嫉妬
エレンとレオのキスシーンを目撃してしまったロブ。
弁解するエレンに、彼はいら立ちをぶつけてしまい……。
俺は、一瞬にして素面に引き戻された気がした。
何も言えないで、廊下に突っ立ているしかなかった。
レオは、今しがたキスをしたばかりのエレンに、静かな声でじゃあなと言った。
呆気に取られている彼女を置き去りにして、涼しい顔で俺の方に向かって来る。
レオにとっては、俺がキスを目撃しても目撃してなかったとしても、どうでもいいみたいだった。
まるで何もなかったかのような顔をして、俺なんか見えてないって感じで傍を通り過ぎる。
その横顔に、微かな意地悪い笑みが浮かんだような気がしたのは、俺の思い過ごしだろうか。
そこでようやく、ドアの前に立つエレンと目が合った。
俺の顔を見た彼女は、今までになく動揺していた。
そりゃ、そうだろう。
パートナーの留守中に男を引き入れ、そいつとキスしているところを見られたんだから。
下世話な言い方をすれば、そういうことだ。
エレンとレオはそういう関係じゃないと、気になりながらも自分に言い聞かせていた。
彼らが兄妹のような間柄だと信じるからこそ、俺はレオとエレンが親しくするのにも我慢してきたんだ。
……我慢、か。
「……ロブ」
俺が部屋に入ろうとする時、エレンは手を伸ばして俺に触れようとした。
さり気なく、それを避けた。
バスルームに直行して、蛇口を大きく捻る。
必要以上の激しさで水を迸らせ、ざぶざぶと顔を洗った。
落ち着け、落ち着け。
俺は、自分に繰り返す。
何とか、冷静になろうとしていた。
そんな努力とは裏腹に、俺はまた、バスルームの入り口に立ったエレンを無視してしまった。
言い訳するチャンスを窺って俺を追いかけてくるような彼女の行動が、どうしようもなく癇に障る。
こんなことは、初めてだ。
「ねえ、ロブってば」
呼びかけに答えず、俺は冷蔵庫を開けて、ミネラルウォーターのボトルを無造作に掴み取る。
キャップを開けると、半分くらいを一気に飲み干した。
喉の渇きは治まっても、胸の中のざわつきは飲み下せない。
ボトルを持ったままリビングへと行き、ソファには座らずにその前に腰を下ろした。
その傍らに、俺を追ってきたエレンも座る。
「ねえロブ、聞いてってば……」
「聞けって、何を?」
「今日は、カレーを作ったの知ってるでしょ?」
「あなたが帰って来ると思って、たくさん作っちゃって……」
「1人で食べるのも寂しいし、レオを誘ってみたの……」
キャップが開いたままのボトルをテーブルに置き、俺は顔を一撫でした。
手の平で感じた顔の熱さからも、まだ酔っているのが分かる。
「で、邪魔者のいない間にお楽しみってこと?」
「やめてよ、そんな言い方」
「あいつとキスしてたじゃないか」
「キスっていっても……頬に軽くされただけよ」
「そうなんだ」
どうだってよかった。
彼女が俺でなくレオとキスをしたことに、変わりはないじゃないか。
「きみたちは、いつもあんな感じなの?」
「どういう意味? あんな感じって」
「さっきみたいに、別れ際にキスしたりするの?」
「しないわよ」
「あんなことされたの、初めて」
「だからわたしだって、びっくりしてるんだから……」
エレンは落ち着かない様子で体を動かし、顔の前に落ちてきた髪を耳に掛けた。
何に隠されることもないその唇は、本当に俺以外を受け入れていないって言えるか?
