憂鬱は続く
レオの部屋を訪ねたエレンは、結局彼と夕食を共にした。
彼女が自分よりレオを選んだ気がして、ロブの憂鬱はさらに深まる。
ある日、先輩のシローに飲みに付き合わされたロブは、部屋の前で思わぬ光景を目撃して……。
その約束の日、エレンが帰って来たのは夜も更けてからだった。
午後早くに、夕食までには帰ると言って出掛けた彼女は、結局レオと一緒に夕食を食べて帰ることになった。
もちろん無断ではなく、そうしていいかと俺にお伺いを立ててからだったけど……。
エレンがそうするんじゃないかと何となく予想はしていたのに、いざ現実になると、自分でも驚くほどにショックを受けていた。
何を作る気も起こらず、夕食にはインスタントヌードルを食べた。
3分過ぎたのにも気付かず放置してしまい、麺はダラダラと伸びきってしまっていた。
ブチブチと切れて食べにくいそれを、キッチンに寄りかったまま、俺はフォークでつついていた。
そう、つまり、エレンは俺よりレオを優先したことになる。
恋人と過ごす週末より、数十年ぶりに再会した兄貴との時間を選んだんだ。
毎日顔を合わせる俺と、相手を忘れてしまうくらい長い時間を経て再会した家族。
ほんの数時間を後者のために使ったからって、誰にも文句を言う権利なんてない。
頭では分かっているのに、俺は悔しくて仕方がなかった。
もし俺とレオの間に良好な関係があったとしたら、俺はここまで気持ちが揺れることはなかったに違いない。
レオが俺を嫌うからこそ、そんな相手にエレンを取られたような気がして苦しかった。
「ロブ、今日はごめんね」
「怒ってる……?」
エレンが帰って来た時、俺は既にベッドの中にいた。
彼女に背を向ける格好で横たわっていたけど、もちろん、眠れないでいた。
寝る支度をしたエレンはそんな俺の横に滑り込むと、背中に体をそっと押しつけてきた。
彼女の温かさが、背中からじわっと広がっていく。
体を縛るようにしてあった緊張感が、少しずつほぐれていく。
俺はただ、言えばよかった。
レオと会うのはいいとして、夕食までには帰って来てほしかったな。
責めるように言うんじゃなく、ヌードルなんか食べて寂しかったんだぞと、茶化して言ったってよかったのに。
だけど俺は、エレンに本音を言えなかった。
「怒ってなんかないよ」
「きみにとってのレオがどういう存在なのか、ちゃんと分かってるから」
「本当に大切な、家族だってことも……」
背中を向けたままじゃいじけているように見えるだろうし、俺は寝返りを打ってエレンに向き合った。
俺の言葉を聞いたエレンは、目を細めてキスをしてくれた。
そして一言、ありがとうと言った。
とんだ優等生じゃないか。
自分自身のことなのに、俺はまるで第三者みたいな顔をして意見を言ったわけだ。
世間一般の多くが考える模範解答を、さも当然だろって言わんばかりに。
*
あの日以来、エレンがレオを訪ねることはなかった。
度々電話をしている姿を見かけたけど、また彼を訪ねるとは言わなかった。
エレンと接する俺には、特別な優しい雰囲気がある。
以前、ライムにそういうようなことを言われたことがある。
俺は今それを、レオと話すエレンに感じ取っていた。
保健所で名前のなかった2人は、今ではエレンとレオという名前を持っている。
レオは彼女を、エレンと呼ぶようになったらしい。
エレンもまた彼を、【お兄ちゃん】ではなく、レオと呼ぶようになっていた。
呼び名が変わったところで、関係性に変化が生まれるわけじゃない。
それでも俺は、エレンがレオの名前を口にするたび、ちくっとした痛みを感じるのだった。
俺は相変わらず、よく出来た彼氏の皮を被り続けていた。
そして皮の下では眉間に皺を寄せて、もやもやとした気持ちに苛まれていたのだった。
そんなある日のことだった。
残業もなく帰れる貴重な日に、俺はシローさんから呼び止められた。
「ちょ、ロブ~~!」
「オレ、もうダメだよ~」
シローさんは最近、気になるメスが出来たらしい。
彼女とは、引っつくか引っつかないかという、微妙なバランスを保っているらしい。
と、ムースから聞いていた。
「もうさ、何が正解か分かんないのよ」
「恋人がいるおまえに、ぜひ相談に乗ってほしいんだよぉ~」
正直、嫌だなと思った。
今日は早く帰れそうだと告げると、エレンは嬉しそうだった。
夕食にはカレーを作るからと、笑顔で俺を送り出したのだった。
俺の足元にまとわりつく先輩を見ているとしかし、無下にすることも難しかった。
シローさんはとても気さくで、俺もよくしてもらっている。
考えた結果、少しならという条件付きで、俺はシローさんと飲みに行くことになったのだった。
「で、そういうことになっちゃって……」
『そう……なら仕方ないわね』
彼女が大袈裟に嫌がるなら、俺はシローさんを断るつもりでいた。
でも、電話口のエレンは、少し残念そうに笑っただけだった。
それは、彼女によくあることだった。
余程のことでない限り、エレンが自分の気持ちを主張してくることはなかった。
引き留められなかったことでしかし、俺の心にまた新しい疑念が生まれた。
エレンはもう、俺にそこまでの関心を持っていないんじゃないかっていう、馬鹿げた疑念だ。
頭にそう思い浮かべてみて、情けないことを考えるなと自分を叱る。
だからといって、笑って済ませることも出来なくなっていた。
「あー、思ったより飲み過ぎたな……」
部屋へ続く廊下を歩いていて、足元がふらつくのに気付いた。
少しだけと思っていたのに、シローさんのペースに巻き込まれてずいぶんと飲んでしまっていたらしい。
酔ってはいるけど、幸い、時間はまだそんなに遅くない。
エレンと顔を合わせ、話をしたりする時間は十分に残されているはずだ。
隣の部屋の前まで来た時だった。
不意にうちの部屋のドアが開き、中から誰かが出て来た。
それが誰なのか分かった時、背筋を寒気が駆け降りる。
部屋から出て来たのは、レオだった。
それを見送るために、エレンが後に続く。
一足先に廊下に出たレオは、自分を見て呆然としている俺に、間違いなく気付いていた。
エレンといる時の幾分優しさを帯びた瞳で俺を見て、そして目の前にいるエレンと視線を合わせる。
「何?」
そう聞いたエレンに、彼はそっとキスをしたのだった。