謎のドーナツ発言
新しいベッドを買うかどうかについて、エレンと話すロブ。
フローリアンには、ベッドを新調するにあたって、同棲したらどうかと言われて……。
金曜日の晩にはエレンが俺の部屋に来て、日曜の晩まで一緒に過ごす。
これが、俺たちの新しいスタイルになった。
こっちにエレンが来るのは、もちろん、俺のベッドの方が大きいからだ。
「……それでさ、隣町に大きな家具屋があるんだけど、今度の休みに行ってみない?」
「ロブ、それはもういいって言ってるじゃない」
「そうは言うけどさぁ」
遅くまで授業のある日は、彼女の部屋で食事をさせてもらうことが多い。
脱童貞の件とベッドが壊れた経緯がチャドとフローリアンにバレてしまったこの日も、俺はエレンの部屋で夕食を食べていた。
心許なげに提案する俺を、エレンは困ったように慰める。
「あのベッド、元々中古品だったから」
「壊れたって、仕方がなかったのよ」
「そうは言うけど、もし俺が……何ていうか、あんなに……」
「うん、まあ、そうね……」
エレンは、パスタを食べていた手を止める。
その時のことを思い出したのか、ついっと俺から視線を逸らせた。
その顔は、少し赤い。
彼女の、こういう反応がいけない。
こういう何気ない仕草が、俺をたまらなくさせる。
かといって、これは彼女のせいではないんだけども。
「ねえ、ベッドのことは本当に気にしないで?」
「ベアンハルトさんが、使ってない大きなマットをくれたのよ」
「寝心地だってとってもいいし」
「それでもまだベッドを気にするなら、普通の日もあなたの部屋に泊まりに行ってもいいし?」
泊りに行ってもいいし?
そう言ってちらりと俺を見るのが、またこの、たまらんじゃないか……。
いやいや、今はそういうことじゃない。
俺は、昼間フローリアンから言われたことを思い出していた。
エレン用のベッドを探していると言った俺に、彼は高らかに宣言したのだった。
『今さら彼女1人用のベッドを買うなんて勿体ない!』
『これを機に、一緒に寝られるサイズのベッドを選ぶべきだ!』
僕がきみなら絶対そうする、とまで付け加えられた。
それはそうかもしれないけど、俺にはどうにも煮え切れないところがある。
だって、大きなベッドを買うなんて、それこそ俺がガツガツするの前提みたいじゃないか。
大きいのを買おうが小さいのを買おうがそれは事実なんだけども、どうにもあからさま過ぎる気がして嫌だった。
そんな俺に、フローリアンの攻撃は続く。
『そんなことは、気にしなくていいの』
『オスとメスはね、互いに求め求められるものなんだよ!!』
フローリアンは、いつになく熱かった。
そして最後には、こうも言ったんだった。
『ていうかさ、もう一緒に暮らせばいいんじゃない?』
『同棲だよ、同棲』
『そしたら、一緒に寝るのも当たり前になるじゃない?』
同棲。
俺にとって、何て非現実的で響きを持った甘い言葉だろう。
確かに大学生にもなれば、彼女と同棲してるやつも少なくない。
ライムの友達に、彼氏との同棲が親バレして大変なことになったって子がいたらしいけど、エレンはそういうことはないと思う。
ベアンハルトさんは俺たちの仲を認めてくれているし、うちの両親は遠方にいるわけだし。
なるほど、同棲か。
考えれば考えるほど、そうするのがいいように思えてくる。
でも、エレンはどうなんだろう。
俺と一緒にいてもいいのかななんて、さすがにもう考えたりはしない。
でも、学生の俺がそんな提案をしてもいいのかという迷いはある。
自分で働いて食っていけるようになってからじゃないと、既に働いているエレンと一緒に暮らそうなんて提案するのはおこがましいよな……。
「……同棲か」
「え、何?」
ついポロリと、口を突いて言葉が出てしまった。
幸い、エレンにはよく聞こえなかったらしい。
でもこれは、もしかしたらチャンスかもしれないぞ。
「あの、エレン」
「どうしたの?」
「あの、ど……」
「うん?」
「俺と、ど……どう……」
「どう?」
フォークを握る手が、プルプルと震える。
言ってしまえ、ロブ。
言ったらきっと、楽になれる。
「俺と、どう……」
「どう……」
「ドーナツでお祝いしない!?」
は?
エレンは、リアルにそんな声を出した。
「ドーナツでお祝いって、何?」
「ロブ、そんなにドーナツ好きだった?」
「あ、あは、あはははは……」
「いや、お祝いっていうのは、俺たちが上手くいってるお祝いっていうか」
「何となく、ドーナツがいいかなーって思ったんだよ」
「あははははは……」
乾いた笑いを浮かべる俺の目の前で、エレンは不思議そうな顔をしてパスタを食べている。
我ながら、情けなかった。
俺たち、同棲しない?
数々の困難を乗り越えて結ばれた癖に、こんな簡単なことも言えないなんて。