疑惑
ひょんなことから、エレンが見知らぬ雄ネコと一緒にいるのを目撃してしまったロブ。
様々な考えが頭の中を行き交う中、彼女が浮気をしているのではという疑惑が浮上し……。
あのドーナツ発言による謎の雰囲気の中、エレンはベッドを新調するという案をやんわりと却下した。
そう言われてもどこか納得出来ない部分が自分の中にあって、数日後、俺は大学帰りにその家具屋に寄ってみたのだった。
隣町にあるその家具屋は、若い層に受けそうなデザインの家具や雑貨の揃った店だった。
店内にはカップルも多く、誰もが新生活に思いを馳せて楽しそうに見えた。
俺はどこかで、エレンとそうなりたかったのかもしれない。
ここへ来れば、一緒に暮らしてみる? という提案をするのも、さほど難しくはないように思えた。
買う予定はないんだけど、俺はとりあえず、ベッドのコーナーをうろついてみた。
その隣ではミーアキャットの若いカップルが小さなベッドに並んで横になり、その寝心地を楽しんでいた。
オスの表情から察するに、既に彼はこのベッドで彼女とすることを想像し、期待に胸を膨らませているらしかった。
1匹でブラブラするのも馬鹿らしくなったので、俺は早々に引き上げた。
店を出るや否や、俺は驚いた。
ものすごくベタだけど、目を擦って二度見した。
なぜなら、家具屋に隣接するカフェのテラス席に、エレンがいたからだった。
しかも、見知らぬ雄ネコが同席している。
俺は咄嗟に物陰に身を隠し、そのテーブルを窺った。
エレンとその獣は、とても和やかな雰囲気で話をしている。
テーブルの上には、何やらパンフレットのようなものが置かれていた。
俺は、この状況を何とか分析しようと試みた。
エレンが彼の荷物を持ってあげたので、そのお礼にカフェでお茶でもパターン。
……でもあのネコ、年寄りってわけじゃないしなあ。
あのオスは実は悪いやつで、エレンは詐欺まがいのことに巻き込まれているパターン。
……だけど、彼にそこまで胡散臭い雰囲気はないし、エレンはそんなのに引っ掛かるタイプじゃない。
もしかして、顔見知りの獣とか?
……あんなオスのこと、聞いたことないけど。
いくつかのパターンを考えてみたけど、どれも現実的じゃない気がした。
そうすると次に頭に浮かんでくるのは、むしろ、よくない考えばかりだ。
もしかして、ナンパされたとか?
もしかして、元彼とか?
もしかして、キープ君とか?
いや、俺がキープだったりして!?
俺は元来、物事を悪い方に考えがちらしい。
悪い考えの方が、ずっとしっくりと感じられた。
あのカフェが家具屋の傍にあるというのも、気になるポイントだった。
もしかしたら、お茶の後にここに寄るつもりかもしれない。
そんでもって、さっき俺が散々見たような、仲睦まじいカップルとして家具を選ぶのではなかろうか。
エレンが新しいベッドを欲しがらない理由も、それなら説明がつく気がした。
エレンは、彼と住む部屋を決めてから、新しい寝室に入るベッドを選ぶつもりかもしれない。
今新しいベッドを選ぶとなると、俺と寝られるサイズを選ぼうという案は自然と出てくるだろう。
でも、あのネコは俺よりずっと小さい。
彼とエレンが一緒に寝るベッドは、俺との物よりずっと小さく済むに違いない。
そこまで思い至った時、俺は軽いめまいを覚えた。
ふらふらとした足取りで、それでも何とか最寄り駅まで向かったのだった。
*
疑惑がこれで済んだのなら、俺もそこまで気に病まなかったかもしれない。
しかし、こういう時に限って、疑いを更に煽り立てるような事態になるものだ。
俺がベッドを見に行かないかと誘った週末、エレンは珍しく用事があって会えないと言ってきた。
隣町で見た目撃した一件もあって、俺はますます不安になった。
それとなく用事について尋ねてみたけど、エレンは歯切れ悪くはぐらかすだけだった。
