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手紙と花

病院で目を覚ましたロブは、エレンを救えたことに心から安堵していた。

早く彼女と会いたいと思う心とは裏腹に、彼の心にはある恐怖心が芽生えて……。

俺は、音もなく真っ白な空間に立ち尽くしていた。

前方では1匹の獣がこちらに背を向けて、何かに夢中になっている。


あれは、何だろう。


俺はゆっくりと足を踏み出すと、その元に歩み寄る。

近付いてみると、それは1匹のオオカミだった。


俺と似た背格好で、毛色も同じ。

それが、何かの上に屈み込んでいる。


唸り声を上げ、頭をぶるぶると振るいながら、そいつは一心に何かを食っていた。

俺はそれを、背後から覗き込む。


彼は、生き物の肉を食っていた。

クチャクチャと音を立て、口に含んだものを咀嚼している。


オオカミの食らう獲物には、まだ息があった。

青い瞳が宝石のように光を反射し、自分を食らうオオカミを優しく見つめている。


ロブ。


ふっくらと膨らんだ唇が、艶めかしく動いて俺の名前を呼ぶ。

オオカミが食っていたのは、エレンだった。


奴は顔を埋めていた彼女の腹からぐっと頭を引くと、そこから長い臓物を引き出した。

そうされてもなお、エレンは微笑んで()を見ている。

腕を伸ばして、血まみれの頭を撫でる。


俺。

そう、()()は俺だ。


湯気の上がる臓物を貪り食う、本能のままに生きる獣。


音のない空間で、俺は声を限りに叫び声を上げた。



俺はベッドの上で、悪夢から目を覚ました。


覚醒直後は夢と現実の区別が付かず、息も絶え絶えに暴れた。

実はそのことはほとんど覚えていなくて、後から看護師に聞いたことだった。

俺は病院に搬送され、集中治療室に送られたらしかった。


「ロブくん、本当にありがとう」

「きみにどう感謝を表していいのか、情けないけど分からないよ……」


未だまともに動けずにいる俺を訪ねたベアンハルトさんは、涙混じりの声でそう言った。

聞けばエレンも、この病院に入院しているらしい。


エレンが俺に会いに来なかったのは、病院の方針で人間の集中治療室への入室が許可されてないからだった。

彼女はほぼ無傷だったとベアンハルトさんから聞かされて、俺は心底安心した。


どうやら俺は、やり遂げることが出来たらしい。

彼女を見つけ出し、イカレた連中の手中から、救い出すことが出来たんだ……。


よかった、本当によかった。


彼女の顔が見たい。

触れたい。

声が聞きたい。


そう願っていたはずなのに、それは叶わなかった。


意識を取り戻した後も数日過ごすことになった集中治療室から、俺は一般病棟に移っていた。

4匹部屋の窓際のベッドで、俺は小さな紙切れをそっと開いた。



『ロブへ


今日はね、とても嬉しいことがあったのよ。

以前からわたしのブーケを注文してくれるお客さんがいて、彼女がまた、わたしを指名してくれたの。


今度は、感じたように作ることが出来たわ。

彼女も、とても喜んでくれたんだから。

嬉しかったから、今日は帰りにケーキでも買って帰ろうかな。

じゃあ、またね。


エレンより』



どこかたどたどしさを感じさせる筆跡の、短い手紙だった。

それを書いてよこしたのは、エレンだ。


俺はベッド際の棚から紙袋を取り出し、ラベンダーの絵が描かれた小さな便箋を、その中にしまった。

棚の上には、薄いビニールで包まれてリボンの巻かれた、一輪の花が置いてある。

デルフィニウムという青い花で、エレンが手紙と一緒に託したものだった。


俺は、エレンと顔を合わせることが出来なくなっていた。


事件後初めて彼女と顔を合わせたのは、俺が集中治療室を出ることになった日だった。

今いるこの部屋に移ることになった俺を、彼女は待っていた。


土の乾ききった鉢が水を求めるように、俺はエレンを求めていたはずだった。

自分では、そう思っていた。


しかし、現実の俺は部屋の前で彼女と出くわした時、なぜか再び過呼吸を起こしてしまったのだった。

処置をするために、彼女はまた部屋に入ることが出来なかった。

それきり、だった。


俺が過呼吸を起こしたのは、彼女と会うことに過剰なストレスを感じたせいだと主治医に言われた。

俺は自分でもそれが信じられなくて、単なる偶然だろうとばかり思っていた。


退院した彼女がその足で俺を病室に訪ねてきた時、俺はしかし、自覚しないわけにはいかなくなった。

過呼吸こそ起こさなかったけど、どうしようもない恐怖が体を包み込んだ。

俺は彼女と直接顔を合わせることが出来なくなって、仕切りのカーテンを引いた。


「ロブ……?」


薄黄色のカーテンの向こうで、彼女の戸惑ったような声が聞こえた。

その先で俺は、見えないエレンに背を向けてベッドに横たわる。


「……ごめん、エレン」

「きみとは、しばらく距離を置きたいんだ」


顔の半分まで布団を被るようにして、俺は呟いた。

エレンは、すぐには返事をしなかった。


「わたしのこと、嫌いになっちゃった?」

「そうじゃないよ」

「そういうんじゃないんだ」


「これは、完全に俺自身の問題なんだよ」

「身勝手で悪いけど……見舞いにも来なくていいから」


さっきまで騒がしかった病室は、今ではしんと静まり返っている。

他のベッドの連中が、俺たちの会話に耳を傾けているのは明らかだった。


カップルらしきオスとメスに流れる、別れを連想させるような不穏な空気。

入院という退屈な時間を潰すには、もってこいの出来事だろう。


「……分かった」

「ねえ、ロブ」

「もし……もし、あなたが……」


エレンは、最後までは言わなかった。

でも俺には、彼女が何と言おうとしたのか、何となく分かっていた。

やがてカーテンの向こうから、彼女の気配が消えた。


「おいおい、兄さん」

「いいのかい?」


エレンに同情したという様子で、隣のベッドにいるヤマアラシの爺さんが話しかけてきた。

俺は、それには何も答えなかった。

相変わらず閉めきったカーテンの向こうで、布団を被って横になっていた。

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