レオとエレン①
レオとエレンが知り合いであったことが分かり、気まずい雰囲気でデートをすることになってしまう。
レストランでの食事を止めた彼らは、気分転換のため、予定通りにホテルに行く。
ベッドの中で、エレンはレオについて話し出し……。
俺は訳が分からないまま、まずはエレンを見た。
エレンは俺のことなんか忘れてしまったみたいな顔をして、レオと向き合っていた。
ほとんど反射的に、俺はレオの顔も見た。
彼がそんな表情をするのを、俺は想像すら出来たことがなかった。
レオは目をやや細めて、エレンを見ていた。
その瞳はどこか潤いを増したようで、同時に、安堵の色をも浮かべている。
そして俺は、再び見た恋人の目にも、同じ色が宿っていることに気付く。
エレンは両手を力いっぱい握り締め、それを口元に当てていた。
一体何がどうなっているのか、まるで分からない。
生まれてから今までで、こんなにも状況が飲み込めないことは初めてだった。
「おに」
「おにい、ちゃん」
震える声で、エレンがレオを呼ぶ。
今にも泣き出してしまいそうな声だ。
「しっかりしろ」
「今日は……こいつと約束があるんだろ」
震えるエレンの肩に手を置いたのは、残念ながら俺じゃなかった。
レオはエレンの肩に手を置き、少し揺さぶるようにした。
兄が、小さい妹に何か言い聞かせているかのような光景だ。
「もう行け」
「お互い、居場所は分かったんだから」
「うん……」
俺は、レオがこんなに話しているのも初めて見た。
彼が職場で発するのは言葉というよりは声で、それも、不機嫌そうなものばかりだった。
レオは最後には、いつまでもうじうじとそこにいるエレンを、何も言わずに俺の方に押し出した。
それで踵を返すと、振り返ることなく行ってしまった。
「えっと……あの」
「い、行こうか」
「うん……」
俺は本当ならすぐに、手を繋いだ彼女から根掘り葉掘り聞き出したかった。
レオは、きみの兄なのか?
だとしたら、何で今まで一度も話さなかったのか?
それとも彼は……。
でも、俺には出来なかった。
エレンは俺に手を引かれ、黙ったまま歩き続けた。
彼女の表面は硬い殻に覆われていて、でもその下では、何かが息を吹き返していた。
そしてそれは彼女とレオだけのもので、俺が見たり触れたり出来るようなものなんかじゃない気がした。
*
「じゃあ、このコースを2つで」
「はい、かしこまりました」
数分後、俺たちは予約していた店に到着していた。
歩いている間こそ無言を貫き通したエレンだったけど、席に案内された時には、何のためにここにいるのか思い出してくれたみたいだった。
少しぎこちなくはあったけどちゃんとメニューに目を通し、俺と同じコース料理を選んだのだった。
「近いって聞いてたんだけど、けっこう歩いた気がしない?」
「そう?」
何と話しかけたものか分からず、俺は当たり障りのないことしか言えなかった。
エレンはいつもと変わりない様子で席に着いていたけど、俺にはどこか、そう演じているような気がしてならなかった。
もしさっきのようなことがなかったら、エレンはもっとリラックスした様子で俺と向き合ってくれたはずだ。
少し悪戯っぽく笑って、頼んだ料理の話なんかしたに違いない。
事情はまったく飲み込めないけど、レオとエレンが顔見知りだったことは確かだ。
彼らの反応を見るに、おそらくはかなり昔の知り合いだろう。
大学生の俺がエレンと出会う前、それよりずうっと昔の……。
俺たちは、言葉少なだった。
いつもはそうであっても気にならないのに、今日は窮屈に感じられて仕方がない。
居心地の悪さは俺だけでなく、きっとエレンの中にもあるはずだ。
「失礼します」
「こちら、コースとセットのパンです」
「食べ放題になっていますので、また声をかけてくださいね」
ホットパンツとTシャツというユニフォームを着たメスのヒョウが、俺たちのテーブルにパンを運んで来た。
焼きたてなのか、香ばしい匂いが漂ってくる。
「ここのパン、すごい人気なんだってさ」
「さ、食べようか?」
パンを前にぼうっとしてしまったエレンに、俺はさり気なくそう言った。
自分の皿に載ったパンを一口大にちぎると、口に押し込んだ。
確かに、美味しいパンではあった。
向かいのエレンを見ると、彼女もまた、パンをちぎって口に運んでいたところだった。
口に含むや否や、ぱちっと目を見開く。
「ほんと、美味しい!」
「だよなあ?」
彼女が急にいつものエレンに戻ったのを見て、俺は嬉しくなった。
何だ、何も心配することなんかなかった。
あまりに急な再会で、彼女の心が付いて行かなかっただけだ。
そういうことは、誰にだってある。
楽しい時間を過ごせば、それも徐々に日常の中に染み込んでいくに違いない……。
「やばいな、本当に美味い」
「エレン、次はどれに……」
すっかり舞い上がってしまった俺は、大きな勘違いをしていたらしい。
いや、そう思いたかったのかもしれない。
レオとエレンの再会は、どれだけ久々だったにしても、結局はありきたりなものだったのだと。
でも、そういうわけじゃないみたいだった。
食べかけのパンを手に、エレンは泣いていた。
口にしたパンを美味しいと言った顔のままで、涙をボロボロとこぼしていた。
「ロブ」
「ん?」
「どうしよう、わたし……わたし、ずっと忘れてた」
「彼のこと……」
「わたし、彼のおかげで……なのに、わたし……」
結局、エレンは涙を止めることが出来なかった。
肩を震わせて泣き、とてもじゃないけど食事を出来るような状態には思えなかった。
俺たちは料理をキャンセルし、レストランを出たのだった。
エレンは、かなり憔悴していた。
だからこそ気分転換が必要だと思い、結局ホテルに泊まることにした。
もちろん、彼女も同意の上で。
例のジャグジー付きのバスタブに湯を張り、一緒に入った。
並んでバスタブに寄りかかり、部屋の目玉である夜景を見た。
きれいね。
エレンはぽつりと呟き、後はもう何も言わなかった。
久々のデートで一緒のバスタブにいながら、俺は彼女に指一本触れなかった。
彼女がそういうことを望んでいないのは痛いほど分かったし、俺もまた、そういう気が起こらなかった。
エレンがついに口を開いたのは、ベッドの中でだった。
夕方の妄想はどこへやら、俺たちはきちんとバスローブに身を包み、大人しくベッドに横たわっていた。
「今日は、ごめん……」
「こんな風にするつもりは、なかったんだけど」
エレンはそう言うと、そこで初めて、俺にくっ付いた。
足を絡ませ、俺の胸の辺りでじっとしている。
俺は、彼女の続きを待った。
「……もう、ずっとずっと昔の話よ」
「レオ……お兄ちゃんとは、保健所で一緒だったの」
彼女がぽつぽつと語り出した言葉に、俺は体が強張るのを感じた。
保健所。
子どもだったエレンが逃げ出した、まるで収容所のような場所だ。