、素っ裸にブランケットを被って横になっている。
どうやら、あの後うっかり眠ってしまったらしい。
「何だ、起こしてくれなかったの?」
「一緒に風呂入りたかったのに……」
「お風呂? 何それ?」
「ちょいちょい、何ってことはなくない?」
「さっき言ってたじゃん、汗かいたし風呂入る? って……」
俺の言葉に、エレンはポカンとしている。
よくよく見れば、エレンは特に湯上りという感じでもなかった。
一体俺は、あれからどれくらい寝てしまっていたのか……。
「え、今何時?」
「今? 朝の9時半だけど……」
「9時半!?」
俺は驚愕した。
エレンと寝たのがランチの後だったから、20時間近く寝ていたことになる。
「何で……何で起こしてくれなかったの?」
「何度も起こそうと思ったんだけど、すっごく疲れてるみたいだったし……」
「疲れるって……あんなの、別になんてことないって」
「ほんとは、バスルームでもう1回やるつもりだったんだけど」
「バスルームでやるって、何を?」
「いやいや、ええー?」
「だって、あれだけ激しく……」
俺はエレンとの会話を通して、何かが噛み合っていない不気味さを感じていた。
何だ、一体、どうなってる……?
「昨日の昼、カレー食べたよね?」
俺は、恐るおそるエレンに聞いてみた。
しかしエレンは、首を縦に振ってはくれなかった。
「昨日って、土曜日のこと? 食べてないわよ?」
「だってロブ、一昨日の午前中に、玄関で倒れてたきりよ?」
「……えっ?」
「仕事に行こうと出掛けたんだけど、忘れ物してうちに帰って来たの」
「そしたらあなたが玄関で倒れてるから、わたしもう、びっくりしちゃって……」
「呼んでも叩いても、ずーっと眠ってるんだもの」
「……」
「泥だらけだったしさすがにそのままはと思って、服を脱がせて体を拭いたの」
「着替えさせたかったけど、さすがにわたし1人では無理だったのよ……」
「裸で悪いなとは思ったんだけど、仕方なくそのままにして、やっとソファまで引きずって運んだってわけ」
俺はゾッとした。
それでも何とか、今までの失われた時間を思い出そうと努めた。
夜間訓練があったの木曜の晩で、金曜日の朝には下山して町に帰って来た。
マンションにたどり着いたのが金曜日の午前中で、土曜のメシを食っていないということは……。
俺は金曜日の午前中にここでぶっ倒れて以来、日曜の今までずっと寝ていたことになる!!
「マ、マジか……」
「夜間訓練、怖っ!!」
俺も、シローさんと同じだった。
意識が混濁してエレンに襲いかかったわけじゃなさそうだったけど、記憶がすっ飛んだのは同じことだ。
「訓練、本当に大変だったのね……お疲れさま」
「でも、寝てる時は幸せそうだったわよ?」
「何度かわたしの名前を呼んでたけど、どんな夢見てたの?」
どんな夢って?
それは、きみとヤリまくってる夢だよとは、とてもじゃないけど言えなかった。
俺は訓練で得たのとは別の疲労を感じ、再びソファに横たわった。
その日のランチは、カレーだった。
デジャヴのような気がして、なかなかスプーンを手に出来ない俺なのだった。