エレンがはっきりと言わなかったことで、疑惑は深まるばかりだ……。
エレンと過ごすために、週末には基本的に予定を入れていない。
それが急にキャンセルになったものだから、俺は何もすることがなかった。
夜には部屋に来ると言ってたけど、それまでの時間が長くて仕方ない。
部屋に閉じこもってるのもよくないと思い、俺は街に出ることにした。
嘘から出た誠と言うのか、いっそドーナツでも買いに行くか。
スイーツを食べたくなった時には、いつも【カフェ・アリス】という店に行く。
イートインカフェも併設されたスイーツショップで、かつてエレンへのバースデーケーキを買い求めたこともある。
カフェまでの道をぶらぶらと歩いていると、前方を横切ったものがあった。
それは何と、隣町でエレンといるのを見た、あの雄ネコだったのだ。
俺は街路樹の影にさっと身を隠すと、自分の頭に浮かんだことが現実にならないよう祈った。
その願いはしかし、聞き届けてはもらえなかったみたいだ。
彼の後ろを付いて、エレンが現れたからだ。
俺と会うのをキャンセルして、別のオスと一緒にいるなんて。
これはもう立派な浮気現場として見ても、差し支えないんじゃないか?
俺は猛烈にショックを受けていた。
隠れていたことも忘れて木の傍らで立ち尽くしていると、例のネコと目が合った。
そして、彼のすぐ傍にいたエレンとも。
「あ……」
「ロブ、どうして……」
エレンは、めちゃくちゃ気まずそうな顔をしていた。
隣では、雄ネコが不思議そうな顔をして、俺とエレンを交互に見ている。
自分の恋人がしまったという顔をするのを、こんなにも早く見る羽目になるとは思ってもみなかった。
俺たちは、一体どこで道を間違えてしまったんだろう。
あー、やっぱり、あのベッドの一件からかもなあ……。
いたたまれなくなって、俺は気付くと、エレンに背を向けて走り出していた。
待ってという声が背後から聞こえ、彼女が追ってくる気配がある。
でも俺は、振り返ることが出来なかった。
悲しい思いを振り切るように走っていると、前方不注意で誰かの大きな背中にぶつかってしまった。
バフッという音がして、逆に俺がすっ飛ばされた。
ぶつかった相手は、何? という顔をして振り返る。
それは、あのドミニクだった。
最初は目をしばしばとさせていたけど、すぐに俺だと気付いたらしかった。
地面に尻餅をついている俺に手を貸し、持ち上げるように立たせる。
「やあ、ロブくん」
「また会ったね」
ドミニクのいる部署に来ないかという誘いは、ずっと忘れてはいなかった。
返事こそしていないけど、俺の心はもう決まっている。
彼の誘いを受けようと決心したからこそ、俺はエレンとやり直すことが出来たんだ。
ただ今は、そんな込み入ったことを説明したりする余力がない。
俺はたった今しがた、最愛の恋人の浮気現場に居合わせたばかりなのだ。
彼女がもし本当に浮気をしていたとしたら、それこそ話はいっそうややこしくなるってもんだ。
「ロブ、待って!」
「ねえ、話を聞いてってば……」
立ち止まっていた俺に、エレンが息を切らせて追いついた。
肩で息をする彼女は顔を上げてドミニクを見た時、あっと声を上げて固まってしまった。
「……ロブ、彼って」
そういえば、エレンは彼が用心棒という形で内偵に入っていたことを知らない。
ドミニクと会ったことも、俺はエレンに話していなかったのだ。
何も知らない彼女にとってのドミニクは、あのライオンの一味に等しい。
「どういうこと?」
「一体、どうして彼が……」
声を震わせて、エレンは俺の影に隠れるようにした。
俺は慌てて、事情を説明する。
「……警察官? 本当なの?」
「本当だよ」
「だから心配しないで」
俺の説明に、エレンは幾分ほっとしたみたいだった。
そこへきて、今度は俺の問題が持ち上がってきた。
俺は俺で、エレンから事情を説明してもらわないといけない……。