クレイグ
チャドとフローリアンに会うため、街に出たロブ。
エレンとの関係を未だ修復出来ずに悩んでいる彼の前に、意外な獣が現れて……。
「で、この教授は補講受けた後のテストで判断するって」
「分かった、ありがとう」
俺は、珍しく街に繰り出していた。
フローリアンとチャドに会って、休んでいた講義への対処法について聞くためだった。
俺が大怪我をして入院したことは、ベアンハルトさんからライムに伝わった。
そこからチャド、そしてフローリアンへと繋がったようだった。
エレンが拉致されたのは、4月の終わりだった。
今はもう9月で、俺は4か月もの長期間、大学生活に穴を開けてしまった。
気付けば俺は21歳になっていたし、ユリフェストは部長不在のまま、ライム主動で行われたらしかった。
俺はエレンの誘拐事件に巻き込まれ、そこで大怪我を負わされた。
表向きは、そのようになっているみたいだった。
その話はもちろん、俺にとっても好都合ではあったけど……。
事情を知ったフローリアンとチャドは、俺が取り損ねた単位を取得出来るよう、精力的に動き回ってくれた。
俺が履修する授業の講師や教授に掛け合い、何とか事情を考慮してくれるように頼み込んでくれたのだった。
そのおかげで、俺は奇跡的に特別扱いを受けることになった。
もちろん、レポートや補講、再テストはあるにしてもだ。
「てか、もう体はいいのかよ?」
「そうだよ」
「僕たちが、ロブの部屋を訪ねてもよかったんだよ?」
フローリアンはカフェオレに口を付けながら、心配そうに俺を見ている。
俺は彼らから受け取ったプリントを鞄にしまって、久々のコーヒーを飲んだ。
「いいんだ」
「こういう機会でもないと、つい籠りがちになるから」
「たまには外に出ないと、体もなまるし」
彼らとカフェで過ごした1時間足らずの間、俺はエレンについては一言も触れなかった。
チャドとフローリアンもまた、彼女については何も触れなかった。
まだどこかじくじくした傷のように感じられる部分に無遠慮に触れられることがなくて、俺はほっとしていたのだった。
*
カフェで2匹と別れた後も、俺は意味もなく街をぶらぶらしていた。
もうじき新学期も始まるし、単位を取り戻すためにやるべきことは山ほどあった。
しかし、部屋に1匹でいると、どうしてもエレンのことを考えずにはいられなかった。
俺は未だに、彼女と連絡を取れないままでいた。
だって、どうすればいいんだ。
俺の抱える問題は、何も解決しちゃいない……。
苦しい胸の内に悩んでいると、獣の群れの中で誰かと肩がぶつかった。
その反動で少しよろけながらも、俺は咄嗟に謝った。
「すみませ……」
謝罪の言葉を、俺は言い終えることが出来なくなった。
少し上から、俺に向けられた視線を感じる。
「あんた……」
「クレ、イグ……」
ざわっと、体の毛が逆立つ。
既に完治しているはずの傷が、ズキズキと疼くように感じる。
俺を散々痛めつけ、同じくらい俺からも痛めつけられたそのシロクマは、以前とはまるで違っていた。
黒いトレーナーにジーンズというラフなスタイルで、スーパーの紙袋を抱えている。
待ちゆく獣たちは過ごしやすくなった気候に浮足立ち、楽しげに見える。
その中で俺と彼の周りの空気だけが、凍りついたみたいだ。
「……」
俺は彼を見据えたまま、ほんの少し後ずさりをした。
スニーカーが地面の砂利を踏みしめ、ジャリッという鈍い音が聞こえた。
「待って! 逃げないでくれ!」
「ロブくん、だったね?」
彼が以前と違って見えたのは、その格好のせいばかりじゃなかった。
今の彼からは、息が詰まるような圧迫感は感じられない。
俺に話しかけた声も、どこか穏やかな音程を持っていた。
その数分後、俺たちはどういうわけか、近くの喫茶店に腰を落ち着けていた。
俺と彼は、言うなれば殺し合いをした仲だ。
そんな相手とコーヒーを飲もうなんて、俺もクレイグもきっとどうかしてる。
お待たせしましたーと、若いメスのシカが、間延びした声で注文した飲み物を持って来た。
俺はハーブティー、彼はコーヒーだった。
ごゆっくりどうぞーと、シカの子はテーブルに伝票を伏せていった。
彼女がテーブルから離れたのを見計らって、クレイグが口を開いた。
「まず、きみに謝らなくてはならない」
「酷い目に遭わせて、本当に申し訳なかった……」
彼はテーブルに両手を突くと、俺に向かって深々と頭を下げた。
その腕には、いくつもの新しい傷跡がある。
それは俺が付けたものだということを、何となくだけど覚えている。
「いや、順番が違ったか」
「いきなりで、逆に驚かせてしまっているな」
何も言えないでいる俺に、彼は微笑みかけた。
それはとても、人懐っこい笑顔だった。
凍るような視線を俺に向けていた彼は、今はどこにいるんだろう。
「クレイグというのは偽名でね」
「本当の名は、ドミニクというんだ」
クレイグ、ドミニク、偽名?
