仲直り
フローリアンの助言を元に、とうとう部屋に帰る決心をしたロブ。
自分と仲直りしようとするエレンの気持ちを汲み取った彼は、エレンに正直な気持ちを告白することにして……。
前日に夜更かししたせいか、起きたら昼前だった。
俺より遅く寝たはずのフローリアンは、しっかり睡眠を取りましたというような清々しい顔で、ブランチをご馳走してくれたのだった。
俺は食事の後片付けを買って出ることで、何となく感じていた罪悪感を帳消しにした。
俺は今、何をすべきなのか。
それはもう、昨日のうちに分かっていた。
それでも俺の足は、真っ直ぐにうちへ向かってはくれないらしい。
エレンにあれだけのことをしてしまった手前、怖気づかずにはいられない。
フローリアンの部屋を出てからも、しばらくは街をぶらついた。
特にあてもなく歩いていると、偶然花屋に出くわした。
めちゃくちゃベタだよなと思いつつも、俺は店の中に吸い寄せられるように入っていくのだった。
*
部屋の鍵を持つ手が震える。
ガチャッという鍵の回る音が、やけに大きく聞こえた。
そっとドアを開けて中を窺う俺の手には、さっきの花屋で買い求めた、小さなブーケがあった。
入るや否や、エレンに出くわしたらどうしよう。
そんな心配は、取り越し苦労に終わった。
玄関はもちろん、リビングにもキッチンにも、エレンはいなかった。
昨日、俺が泣かせてしまった彼女が駆け込んだ寝室にも、その姿はなかった。
今日は土曜日だけど、仕事だったのか……?
そんなことを考えながら寝室のドアを閉めた時、微かに香るものに気付いた。
それに気付くと同時に、バスルームから水の跳ねる音が聞こえた。
どうやら彼女は、そこにいるらしい。
寝室からバスルームに向かう途中、手にしていた花束をキッチンのテーブルに置く。
そこにはジャガイモやニンジンといった野菜と共に、カレールウの箱も出してある。
彼女の気持ちに気付いて、俺はバスルームへと急いだ。
バスルームのドアの隙間からは、エレンが好んで使うバスオイルの香りが漂ってきている。
ヴァーベナというハーブのもので、すっきりとしたレモンのような香りだ。
ストレスや疲れに効くんだと、いつか彼女が教えてくれたのを思い出す。
俺はごくんと唾を飲み込むと、勢いよくドアを開けた。
突然のことに、バスタブに寄りかかっていたエレンがはっと身構えるのが見えた。
俺は何も言わずにずんずん進むと、彼女がいるその中に、服も脱がずにざぶりと飛び込んだ。
俺が座り込むと、バスタブの縁から盛大に湯が溢れ出した。
そんなことには構わず、俺は湯を両手ですくって顔を洗った。
濡れた顔を手で拭うと、正面にいるエレンを真っすぐに見た。
俺の突然の奇行に、エレンは目を真ん丸にしていた。
無意識に濡れた髪の毛をかき上げた手首に、昨日俺が付けたらしい指の跡が残っている。
「ごめん!」
俺が上半身を折り曲げて謝ると、バシャッとバスタブの湯が爆ぜた。
水滴に乗ってきたハーブの香りが、鼻腔を優しくくすぐる。
「……ロブ、あの」
「ごめん、先に言わせてほしい」
何か言おうと口を開きかけたエレンを、俺は手を上げて制止した。
エレンはバスタブにもたれるようにして、また体を湯に沈めた。
バスオイルを入れたバスタブの湯は、うっすらと白く濁っている。
傷跡のあるエレンの胸は、浮かぶようにしてそこにある。
半分湯の中に沈んだ彼女を胸を見るのが、俺は好きだった。
「まず、昨日はごめん」
「酔ってたのもあったけど……本当にひどいことしたと思ってる」
「謝っても許してもらえないかもしれないけど、本当に悪かった……」
エレンは相変わらずそのままの姿勢で、じっと俺のことを見ている。
彼女が何か言い出さないうちにと、俺は言葉を継いだ。
「レオときみがキスしたのを見て、本当にショックだったんだ」
「きみがレオのことを兄貴みたいに思ってるのは、もちろん知ってる」
「だけど、ずっとモヤモヤしてた」
「きみが嬉しそうにレオとのことを話す時、俺はずっと、寂しい気持ちでいっぱいだった」
「蔑ろにされてるなんて、そんな風には思ってない」
「だけど、何て言うか……きみには、俺だけを見ててほしいって言うか……」
