夢見た言葉
ロブたちが高校時代のこと。
寮の相部屋で、勉強する彼を尻目に、チャドとフローリアンが話に花を咲かせていた。
その話とは、今の彼にとっても無視出来ない話ではあって……。
「ええっ、今週もか?」
「おまえ、また食ったのかよ」
チャドは大袈裟に驚き、その日2袋目になるスナック菓子の袋をバリバリと開けていた。
そのセリフはフローリアンじゃなく、おまえに対して言われるべきもんじゃないのか?
ちなみにフローリアンが食ったのは、もちろんスナックなんかじゃない。
「食った、って言い方は好きじゃないんだけどなあ」
「じゃあ、ヤッたでいいんじゃね?」
「チャド、下品ー」
先週に引き続き今週も、フローリアンは3年生のメスと寝たと言う。
卒業を控えている彼女たちは、たとえワンナイトスタンドでもいいから、学校いちモテる草食獣とベッドを共にしたいらしい。
「そういやさ、エリザベスが言ってたよ」
「フローリアンくんて、ロールキャベツみたいだねって」
何それと彼が噴き出すのを、俺は机に座った背中で聞いていた。
俺が数学のテスト勉強をしている後ろで、彼らはかれこれ小一時間も、こんな話で盛り上がっているのだった。
「ロールキャベツってさ、キャベツが肉を包んでんじゃん?」
「つまりフローリアンはさ、草食の皮を被った肉食だって」
「まー、上手いこと言うよな、女子って」
チャドはゲラゲラと笑いながら、スナックの油で汚れた指を、床に敷かれたラグの隅で拭っている。
主にチャドが提供するバカバカしい話で、彼らが談笑するのはよくあることだ。
俺は1匹で机にかじりついてることが多いけど、別にそれが邪魔ってわけじゃない。
ただ思うのは、チャド、おまえは何でそんなに余裕なんだってことだ。
フローリアンは日々メスを抱きながらも、勉強やスポーツもそつなくこなしている。
そもそもが秀才だし、要領もいいのだ。
一方の俺は不器用が服を着て歩いているような感じ(チャド談)で、だからこそ、出来ないなりに努力するようにしている。
俺が思うに、チャドも勉強に関しては同類のはずだ。
しかし俺は、未だかつてチャドのやつが、勉学に勤しんでいる様を見たことがない。
「で、何の話だっけ?」
「あ、そうそう、ピロピロトークだよ」
「メスと寝た後はした方がいいってやつ」
「何なの、それ」
「ちょ、ピロピロじゃなくて、ピロートークね」
「ピローって、枕って意味」
「女の子とした後にする、ちょっとしたお喋りのことだよ」
「する前のこともあるけど」
「行為自体のお互いの感想だったり、相手のことを褒めてあげたりとかもするよ」
「はあ? 何でそんなことすんの?」
「ヤッた、気持ちよかったーじゃ、ダメなわけ?」
「そういう感想はさ、自分の中だけにしまっておかないと……」
「なんだかんだ言っても、肉体的負担は女の子の方が大きいんだから、ちゃんと労ってあげないとダメだよ」
「大丈夫だったとか、しんどくなかったとか、そういうこと聞いてあげるといいと思うよ」
チャドは2袋目のスナックも食べきり、その袋を共用のゴミ箱に突っ込んだ。
こんな時間にそんなもの食べるから太るんだよ、おまえは。
「えぇー、すっごいめんどくせぇ」
「だって、オスだって疲れんじゃん? 致した後は」
「だからってそっぽ向いて寝るようじゃ、女の子に幻滅されちゃうよ?」
「特に大切にしたいなって子には、優しくしてあげなきゃ」
「あー、めんどくせぇ」
2匹の話が終わりに近付いてきたらしいのが、何となく分かる。
俺は話には全く無関心な気配を醸し出し、フローリアンがヤマを張ってくれた公式を理解しようと努めていた。
「だってよ、ロブ」
「おまえ、ヤバいくらい不器用だから心得とけよ」
……ほら来た。
だから何で、俺に話を振るんだよ。
