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俺とライム

互いに学祭を回る相手がおらず、一緒に回ることになったロブとライム。

ロブにとってはエンケン部員として最後のノヴフェストとなったこの日、部室でまた彼らは2匹きりになって……。

エリオットさんがいなくなって、俺1匹になった弱小文化系サークル。

そんなエンケンに光をもたらしてくれたのが、ライムだった。


大学で話題になるほど注目されてた彼女が、うちに入ってくれたことは大きかった。

俺が面倒ごとに行き当たってエンケンを疎かにするたび、ライムはいつも頑張ってくれたんだ。


キュートで小悪魔的で、それでいて安心出来る妹のような存在。

それが、俺にとってのライムだった。



「じゃあ俺たち、休憩行ってくるよ」

「何かあったら、遠慮なく電話していいから」


ノヴフェストの初日、俺とライムは頃合いを見計らって休憩に出ることにした。

後輩部員たちは、はあーいと頼もしく答え、ごゆっくりーと送り出してくれた。


先輩たちって、付き合ってるのかな?

ええー、それはないでしょ?

だって、それぞれ相手がいるって聞いたよ?


でも、ぽくない?

てか聞いたって、誰に聞いたの?

え、誰だったかな……?


後輩たちのそんな会話を、部室のドア越しに聞いたことがある。

付き合ってるのかと疑われるほど、俺とライムはそんなに仲がいいだろうか?

自分の胸に聞いてみたけど、よく分からなかった。


いつだったかライムに、エレンと付き合ってることを言い当てられたことがあった。

ライムを連れて行ったフラワー・ベアンハルトでは、エレンと事務的な会話をしただけだったのに。

何で分かったんだと、驚いたのを覚えている。


彼女が言うには、彼女と接する俺には、独特の温かみがあるという。

もしかしたら後輩たちが言うのも、そういうものなのかもしれない。

自分たちでは気付かない、俺たちの間だけに流れる空気やリズム。


「先輩ってば」

「え、あ、何?」

「またボーッとしてたよ」


ごめんごめんと、俺は頭を掻いた。

考え事をして歩くのは、やっぱり悪い癖だ。


「……あたしと回るの、ほんとは嫌だったんじゃないの?」

「ちょ、そんなことないって」

「そういう風に見える?」


さあねと、ライムは俺のちょっと先を行く。

尻尾を揺らすその小さな背中は、エレンのそれとはもちろん違って見える。


今すぐに追いかけて、後ろから抱きすくめたいような衝動は感じない。

髪の毛のかかる首筋に鼻を擦りつけ、甘く立ち昇る匂いを嗅ぎたいとも思わない。

笑って見上げた顔に、キスしたいとも思わない。


そうは思わないけど、ライムが傍にいてくれるのは嬉しい。

彼女が俺を嫌っていないのは、嬉しい。

オスの身勝手っていうのかな、こういうの。


「先輩、早く早く!」

「あっちのお店、見に行こうよ」

「ああ、今行くよ」


はしゃいで俺を振り返った後輩に目を細め、俺は少し、歩みを速めた。



2日目の日曜日も、やっぱり一緒に休憩を取った。


エレンと始めて回った学祭は胸がドキドキして、何もかもが新鮮に感じられて楽しかった。

ライムと回るのにそんなドキドキはないけど、気心知れた彼女と行動するのは楽しかった。

俺たちはベンチに座ってクレープを食べたり、ステージでダンス部が行うショーを見たりした。


俺たちはごくごく普通の、仲のいい先輩と後輩だったと思う。

この日には、俺がエンケン部員として過ごす最後のノヴフェストの、いい思い出の1ページで終わるって形もあるはずだった。


だけど実際には、そうはならなかった。

最初に行動に出たのは、やっぱりライムの方だった。

そして俺はやっぱり、それに身を任せるだけになってしまった。



今年も無事にスワッグを売り切り、俺たちは部室に片付けた荷物を運び込んでいたところだった。

そこにいたのは、俺とライムの2匹だけ。

後輩の1匹が例の公開告白ショーに出るとかで、残りの部員はみんな、それを見に行っていたのだった。


2匹きりの部室で、ライムは少し緊張しているみたいだった。

俺だって、去年のことを忘れたわけじゃない。

もしあの時彼女と最後までしてしまっていたら、今頃俺たちはどんな風になってたんだろう。


思えば、あれからいろいろなことがあった。

一度はエレンと別れ、彼女の過去を知り、それでも変わらない自分の気持ちを知った。

死にそうな目にも遭ったけど、彼女を救えたことに安堵し、同時に自分が怖くもなった。


強くなると決めた。

卒業後の進路は思わぬ方向に進むことになったけど、そこに後悔はない。

俺はとうとう彼女に迎え入れられ、これから一緒に暮らすことになっている……。


1年前の、あの瞬間がなかったとしたら。

今の俺も、同じようにここに立っていただろうか?


