青春と熱中症
徹夜をして、何とかユリフェストの準備を終えることが出来たロブ。
学祭は思ったよりも忙しく、慌ただしい時間を過ごす。
2匹の様子を見に来たエレンの前で、ロブに異変が起きて……。
「ロブってば、何で起こさなかったんだよ~」
近くのコンビニで買った朝食のパンをかじりながら、エリオットさんは俺の脚を小突いた。
既に昇った太陽は、午前も早くからギラギラと照り付ける。
「一時はどうなるかと思ったけど、何とかなってよかったですね」
「ほんとだよなー」
「でもさ、こういうトラブルもありってのが、青春って感じしない?」
「そうかもですね」
食事と並行して店の準備もし、予定通りにセッティングを終えることが出来た。
何だ、結果オーライってとこか。
エリオットさんの言う通り、トラブルあってのイベントという気もした。
やがて、ポンポンと空気が震えたかと思うと、澄み切った青空に白い煙をまとった花火が上がる。
メインステージで開会セレモニーの行われている音が、俺たちの店まで聞こえてくる。
さあ、いよいよ学祭の始まりだ!
「暑ぅ~~」
エリオットさんは、ボトルの水を頭から被っている。
ユリフェストに遊びに来た獣たちも、なるべく日陰を歩こうと隅に寄っている。
「さっきネットで見たらさ、今日ってかなり暑くなるらしいぜ」
「やだね、7月も始まったばかりだってのに」
スマホを小さな指でいじくりながら、エリオットさんはうんざりしたように呟いた。
多肉の鉢植えは、ぽつぽつ売れ始めていた。
例に漏れず、俺も暑さは苦手な方だ。
そもそも獣というやつは、全身に毛が生えている。
夏でも1枚余分に着ているような感じで、だいたいが暑さに弱いのだ。
「熱中症には気を付けないとだな」
「そうですね」
いつもにも増してたるみ、今にも溶けそうになっているエリオットさんの隣で、俺もボトルの水を飲んだ。
その前を、雌インパラの一団が通りかかる。
「キャー、何これ!」
「すごい可愛くない?」
10頭近くいるだろうか。
みなほっそりとした脚をこれでもかと露出し、鉢植えを前にはしゃいでいる。
それからが大変だった。
インパラの群れは、我も我もと鉢植えを買い求める。
その集団の騒々しさが宣伝となり、エンケンの店の前にはいつしか黒山の獣だかりが出来ていた。
あっちからこれちょうだい、こっちからこれ何? の嵐で、目が回るような忙しさ。
俺は正直、学祭の模擬店を舐めていた。
どうせ素人のやることだからと、ここまで繁盛するとは思っていなかった。
それはどうやら、このビーバーの先輩も同じようだった。
丸い体をボールのように弾ませて、彼もまた、接客に大忙しだった。
午後を前に、多肉の鉢植えは半分以上が売れてしまった。
やっと落ち着きを取り戻してた店で、俺たち2匹は、口を開いて喘ぎながらぐったりと座り込む。
「すげーな、多肉植物って」
「めちゃ人気ですね……」
「オレも、その人気にあやかりたいなぁ……」
エリオットさんは新しいミネラルウォーターのボトルを開け、ぐびぐびと飲んでいる。
俺も飲もうかと、手を伸ばした時だった。
「売行きはどう?」
不意に掛けられた声に顔を上げると、そこには太陽を背にしたエレンがいた。
白いTシャツにジーンズという格好で、髪はアップにしてまとめている。
肩には、店の名前が入った布バッグを提げていた。
「あれ、今日は仕事じゃなかったんですか?」
「うん、それはもう終わったの」
「どうなってるか、気になっちゃって」
首から掛けたタオルで汗を拭き拭き、エリオットさんはエレンと談笑している。
それを見ている視界が、一瞬ぐらりと揺れた気がした。
「あれから、ロブもすごく頑張ってくれたんですよ」
「こいつが徹夜で作業してくれたから、何とか店を開けました!」
エリオットさん、俺のこと、そんなに持ち上げなくてもいいですよ。
俺は口に出してそう言いたかったけど、何だか舌がもつれるような気がして止めた。
頭も痛い気がする。
「ロブ?」
エレンの声がする。
彼女が、俺を見ている。
なぜか、心配そうな顔をして。
「何で、そんな……」
何で、そんな顔して見てるの?
言葉が、最後まで出てこない。
「ロブ、どうした?」
エリオットさんの声を聞きながら、俺は、足の力が抜けていくような感覚を味わっていた。
実際に力が抜け、ずるずると座り込んでしまう。
立とうという意思はあるんだけど、体が全然言うことを聞かない。
「ロブ!」
エリオットさんが駆け寄る。
エレンも、テントの中に回り込んで来た。
彼女が、俺の傍らにいる気配を感じる。
その手が、俺の頬に触れている。
「熱い……」
「え、熱中症かな!?」
エレンとエリオットさんの声が、頭の中で響くように聞こえる。
気分が悪い。
意識して喉を締めておかないと、今にも朝食をぶちまけてしまいそうだ。
「ロブ、わたしの言ってること分かる?」
「わたしのこと、見える?」
彼女が俺の頬を叩いているような気がする。
しかし、俺はそれを確かめることが出来ない。
何かが上から押さえ込んでいるみたいに、頭を上げることが出来ないんだ。
自分のスニーカーが映り込む視界に、黒い靄のようなものが混じり始めた。
声が遠い。
誰が話しているのか、まるで分からない。
頭を押さえ付ける力に、もう抵抗することが出来ない。
停電になったかのように視界が真っ暗になり、体が横になるのを感じたのが最後だった。