それじゃあ、お願いします
ロブはドミニクに、彼の元で働くことを決めたことを伝える。
そのことで、エレンからある提案があって……。
エレン、俺、そしてドミニク。
俺たちは、以前入ったあの喫茶店にいた。
並んで座る俺たちの向かいには、体の大きなドミニクが1匹で座っている。
俺の説明を聞いても、エレンはどこか不安を覚えているようだった。
ドミニクは彼女に直接的に危害を加えたわけではなかったろうけど、あのライオンに付き従っていた存在として、今も拭いきれない拒否反応がある感じがした。
「エレンさんだったね」
「あの事件のことを、あなたにもずっと謝りたいと思っていたんだ」
「ちょっと前にロブくんには会って、少し話をしたんだけどね」
「こちらの事情があったとはいえ、あなたとロブくんには申し訳ないことをしてしまった」
「どうか、許してほしい」
俺と会った時のように、ドミニクはまた深々と頭を下げた。
そんな彼の様子を見て、エレンはやっと息を吐いたみたいだった。
エレンや俺を拉致した連中を逮捕するために、突入までの時間稼ぎが必要だった。
そのために、ドミニクは俺と闘う余興を提案した。
そのことを、俺はエレンに説明した。
「あなたとロブくんがまた仲良くなって、心底ほっとしたよ」
「我々の計画のせいで、あなたたちの絆を壊してしまったのではと心配していてね……」
俺は、少し恥ずかしいような気持ちになった。
前に彼と会った時、俺はこれ以上ないってくらいに沈み込んでいたからだ。
今何事もなかったようにエレンと並んで座っていると、自分のあの落ち込み様は何だったのかと思えてくる。
もちろん、ドミニクの話を聞いたことで、エレンの元に戻る決心が付いたわけでもあったけど……。
「何だかびっくりはしましたけど……助けていただいて、ありがとうございました」
「彼が逮捕されたことで、わたしも少しは救われます」
「いやいや、礼には及びませんよ」
「それが、私たちの使命だからね」
「そういえば……あなたはロブくんと話があったのでは?」
「流れで誘ってしまったけど、よかったかい?」
ドミニクの言葉にはっとして、エレンはすぐに俺を見た。
なぜか俺の方が気まずい感じになってしまい、つい視線を逸らしてしまう。
「そうよ、ロブ!」
「話を聞いてってば」
「話って、何?」
「今日は俺と会えないのに、別のオスと会ってたじゃん」
「俺に、内緒で……」
状況的にまずいのは、むしろエレンの方だろう。
なのにどうしてか、俺の方が弁解するような口調になってるんですけど……。
「彼は、そんなんじゃないってば」
「彼はね……不動産屋さんなの!」
「……不動産屋?」
エレンの言葉をオウム返しにした俺を、ドミニクがニコニコしながら見ている。
俺は何かを言おうとして口を開けたまま、エレンに向き直った。
エレンは深い溜息を吐くと、話し出した。
「あのね、わたしのアパート、老朽化で取り壊すことになったの」
「すぐにじゃないんだけど、そのせいで引っ越さないといけなくなって」
「それで部屋を探してたってわけ?」
「何だよ、だったら言ってくれたらよかったのに……」
「うん、それはそうなんだけど……」
ドミニクは、俺たちのやり取りを微笑ましいといった様子で聞いていた。
私は早々に退散するかななんて言いながら、やっぱり角砂糖を2つ入れたコーヒーをぐいぐい飲んでいた。
和やかな雰囲気だった。
俺は何となく、今こそこの前の答えを言うべきだという気がした。
「この前の話なんですが……あの、あなたの所で働くっていう」
「ああ」
「俺、受けようと思います」
はっきりとそう言い切った俺を、ドミニクは少し意外そうな顔をして見ていた。
誘いはしたけど、まさかOKするとは思ってなかったとか?
まさか、リップサービスだったってことはないよな?