「下らない嫉妬だってのはよく分かってるし、大らかになれない自分も嫌だ」
「だけど、どうしようもないんだ」
「どうしようもなく、あいつに嫉妬してしまう」
「俺が絶対に入り込めない何かを持ってる、あのレオに……」
「ずっと、それが言えなくて」
「今まで大変な目に遭ってきたきみが、やっと再会した家族と呼べる相手と会うのすら嫌だなんて」
「そんなこと、情けなくて言えなかった……」
「ごめん」
「ほんと、情けなくてごめん……」
言いたいことは、とりあえず言えた。
俺は肩を落とすと、湯から突き出ている自分の膝を見つめた。
まったく、言葉にしてみると、これ以上ないってくらい馬鹿だよな……。
「じゃあ、次はわたしね」
バスタブの中で姿勢を正し、エレンが口を開いた。
少し背を伸ばした時に、白い湯の中で柔らかな胸が弾んだ。
「昨日は……怖かった」
「いつも温厚なロブが、あんな風になるとは思ってなくて」
改めてよく見ると、彼女の首筋にも小さな跡がいくつか付いている。
昨日押し倒した時に、甘噛みしたのを思い出す。
胸がまた、ぎゅっと締めつけられた。
「でもね」
「そうさせてしまったのは、わたしのせいでもあったって分かったの」
「レオとあなたが上手くいってないのは、何となく分かってたはずなのに」
「あなたが彼と会うのを許してくれることに、ずっと甘えてたと思う」
「わたしはわたしで、彼との再会に舞い上がってたのね」
「たとえレオが本当の兄だったとしても、わたしが彼と会うことは、ロブにとっては嫌なことかもしれないって気付けたと思うの」
「ほんの少しでも、冷静になって考えてたとしたらね……」
「知ってたはずなのに」
「ロブなら、わたしのためを思って、嫌なことも我慢するんだろうってこと」
「あなたが何も言わないのをいいことに、わたしも気付かない振りをしてた」
「それで、あんなに追い詰めてしまった」
「謝らないといけないのは、わたしも同じなの……」
エレンは湯の中に滑り込むように、今度は姿勢を崩した。
バスタブの中で、俺たちの膝が付き合う格好になる。
それを見つめながら、エレンは続けた。
「それで今朝、またレオに会いに行ったの」
「何でキスしたのかは、聞かなかった」
「ただ、ずっと言えなかったわたしの過去について、彼に全部話したのよ」
「わたしが保健所を出た後、どうなったか」
「獣に飼われて、どんな目に遭わされたか」
「あまり表情には現れなかったけど、きっと彼もショックだったと思う」
「でもね、それでもわたしは、ロブが好きなんだってことも伝えたの」
「わたしの人生をめちゃくちゃにしたのは確かに獣だけど、それでも同じ獣である彼が好きなんだって」
「ロブはそれだけ、わたしにとって特別なんだって……」
体が火照る。
それは、バスタブの中にいるからってわけじゃない。
俺は今、彼女がどんなに自分を思ってくれているのかを、ひしひしと感じていた。
「わたしたち、お互いにちょっと間違えてただけなのよね」
「だからもう、これでおしまい」
「仲直り、出来る?」
乳白色の湯の中から、ゆっくりとエレンの手が浮き上がってきた。
ヴァーベナの澄んだ香りが移ったその手を、俺はぎゅっと握り返す。
それで俺たちは、ようやく仲直りが出来た。
「さ、いつまでも浸かってたらのぼせちゃうわ」
「今日の夕食って、何だと思う?」
「仲直りの印に、カレーを」
そう言いかけたエレンの口を、俺は自分の唇で塞いだ。
昨日は俺を拒否して固くなった体は、今はゆったりと預けられている。
やっていることは変わらないけど、比べものにならないくらい温かく感じる行為だった。
「カレーもいいけど……」
「もっと、別のやり方はどう?」
「試してみない?」
そっと彼女の頬に手を触れた俺の表情から、エレンはちゃんと察してくれたみたいだった。
片眉をちょっと上げて、意地悪そうに笑ってみせる。
「それも、いいかもね」
「ところで、いつまで濡れた服を着ているつもりなの?」
いつもの調子が戻ったエレンにそう言われ、俺は自分が服を着たままだったことを今さら思い出した。
昨日とは打って変わって狂おしいほどの昂りを感じながら、彼女の気が変わらないうちにと、俺は急いで服を脱ぎ捨てたのだった。