俺はエレンの腕を掴んで引き寄せると、酔いに任せて強引にキスをした。
動いた拍子にテーブルに置いていた水のボトルが倒れ、残っていた中身をラグにぶちまけていた。
突然のことに驚いた彼女が何か言おうとして開いた口に、今度は舌を押し込む。
「ん、やめ、やめて、ロブ」
「そんな風にしないで」
すぐに俺から一定の距離を取ると、エレンは自分の体を両手で包むようにしていた。
それで、心底困ったように言った。
俺がこんな風にキスをすることは、たとえ酔っていてもないことだからだ。
彼女は、今の状況にとても困っている。
それが手に取るように分かるからこそ、俺はいっそう煽られたような気分になる。
「何で?」
「俺ときみがキスをしたって、何も不自然なことってないだろ?」
「レオはよくて、俺はだめなの?」
嫌なやつ。
面倒臭いやつ。
心の奥でもう1匹の自分が言うけど、そんなの構ってられるか。
「ロブ、そのことについてはもう一度しっかり話し合いましょう」
「あなたは酔ってるし……わたしだって急にこんなことになって混乱してるの」
「まずは休んで、それから話を整理しないと……」
「整理?」
「そんなことしなくたって、別にいいじゃないか」
「よく分からないことなんて、何もないんだから」
「ロブってば」
「あなたが怒るのは分かるけど……」
「怒る?」
「怒っちゃいないよ」
「ただ、裏切られたのかなって気持ちはあるよ」
「裏切るだなんて、そんな……」
俺は今まで、エレンをこんな風に責め立てたことはなかった。
そもそもそうする理由もなかったし、仮に責める理由が何かあったとしても、こんないやらしい言い方はしない。
ただ、今夜はもう無理だった。
冷静になるなんて、無理だ。
あのレオが、エレンとキスをしていた。
それが家族に感じる愛情から起こったことだったとしても、そんなことは関係ない。
俺は、とてつもなくムカついていた。
エレンの両腕を掴むと、そのままラグの敷いてある床に押し倒す。
また無理矢理にキスをして、彼女を押さえつけた。
エレンは俺の体の下で身をよじり、バタバタと足を動かしてもがく。
これじゃレイプだなと、状況を冷静に分析する自分がいた。
「……やめ、やめて、ロブ!」
「嫌だってば!」
エレンは抵抗していたけど、そうしたところで俺に敵うはずもない。
俺は彼女が着ているワンピースのボタンに噛みつくと、そのまま力任せに引き破った。
ボタンを床に吐き出したのを、エレンが唇を噛んで見上げている。
何でだ?
何で、俺を拒むんだよ?
興奮というよりは、怒りだった。
レオとキスした癖に、俺を退けたがるエレンへの怒り。
エレンの細い両手首を、片方の手で押さえるなんて造作もないことだ。
俺は破れた胸元に顔を突っ込むと、首筋や胸に何度も鼻先を押しつけた。
エレンが出せる限りの力で抵抗しているのが、彼女を押さえつける手から感じられる。
そうされればされるほど、俺はもっと彼女をめちゃくちゃにしてやりたい衝動に駆られるのだった。
ワンピースの裾をまくり上げ、彼女の白く柔らかなももの間に自分の脚を割り込ませる。
エレンが脚を閉じられなくなったのをいいことに、下腹部に手を滑らせる。
「いや、やだっ」
「嫌なの、ロブ!」
彼女の声に、俺は思い出したように顔を上げる。
何の感情も浮かべない表情で、エレンに言い放った。
「俺にさせてるようなこと、あいつにもやらせたの?」
「あいつと……レオと寝たんじゃない?」
抵抗するのも忘れ、エレンは目を見開いた。
この俺がそんなことを言うなんてと、心の底から驚いているみたいだった。
そして同じくらい、ひどく傷ついていた。
彼女は俺の手を振り払うと、ソファにあったクッションを引き寄せ、力いっぱいぶつけてきた。
そしてすぐに起き上がると、破れたワンピースの胸元を隠すようにして駆け出した。
残されたリビングで、俺はぼんやりとしていた。
エレンが駆け込んだ寝室からは、小さなすすり泣きが聞こえてくる。
俺は頬を擦ると、ぶつけられたクッションを掴み上げた。
全体に花模様がプリントしてあるカバーで、引っ越しにあたって一緒に選んだものだった。
それをソファに戻した時ようやく、どうしようもない気持ちに襲われた。
俺は何て、とんでもないことをしてしまったんだ。
俺は、これっぽっちも興奮していたわけじゃなかった。
いっそ、その方がまだましだった。
欲情じゃなくつまらない嫉妬心から、俺はエレンを傷つけてしまった。
もし俺がもっと出来たオスだったら、すぐに寝室に向かったと思う。
おそらくベッドに伏せて泣いている彼女に寄り添い、出来る限りの気持ちを込めて謝ったに違いない。
だけど現実の俺には、その勇気がなかった。
まだ酔いの残る足で立ち上がると、そのまま部屋を出たのだった。
逃げることしか、出来なかった。