「別に、俺には関係ないよ」
「んなこた、分かんねえよ?」
「卒業のプロムパーティーに、一緒に行くオスのいない3年のメスから誘われるかもじゃん?」
「あんたホントにメス? って感じのメスに」
彼がこうやって俺をからかうのも、いつものことだ。
そのチャドを、フローリアンがたしなめるのも。
「覚えといて損はないって、ピロピロトークは」
「だって、ロールキャベツのフローリアンが言うんだから……」
「ねえ、そのロールキャベツっての止めてよ」
わははと笑って、チャドは3袋目のスナック菓子を開けようとしていた。
そんな感じでいつも通り、学生寮での夜は更けていくのだった。
俺はなぜか、高校時代のそんなある日のことを思い出していた。
その半月後にプロムがあったけど、チャドがご丁寧に心配してくれたようなことは、俺には起こらなかった。
つまり、どんなメスにも、誘われることはなかったということだ。
しかし今、俺は少し後悔していた。
何であの時、フローリアンの話をちゃんと聞いておかなかったのか。
事後に行うべき、【ピロピロトーク】についてだ。
俺は今しがた、ソファの上で体を起こしたところだった。
正確には、エレンの体の上から。
おかえりとただいまを言い合い、互いにまた寄り添うことが出来たのが嬉しかった。
俺たちはキッチンの床に座り込み、しばらくそのまま抱き合っていた。
泣き過ぎたせいで、エレンはなかなかしゃくり上げを止めることが出来なかった。
それがようやく収まってきた頃を見計らい、俺は彼女にキスしたのだった。
久しぶりにする、長いキスだった。
名残惜しそうに互いの唇が離れた時、エレンはついと身を引いて、着ていた長袖のカットソーを俺の目の前で脱いだ。
そして今度は、彼女からのキス。
それは、あの日の続きだった。
空白になっていた俺たちの時間が、やっとあるべき形に満たされ始めたのを感じる。
俺はエレンを持ち上げるように抱きかかえ、そのままソファへと向かった。
彼女の寝室は、その目と鼻の先にある。
なのにどうしてそこを選んだのか、今ではもう分からない。
高価で繊細な美術品を扱うように、俺は彼女をそっとソファに横たえた。
以前より少し伸びた黒い髪が、ソファの上に揺れて広がる。
エレンは少し背中を浮かすと、後ろに回した手で器用にブラジャーのホックを外してみせた。
留め金が外れてもなおそこにあるそれを、俺が引き継ぐようにして胸から取り外した。
濃いブルーのブラジャーは、まだ温かかった。
時計がカチコチと時を刻む音が、やけに大きく聞こえる。
時間は午後5時過ぎ、秋が近付いたとはいえ、まだ日が暮れるには時間がある。
照明の点いていない室内でも、俺は彼女の体をじっくりと見ることが出来た。
「ロブ」
エレンが下から俺を見上げ、名前を呼んだ。
彼女の目の下は、涙で荒れて赤かった。
泣き腫らした青い瞳は、まだしっとりと潤んで俺を見ている。
おそらくこの瞬間は俺のためにだけあるその胸に手を触れると、手の平に吸いつくように柔らかかった。
エレンが微かに体を震わせたのを見たら、俺はもう止まることが出来なくなった。
着ていたパーカーを脱ぎ、その下のシャツも脱ぎ捨てた。
何も身に着けていない獣の上半身を、エレンの毛のない体に押しつける。
髪の毛を指に絡ませ、首筋に鼻先をくっ付けた。
黒髪の間から覗く柔らかな耳たぶを、そっと噛んでみる。
接触を段々と下にずらしながら、まだ彼女の肌の上に残る、温かな空気の層を味わった。
それから俺がしたどんなことも、彼女は拒絶することなく受け入れてくれた。
何となく所在なさげに俺の胸元に添えられていたエレンの手が、俺の首、それから頭の方に這い上ってきた。
耳に触れ、その薄い肉の感触を楽しむかのように触れて回る。
