トラブル
学祭【ユリフェスト】を翌日に控えた金曜日。
ロブたちエンケンのメンバーは、鉢植えの変わり果てた姿を目撃することになり……。
トラブルというものは得てして、忘れた頃にやって来るものだ。
ユリフェストを翌日に控えた、金曜日の午後のこと。
前日までに何とか多肉の鉢植えを作り終えていた俺たちは、すっかり安堵していた。
イケてるとは言えなくても、何とか形ばかりの立て看板も作ってある。
明日は早めに来て、店の準備をするだけだ。
「明日は忙しくなるぞー」
「ロブ、今日はしっかり休めよ」
先輩らしい気遣いを見せ、エリオットさんは部室のドアを開けた。
その先にあった風景に、俺は一瞬目を疑った。
俺の足元で、エリオットさんが小さく声を上げたのが聞こえた。
「な、何だよ、これ……」
エリオットさんは、絞り出すように言う。
彼のその足元にも、ガラスの破片が飛んでいた。
すっかり植え終えたはずの鉢植えは、そのほとんどが無残に壊れていた。
部室にある採光のための窓がなぜか割れていて、窓際に置いていた鉢植えが巻き添えを食ったらしい。
部室の床には、俺の握り拳ほどの石も転がっていた。
偶然でこうなったのか、誰かの意図があったのか、それは分からない。
ただはっきりしているのは、ここへ来てとんでもないことになってしまったということだけだった。
「どうします、これ……」
「そうだな……」
「オレ、とりあえずベアンハルトさんに電話してみるわ」
「代わりの鉢とか、用意出来そうか聞いてみる」
「多肉は丈夫だから、鉢さえあれば何とかなるさ!」
ビーバーの先輩は明るく努めてそう言うと、スマホを片手に地上へと上がって行った。
残った俺は、床に散らばったガラス片を拾い始めた。
「とんでもないことになっちゃったわね」
一報を受けて飛んで来てくれたのは、エレンだった。
口ではそう言ったけど、彼女はずいぶん落ち着いているように見える。
「鉢は何とかなったわよっと」
よいしょっと、ロッテは大きな荷物を床に下ろした。
ここまで自分で運んで来たのか、額には汗が滲んでいる。
「さ、ぱぱっとやっちゃいましょう」
「え? エレンさんも?」
腕まくりをしてやる気満々といったエレンに、エリオットさんは目を丸くした。
もちろんよと、彼女は応じる。
「あと2時間くらいは大丈夫だから」
「ベアンハルトさんも、そうしろって言ってくれたの」
とてもありがたい話だったけど、現状を見るに、果たしてやり遂げられるか不安は残った。
しかし、今はそんなことを言っている場合じゃない。
徹夜してでも、やれるだけやるしかない。
まずは、割れた鉢を取り除く作業から始めた。
同時に、無事だった苗を探し出す。
エリオットさんの言った通り、傷んだ苗はほとんどなかった。
多肉植物は葉が分厚いので、ちょっと倒れたくらいじゃビクともしないらしい。
無傷の苗を、新しい鉢に植え直す。
俺は手が大きいので、実はこの作業が苦手だった。
だからこそ、時間に余裕を持って、少しずつやってきたのに……。
「ロブ、おまえ次は授業じゃなかった?」
1時間ほど作業した頃、ふと時計を確認したエリオットさんに言われる。
確かに、俺には授業があった。
「いや、今日は休みます」
「こんな時に、出てられないし……」
「何言ってるの、ちゃんと出なさい!」
こちらを見ずにエレンが言ったので、俺は驚いた。
その間にも、彼女の手はものすごいスピードで鉢植えを作っていく。
「でも」
「でも、じゃないの」
「ここは、わたしがいるから安心して」
「きみは学生なんでしょ?」
「しっかり勉強しなきゃ」
その言葉に背中をぐいっと押され、後ろ髪を引かれつつも部室を後にした。
授業に出ても、準備のことが気になって何度も集中力が切れそうになった。
エレンの言葉を思い出し、そんな自分を叱った。
息を切らせて部室に戻った時、彼女の姿はもうなかった。
地下の部室は、照明なしではもう薄暗くなり過ぎている。
「おかえりー、ロブ」
「どうよ、だいぶ出来たぜ」
丸いほっぺを土で汚した先輩は、人懐っこく朗らかに笑った。
彼の前には、全体の半分くらいまで出来た鉢植えが並んでいる。
「ありがとうございます、エリオットさん」
「うんにゃ、すごいのはエレンさんだよ」
「彼女、すごい器用でさ」
「オレが1つ作る間に、3つは作っちゃうんだよな」
「それでいて、丁寧だし」
俺は鞄を下ろし、自分も作業に入る。
エレンの話を聞いた後じゃ、自分の作業速度がカタツムリ並みに思えてしまう。
「エレン……さんは、もう帰ったんですか?」
「うん」
「何でも明日、パーティーの飾りつけの予約が入ってるんだって」
「オーナーのアシスタントとして、彼女も忙しいみたいだな」
ユリフェストに誘わないの?
俺は、フローリアンの言葉を思い出した。
これまで準備が忙しくて、声を掛けるのをすっかり忘れてしまっていた。
しかし、蓋を開けてみればこんなもんだ。
誘うも何も、彼女は仕事で忙しい。
どの道誘えなかったということが分かって、密かにほっとした自分がいる。
友達に言い訳が出来るからか、あるいは、勇気を振り絞らなくても済んだせいか。
どちらなのか分からなかったし、どちらでもあるような気もした。
途中で食事休憩を取り、その後は言葉もなく、俺たちは作業に没頭した。
もうじき、日付が変わろうとしている。
時計の音が、今日はやけに大きく聞こえる。
「ちょっと仮眠取るかぁ」
「今日は、もう泊りになるし」
「エリオットさん、先に寝てください」
「分かった、1時間経ったら起こしてくれ」
先輩はソファにコロンと横になると、すぐにグウグウと寝息を立て始めた。
俺は羽織っていた上着を脱ぐと、それを彼の上にそっと掛けた。
1時間経っても、俺は彼を起こさなかった。
2時間経っても、起こさなかった。
エリオットさんは頑張ってくれたし、寝たいだけ寝ればいいと思っていた。
7月ともなると夜明けも早く、朝の5時には空が白み始める。
部室にも薄い光が差し込んできた頃、俺はようやく最後の1つを作り終えることが出来た。
神経が興奮しているのか、不思議と眠くはなかった。