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レオとエレン②

エレンとロブは、かつて保健所で共に時間を過ごした仲間だった。

2人で保健所を逃げたという話を聞き、その関係の深さにロブは打ちのめされることに……。

エレンは俺の胸でじっとしたまま、話を続けた。


「保健所ではね、3度の食事にパンが出るの」

「今のわたしが食べたら、これってパンなのって思えるような代物だったわ」

「それでも、ないよりましだった」


「子どもは、わたし以外にも何人かいたのよ」

「わたしはその中でも、一番年下だったと思うの」


「だからかな……よく、年上の子にパンを盗られてた」

「不味いもので我慢するしかないから、せめて量を食べたいってことだったのよね」


エレンの声は、淡々としていた。

記憶というより、まるで記録について話しているような感じだった。


子どもの頃の俺は、それなりにワガママだった。

あれは嫌だ、これは食べたくないと、両親によく文句を言ったものだ。

そんな子どもだった自分と、不味いパンすら盗まれてしまう子どもだったエレンを照らし合わせると、胸が痛かった。


「食べ物を盗られても反撃なんか出来なかったし、いつも泣いてばかりだったわ」

「泣いたって、大人は誰も助けてくれないんだけどね」

「そんな時だった……お兄ちゃんに会ったのは」


「お兄ちゃんは、眉毛に傷跡があったの」

「そのせいか、前に立たれた時は怖かったな」


「でもね、彼はわたしに、パンをくれたの」

「もう盗られないようにって焦ってすぐに食べ終わると、もう一切れくれたのよ」

「1人がもらえる数は決まってるのに、どこでどう仕入れてきたのか……」


「それから、わたしは彼の後をついて回るようになったわ」

「お兄ちゃん、最初はすごく面倒そうだった」

「厄介なのに懐かれたって感じで……」


エレンが笑ったのを聞いて、俺は、記録が記憶に変わったのを悟った。

今、俺のすぐ傍にいる彼女の脳裏には、その時のレオの顔がありありと浮かんでいるに違いない。


「いつからか、わたしは彼をお兄ちゃん、彼わたしをチビスケって呼ぶようになったの」

「信じられないような話だけど、保健所では名前なんてなかったのよね」

「番号すらなくて、おいとかお前とか、そういう風に呼ばれてた」


エレン。


俺が大好きな彼女の名前は、保健所から逃げ出したエレンを受け入れた、オオカミのハンナが付けたものだった。

それまでのエレンは何者でもなく、レオになる前のレオもまた、そうだったんだ。


「わたしが、保健所を逃げ出したことはもう知ってるわよね?」

「……うん」


「一緒に逃げたのが、お兄ちゃんだったの」

「何でかな……ずっと忘れてた……」


エレンは、わずかに声を詰まらせた。

保健所での生活は、彼女にとって忘れてしまいたい時間だったはずだ。


後のハンナとの生活でそれを心の奥に押し込めて忘れたとしても、誰にエレンを責める権利があるだろう。

誰にだってあるわけはないんだけど、きっとエレンは、自分で自分を許せずにいる。


「一緒に行くぞって、お兄ちゃんが手を引いてくれて……」

「それで、2人で手を繋いで雪の中を走った」


「でも、途中で見張りの獣に見つかって……彼らが追いかけてきて……」

「そう、わたし、雪の中で転んで……」


「それに気付いたお兄ちゃんは、わざと居場所を知らせて、自分が囮になってくれた」

「それでバラバラになっちゃって……それきりだった」


「そう、そうだった……」

「何で……何でずっと忘れてたの……」

「わたしのこと、あんなにずっと守ってくれてたのに……」


エレンは俺の腕にしがみつき、泣いた。

俺は何も言うことが出来ず、ただエレンを抱き締めていた。

何か言えることがあったとは、到底思えなかった。


レオとエレンの間にあるものは、俺が想像していたよりもずっと大きくて深い何かだった。

ありきたりな言葉で慰めたり、口を挟んだりなんて出来るはずもなかった。


もし保健所でレオと出会わなければ、今、俺の腕の中にエレンはいなかったかもしれない。

レオが身を挺して守ってくれなかったら、エレンはハンナの元にたどり着けなかったかもしれない。


もし、レオがいなかったら。

もし……。


ひとしきり泣くと、エレンはそのまま眠ってしまった。

彼女の顔は涙で汚れ、酷く疲れたような顔をしていた。


俺のせいじゃない。

分かってる。

なのにどうしてか、罪悪感のようなものが押し寄せてくる。


そして同時に、とてつもない疎外感にも苛まれる。

エレンはレオとの経緯を俺に話してくれたけど、だからってどうすることも出来ないじゃないか。


俺とエレンにだって、他が入り込めない繋がりがある。

でも、レオとエレンのそれに比べたら、とてもつまらないもののように思えてしまう。

そんな風に思う必要はないって、分かってはいるんだけど。


俺とエレン、レオとエレン。

それぞれの間にある繋がりは、他と比べるべきものではない、独立したものだと分かってはいる。

それなのに俺はどうしても、レオとエレンの繋がりに、強さを感じずにはいられないんだ。


あの夕暮れに起きた再会で、俺の中で何もかもが変わってしまった気がした。


その直前まで、俺は世界一エレンを大切に思っていたし、彼女もまた、俺をそう思ってくれていると考えていた。

でも、今は分からない。

俺の気持ちに揺らぎはないけど、エレンは本当に俺を一番だと思ってくれているのだろうか。


子どもの頃の俺はワガママだと思っていたけど、今の俺だってそのままみたいだ。

自分が一番じゃなきゃ嫌だなんて、口が裂けても言えない癖に。

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