先輩とあたし
ノヴフェストを前に、彼氏のチャドとケンカしてしまったライム。
彼とライムが付き合うことになったきっかけは、実は前年のノヴフェストにあって……。
「好き」
「あたしやっぱり、先輩のことが好き」
ノヴフェストの喧騒が薄れていく中、あたしはずっと抱えてた気持ちを彼にぶつけてみた。
今まで何度も、それとなく口にしてきた言葉。
今はそこに、本当の気持ちを込めた。
「……俺も、ライムのこと好きだよ」
少し考えてから、彼ははにかんだように笑ってそう言ってくれた。
やっぱり彼は、あたしの好きな彼だった。
彼は、高校3年生の時に一目惚れしてからずっと、あたしの心の中で特別な場所にいる誰か。
*
何が原因だったかは、些細なこと過ぎて忘れちゃった。
あたしとチャドくんは、珍しくケンカしちゃったんだよね。
付き合って初めて迎えるノヴフェストは、一緒に回ろうって話してた。
だけどお互いの間にあるわだかまりを考えると、それも難しいかも……。
チャドくんと付き合うことになったのは、1年生の時のノヴフェストがきっかけだった。
その日あったこと、正確にはあたしがしてしまったことは、今でもずっと忘れられずにいる。
あたし、部室で先輩を襲っちゃったんだよね。
彼が拒まなければ、確実に最後までいってたと思う。
先輩に彼女がいることは知ってた。
彼っていかにもメス慣れしてないって感じで、いつもどこか自信がなさそうだったけど、それが逆によかったんだよね。
あたしの周りにいたガツガツ系のオスたちとは、全然違ってたから。
彼女についての相談に乗ってあげられるのは、嬉しかったな。
何か、助けてあげられてるって感じがしたし。
でもどこかで、その相手に嫉妬もしてたと思う。
花屋のエレン。
先輩の彼女は、人間だった。
人間なんてどういうチョイスなのって思ったけど、彼女を知っていくうちに、先輩が好きになるのもよく分かった。
それがむしろ、辛かった。
エレンは美人で、目も素敵なブルーで、胸も、あたしよりおっきくて。
毛の生えてない体は、すべすべした肌に包まれてる。
いい匂いの花に囲まれて仕事をする彼女は、とても幸せそうだった。
そんなにたくさんのものを持ってるのに、先輩まで取るなんてズルいよ。
あの形のいい唇に、先輩はキスするのかな。
服の上からでも分かる柔らかそうな胸を、触ったりするのかな。
ごくって唾を飲み込んで、おっかなびっくりって感じで……。
そんなことを考えちゃうと、胸の中でモヤモヤが爆発しそうになった。
それなのに先輩は、ずっとエレンに拒まれてる。
あたしにも先輩にも、ズルいエレン。
先輩、あたしなら。
あたしでもいいなら、そうしなよ。
先輩はびっくりしてたけど、あたしを拒んだりはしなかった。
彼があたしを退けるチャンスは、十分にあった。
彼はオスだから、いざとなれば、力づくで引き剥がすことだって出来るじゃん。
でも、先輩はそうしなかった。
応えこそしなかったけど、身を引くこともしかなった。
体の大きな獣の癖に、あたしにされるがままになってた。
何すんだよってすぐに言ってくれれば、あたしだって冗談に出来たのに。
先輩ってば、おっとりし過ぎだよ。
ベルトを外してからやっと、ごめんだなんて。
悪いのは、どう考えたってあたしじゃん。
それなのに、まるで自分が誘ったみたいに申し訳ない顔するんだもん。
ズルいよ、先輩。
関係を持てば彼の特別な誰かになれるんじゃないかって浅ましさと、先輩にあんな顔をさせた自分が嫌だった。
それとなく取り繕って部室を出たけど、本当はどうしようもない気分でいっぱいだったんだよね。
中庭でしょんぼりしてたあたしに声を掛けたのが、チャドくんだった。
あたしは、どこで何があったか、チャドくんに話したわけじゃない。
でもチャドくんは、すぐに帰ることもしないで、傍にいてくれたんだ。
それでどうしてか、気付いたら部屋にお持ち帰りされて……。
まあ、そういうことだよね。
友達でも、よく知らないオスと勢いで寝ちゃったって子はいた。
そんな話を聞くたび、そういうことって勢いで出来るもんなのって思ってた。
ワンナイトスタンドとか、あり得ないしって思ってた。
でもこの時のあたしには、勢いで寝られるそんな相手が必要だったのかもしれない。
そしてそれが、チャドくんだったってだけだもん。
「チャドとケンカしたの?」
「あいつの浮気とか?」
ノヴフェストを2週間後に控えた頃、あたしと先輩は部室で模擬店の準備をしてた。
先輩が1年生の時からやってるっていうスワッグは、今ではエンケンの恒例になりつつあるとか。
「浮気とか、そういうんじゃないよ」
「何が原因だか、忘れちゃった」
あたしはちょっとむくれて、スワッグに使う針葉樹の葉っぱを掴んだ。
先輩も大きな手をゆっくりと動かしながら、穏やかな顔してあたしの話を聞いてくれている。
こういう空気感が、あたしはとっても好き。
「ノヴフェストも一緒に行こって言ってたんだけど、ちょっと無理かも……」
「気まずいもん」
そうだよなあと相槌を打つと、先輩はやっと作り上げたスワッグを前に大きく伸びをした。
オスの伸ばした腕に浮き上がる筋って、やっぱいいよねえ。
「実は俺もさ、エレンに振られちゃったんだよね」
「振られたあ?」
「彼女、土曜も日曜も仕事なんだ」
先輩は、ちょっと困ったような顔して笑った。
先輩のこういう顔にも、実は弱いんだよねぇ。
あたしも先輩も、一緒に回る相手がいないんだ……。
これって、もしかしてチャンスってやつ?
「ねえ、先輩」
「ん?」
「今回のノヴフェスト、よかったら一緒に回んない?」
「一緒に?」
「俺でいいの?」
「だって、チャドくんとはまだ仲直り出来そうにないし」
先輩は、ちょっと考えてるみたいだった。
やっぱ、迷惑だったかな……。
お互いに相手がいるし、何よりチャドくんは、先輩の親友だもんね。
その彼女と回るなんて、ややこしいって思ってんのかな。
「そうだな、一緒に回るか!」
「来年は俺もエンケン引退してるし、今回が最後のチャンスかもだよな」
「えー、いいの?」
「いいのって、ライムが誘ったんじゃん」
「それはそうだけど……エレンさん、怒らない?」
「何でエレンが怒るのさ?」
「彼女は、そんな心の狭い人間じゃないよ」
彼女の話をする時の先輩を、独特の温かい空気が包み込む。
それを心地よく思いながらも、あたしはやっぱりどこかで嫉妬してた。