「ライム、ありがとう」


そんな言葉が、不意に口を突いて出た。

それはもちろん、学祭の後片付けに関してのことじゃない。


俺の意図することは、完全には伝わるはずもなかった。

そのはずなのにライムはどこか、理解してくれたみたいだった。

鳶色の澄んだ瞳で、じっと俺を見ている。


「ねえ……先輩」

「うん?」


「あたしが先輩を好きだってこと、知ってた?」

「……知ってたよ」

「前にも、そう言ってくれたし」


「そんな風に言われて、どう思った?」

「迷惑だった?」


俺から視線をずらしてそう聞くライムに、俺はどう答えるのがいいのか考えた。

でも結局、思ったままに伝えるのが一番いいような気がしたんだ。


「迷惑、じゃなかった」

「びっくりはしたけど」


「俺にはエレンが、今のきみにはチャドがいる」

「お互いの状況を考えると、今こういう話をするのってちょっと変かもな」

「何ていうの、浮気……じみてるっていうか」


浮気。

自分で口に出してみると、少しやましい気分になった。


エレンにはもちろん、チャドにも、ライムと学祭を回ることは伝えてあった。

ライムを知るエレンは賛成だったし、チャドはチャドで、ブツブツ言いながらも反対はしなかった。

ある意味では、俺たちは公認の仲なんだよな。


ライムがソファに座ったのを見て、俺もその隣に腰を下ろす。

立ったままじゃすれ違いがちな俺たちの視線は、いい具合に交差する。


「俺はエレンを心から大切に思ってるし、彼女を裏切るつもりはこれっぽっちもないよ」

「ライムがどんな気持ちを持ってくれてても、俺は絶対にそれには応えられない」

「きみを、そういう風には見られない」


「だけど」

「俺にとってのきみは、エレンとは違った特別なんだ」

「その特別さは、エレンにだって取って代われるものじゃないって気がする」

「俺の中のきみは、きみでしかないんだよ」


俺は、一体何が言いたいんだ。

こういうのを、八方美人って言うんじゃないのか?


ライムにそうは言うけど、エレンはエレンで、俺の中に特別な空間を持っている。

それは当然ながら、他のどんなメス、あるいは人間の女性にも侵すことの出来ない場所だ。

そう、ライムにだって。


でもこれは、俺の正直な気持ちだった。

俺に関わってくれるそれぞれが、それぞれに特別な場所を持っている。

それは、事実だった。


「……何それ」

「でも、すっごく先輩らしい」

「やっぱり、先輩は先輩だね」


俺は前を見つめたままで、ライムの顔を見なかった。

彼女はもしかしたら、泣いているかもしれないと思った。


「でもね、それ、すっごくよく分かるよ」

「あたしもね、同じ気持ち」


「偶然に付き合うことになったチャドくんだけど、今は彼が一番なの」

「あたしの中の彼氏は、チャドくんしかいないの」


「でも、先輩はやっぱり、先輩なんだよ」

「初めて見た時からずっと、あたしの中で特別な場所にいた誰かなの」


「好き」

「あたしやっぱり、先輩のことが好き」


ノヴフェストの喧騒が薄れていく中、ライムはずっと抱えてただろう気持ちを、俺にぶつけてきた。

今まで何度も、彼女がそれとなく口にしてきた言葉。

今はそこに、本当の気持ちが込もっているのを感じた。


「……俺も、ライムのこと好きだよ」


少し考えてから、俺もはにかんだように笑ってそう言った。

やっぱり彼女は、俺の好きな彼女だった。


少し迷って、俺たちは軽いハグを交わした。

そしてこのことは、絶対にそれぞれの相手に言おうと約束した。



数日後のランチでのことだった。

フローリアンが昼食のトレイを返しに行った隙に、チャドがテーブルをこつんと叩いた。


「おい、聞いたぜ」

「何を?」


「ライムとハグしたって?」

「オレの、ライムと」


「ああ」

「した」


「……今回だけだぞ」

「分かってるよ」


やがてフローリアンが戻って来て、チャドとライムが仲直りしたことを聞く。

俺はそれを既に、ライムからのメッセージで聞いていた。


3匹で連れ立って学食を後にする時、ふとチャドが足を止めた。


「エレンは何て?」

「おまえとライムが抱き合ったこと」


俺は、その時のことを思い出した。

何だか笑えてくる。


「今回だけよ、だってさ」


チャドと同じように、エレンもほんの少しの複雑さを感じたみたいだった。

そうかよと笑って歩き出した友達の背中を、俺は何とはなしに見つめていた。

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