病み上がりの頭では、与えられた情報を上手く整理出来ない。
「私、実はこういう者でね」
彼はジーンズのポケットから財布を取り出し、そこから身分証らしきカードを取り出した。
彼は指で軽く押さえたそれをテーブル上で静かに滑らせて、俺の前に差し出した。
「特殊犯罪対策部……え、警察官?」
「そうそう」
「ちょっとは安心してくれたかな?」
寝耳に水というのは、きっとこういうことを言うんだろう。
俺はIDカードに掲載されている写真と、目の前のシロクマとをしつこいほどに見比べた。
「私は、あのライオンの用心棒という形で、内偵に入っていたんだ」
「彼は元々、うちの部がマークしていた獣でね」
「人間の女性が失踪した一連の事件に、彼が関わっているのは明白だった」
「言い逃れの出来ない証拠も掴んでいたし、正直なところ、きみの恋人があそこにいたのも好都合だった」
「実はあの日は、現行犯を狙って突入を予定していた日だったのさ」
「連中があそこまで下衆な考えを持っていたのには驚いたが、突入を取り止めることは出来なかった」
「それで余興と称して、突入までの時間を稼がせてもらうことにしたんだよ」
「あの状況の中では、ああするより他になかったが……」
「結果的には、きみを心身ともに傷つけてしまった」
「それをずっと、謝りたいと思っていたんだ」
なるほど、そういうことだったか。
どうして俺とエレンがすぐに病院に運ばれたか、実は少し疑問に思っていた。
彼が警官で、突入があったことを考えると、その謎も解ける。
彼は、ライオンの医者とその仲間たちが逮捕されたことを告げた。
クレイグとして得た情報もあるし、状況が状況だけに、実刑は免れないだろうというのが彼の見立てだった。
クレイグ改めドミニクは、心底申し訳ないといった顔で、再び俺に頭を下げた。
その姿勢に、嘘は感じられない。
「あの……上げてください、頭」
「こんな結果になったのは確かだけど、俺、感謝してます」
「感謝?」
「俺と闘ってる時、教えてくれましたよね?」
「自分可愛さに手を汚さないままでいたら、俺はきっとエレンを失ってた……」
「もしそんなことになっていたらと思うと、今でも本当に恐ろしく思うんです」
「俺はあの時あなたに発破をかけてもらって、よかったと思ってます」
「そうか……」
「そう言ってもらえると、少しは救われるよ」
ドミニクは大きく息を吐くと、太い腕で首の後ろを掻いていた。
その仕草を見ていると、クレイグとドミニクが同一の獣だと信じていいのか分からなくなる。
「エレンさん、といったかな」
「彼女は元気?」
コーヒーに角砂糖を2つ放り込みながら、ドミニクは何気ない調子で尋ねてきた。
彼がエレンのことも気に掛けてくれるだろうことは、何となく予想していた。
「……大した怪我もなかったので、俺よりずっと早くに退院したみたいです」
「今は、仕事で忙しくしてるんじゃないかな」
「ん? 会ってないの?」
「何だか、間接的な言い方だね」
俺は返事をしないで、視線を窓の外に泳がせた。
そしてゆっくりと、頭を縦に振ったのだった。
「……きみは、自分が怖くなったかい?」
「え?」
彼は、俺の顔をじっと見つめた。
それはクレイグの時の凍るように冷たいものではなかったけど、どこか有無を言わせないような、そんな強い眼差しでもあった。