けっこう伸びてきた頭の毛のなかに、指を滑り込ませる。
自分の吐く息が、熱い。
体が熱いからそれも当然かと、冷静に分析する自分がいる。
そしてようやく気付いて、ジーンズのベルトを外した。
体の柔らかさ、熱さ、息遣い、汗、唇、声。
彼女のありとあらゆるものが、執拗なまでに俺を刺激する。
痛みにも似た興奮が、体の奥から突き上がるように湧いてくる。
死ぬかも。
馬鹿みたいだけど、本当にそう思った。
自分が息を吐いているのか、声を出しているのかも分からなくなる。
その刹那、俺は自分が彼女の中に溶け込むような感覚に襲われた。
体が痙攣したように大きく、びくっと震える。
そして最後にひとつ、長い息を吐いた。
それで今、頭の冷えてきた俺は、悩んでいる。
チャドの言うピロピロトークを、どうしたものか。
あの時あいつが食べてた、くっだらないスナック菓子がバーベキュー味だったのは覚えているのに、彼らがどんな内容について話していたのかは覚えていない。
全く、使えない頭だ。
エレンは疲れた様子で、くたっとしてソファに横たわっていた。
首筋や額に張りついた髪の毛の筋からも、まだ汗が乾ききっていないのが分かる。
未だに隠されることのない剥き出しの胸で、緩やかだけど忙しないような呼吸をしている。
「ん、えっと」
俺がもそもそと動き始めたのを、エレンは視界の端で捉えていた。
腕を後ろに突っ張って、彼女も体を起こす。
すぐ近くで、さっき揉みしだいたばかりの柔らかい胸が揺れた。
「あの、何ていうか……」
「俺」
自分がその次に何を言おうとしていたのかは、分からない。
ただエレンは、右手で俺の口をそっと押えた。
「ロブ」
「わたし、あなたのこと好き」
泣いたせいでの鼻声でそう言うと、彼女はまだ周りに赤さの残る目を細めて笑った。
俺はというと、呆けたようにそこにいただけだった。
「まだ一度も、ちゃんと言ってなかった気がして」
「言葉にするって、大切よね」
「こんな風になった後で言うのも、ちょっと迷ったんだけど……」
それは、俺が何度も夢見た言葉だった。
想像の中の彼女は幾度となくそう言って俺に微笑みかけてきたけど、現実のエレンがそう口にしたのは、確かに初めてだったと思う。
俺は、とてつもなく幸せな気分だった。
それを言い表す言葉は、残念だけど見つかりそうにもなかった。
ただもう一度彼女を強く抱き締めて、それでキスをしたいと思ったんだ。
そう、たったそれだけだったのに……。
いざ行動しようと思った俺は、盛大にソファから滑り落ちた。
夢見心地過ぎて、ソファの端がどこまでなのかを忘れていたせいだった。
その上しかも、床に落ちるまでのコンマ何秒かの間に、これでもかとテーブルに頭をぶつけてしまった。
痛くて、声が出ない。
真っ裸で床にうずくまって唸る俺は、まるで生まれたての赤ん坊のようだった。
「ロブ、大丈夫?」
「すごい音がしたけど」
ソファの上から、エレンが心配そうに俺を覗き込んでいる。
大丈夫、大丈夫と返して起き上がろうとした時、今度は下からテーブルに頭をぶつけた。
何この、コントみたいな展開……。
「た、多分、大丈夫……」
今度は床に仰向けになってそう言う俺を見て、エレンは堪えきれずに噴き出していた。
笑いながらもさっと下着の上下を身に着け、床に転がっている俺にもパンツを履かせてくれた。
風邪を引くといけないからと、言いながら。
そしてまだ笑いながら、彼女はキッチンに向かう。
自分でそこに脱ぎ捨てて来た、カットソーを拾うためだろう。
ブラジャーと同じ色のパンティーに包まれたお尻が、ふるふると揺れた。
初体験の日、全裸でソファから転がり落ち、頭を2度も強打した。
これは一生言われるやつだと、俺は早くも覚悟しないわけにはいかなかった。