「いやあ、すまんすまん」
「まさか、こんなに早く返事をもらえるとは思ってなくてね」
「面食らってしまった」
大きな体を揺すって、ドミニクは朗らかに笑った。
そしていつぞやは俺を殴り倒した、あの大きな手を前に差し出したのだった。
*
「そんなことになってたの?」
俺から事の次第を聞いたエレンは、ドミニクと同じように意外そうな顔をしていた。
自分には誰かを意外がらせる才能もあるのかと、俺は複雑な気分になった。
「俺って、そういう仕事するっぽくない?」
「ううん、合うとか合わないとか、そういうことを言いたいんじゃないのよ」
「ロブが決めたことに、わたしは反対する気はないしね」
ドミニクが帰った後も、俺たちは喫茶店に留まっていた。
彼が座っていた席に今はエレンが腰掛け、お互いに向き合う形になっている。
「ねえ、間違ってるかもしれないんだけど」
「ん?」
「ドミニクさんの所へ行くのを決めたのは、わたしのため?」
視線を少し下げ、エレンはコーヒーカップの縁を指でなぞっている。
何か聞きにくいことを口にする時に、彼女がよくやる仕草だ。
「……ある意味では、そうだな」
「でも、きみのためだけにってわけじゃないよ」
「もちろん、俺のためでもある」
「強くなるために?」
「そう……そうだね」
「彼ならきっと、いい方向に導いてくれる気がするんだ」
「導くっていうのは、ちょっと大袈裟に聞こえるけど」
俺の答えに曇りがないことに、エレンはきっと気付いている。
もうそれ以上は、何も聞いてこなかった。
少しの沈黙があってから、やがて彼女は切り出した。
「新しい部屋を探してること、あなたに言わなかったのはね」
「うん」
「何ていうか、その……一緒に住める部屋でもいいかなって思ったからなの」
「……え?」
「ずっと、考えてはいたのよ?」
「ロブもあと1年で卒業だし、就職したら、今までみたいに気軽に会えなくなるのかなって気がして」
「取り壊しの話が出て、これはチャンスなのかもって思ったの」
それは、嬉しい驚きだった。
俺が考えていたようなことを、まさかエレンも考えていてくれたなんて。
「じゃあ、じゃあ何で言ってくれなかったの?」
「そう言ってくれてたら、俺は……」
自分が同棲を誘えなかったのは、とりあえず棚に上げた。
俺が根性なしなことは、今は問題じゃないはずだ。
「一緒に暮らそうって提案することで、ロブの将来が狭まるのは嫌だったのよ」
「何もない真っ新な状態で、あなたには進む道を決めてほしいと思ったの」
確かに、もし彼女から先に同棲を提案されていたら、多少なりとも進路に影響したと思う。
彼女との生活ありきで俺が行くべき道を決めるのを、彼女は避けたかったのか。
それは、とてもエレンらしい考え方だった。
彼女はいつも、俺のことを広い視野で見てくれている。
たとえ自分の欲求を抑えてでも、何が俺にとってプラスになるのかを考えてくれている。
ほんと、俺には勿体ないくらいの人だ……。
「それでね、進路を決めたあなたが、もしわたしの助けを必要だって思ってくれるなら……」
「わたしは、そうしたいって思ってるの」
「つまり、傍にいてってこと?」
「そう」
「それって、ええと、つまり、そういうことだよね?」
「一緒に暮らそう……的な」
「そう」
はっきりそう答えたものの、エレンはまた、カップの縁をいじり始めた。
きゅっと唇をつぐんで、俺が何て答えるのかを待っている。
何て言うかなんて、考えるまでもないよな。
「それじゃあ、お願いします」
「というか、俺もずっとそうしたいと思ってました……」
俺はそう言うと、ドミニクのように深々と頭を下げた。
カップに沿わせていた指を離したエレンの目は、青いビー玉のように真ん丸になった。
しかしそれもほんの一瞬のことで、すぐに笑顔の中で見えなくなってしまった。
こうして、俺たちの同棲はあっさりと決まった。
自分のこれからに関わる大きな決断を、今日という何気ない日に2つもしてしまった。
自分に大きな変化が起こりつつあるのを感じながら、しかし俺は満ち足りた気分だった。