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バラにも棘があるように

ロブは、自分の中の気持ちが恋かもしれないと、ぼんやり気付く。

そんな中、部室で学祭で使う苗の配達を受けることになる。

時間になって、ドアをノックしたのは……。

ユリフェストでは、多肉植物の鉢植えを売ろうということになった。


分厚い葉が個性的な多肉植物はメスたちの間で人気だし、世話もさほど必要ない。

客も買いやすいんじゃないかと、決まったらしかった。

らしかったなどというのは、俺がエレンとの再会に舞い上がってぼーっとしていたからだ。


フラワー・ベアンハルトに行ってから、もう2週間が過ぎようとしている。

別れ際にもらったあのキーホルダーは、今は俺の部屋の鍵にもぶら下がっていた。


授業の前に鞄からノートやテキストを取り出した時、その鍵が机の上に転がり出してきた。

それを見た隣のオスラクダは、俺のことを遠慮なく二度見していた。

そんなことは、今の俺には大したことじゃない。


店の品とはいえ、彼女がお揃いのキーホルダーをくれたことは嬉しかった。

俺とエレンの間にある繋がりは、決して特別なものじゃない。


でも、ぷつんと簡単に切れたりはせず、辛うじて今もそこにある。

オーナーが直々に会いに来てやってと言ってくれたことも、俺の心を軽くしていた。


正直なところ、俺は自分が彼女をどう思っているのか分からなかった。

分からない癖に、会えると嬉しくて仕方がなかった。



「それは恋だぜ」

「うん、間違いなく恋だね」


目の前の2匹は、共にそう断言した。

いつもの、学食でのランチ中の出来事だ。


「恋……とか、そんなわけないだろ」

「あほか」

「恋したことのないおまえに、何でそれが恋じゃないって分かるんだよ」


チャドは、反論する俺をばっさりと切り捨てた。

自分だって()()()()の癖に、何でこんなに偉そうなんだ。


「だって、彼女人間だし」

「いいじゃない、種は違っても愛情は芽生えると思うよ?」


フローリアンでさえも、この調子ときた。

本当のところ俺が恋をしているとして、彼らはどうしてこんなに盛り上がるんだ。


高校時代からの薄暗い友達に彼女が出来そうなことを、心から喜んでくれているのだろうか。

それとも、恋愛未経験の俺が何かしでかすのを楽しみにしてるとか。

チャドの場合は、後者の可能性が高い。


「それに彼女、年上だし……」

「いいよー、年上のメスは」

「大人っぽいけどちょっと頼りないとこもあって、そのギャップに萌えるんだよねー」


「よかったじゃねーか」

「年上のオネーサマは、色ーんなこと知ってるぜ、きっと」

「若い子じゃ知らない、あんなことやこんなことも?」


言いたい放題の2匹だったけど、ロッテが10も上なのを知った時には、さすがにひっくり返りそうになっていた。

わざとらしく椅子の背をガタガタいわせて、チャドが座り直す。


「ロブ……」

「おまえってやつはビギナーの癖に、いきなりマニアックなとこ行ってんな」


「悪かったな」

「てか何だよ、マニアックって」


散々いじくり回された挙句、2匹は俺の行く末を見届ける決意を固めたらしかった。

もういい、やりたいようにやればいい。


「ところでさ、もうじきユリフェストじゃない?」

「ロブは、その人誘うの?」


考えたこともなかった。

実際、学祭に来るカップルは即席も含めて多い。


「花屋の人なんでしょ?」

「エンケンの模擬店でいいとこ見せて、見直してもらえばいいじゃん」


「そうそう」

「おまえ、始まりがドブだからな」


彼らは俺に、とりあえず誘え、誘えったら誘えという命令を下す。

俺のことを思ってが半分、もう半分は面白がってってとこだろうな。

はっきりとした返事はしないで、俺は学食を後にした。


エンケンの部室に寄ろうと思っていたら、エリオットさんからメッセージが来ているのに気付く。

まず、いきなり両手を合わせているネズミのスタンプから始まっていた。


『ごめん、急だけど今日の15時から時間ある?』

『苗の配達があるんだけど、急な補講が入った!』

『ベアンハルトさんが来るから、部室にいてくれると助かる!!』


その時間はちょうど授業がない。

OKですと、俺は簡単に返事を送った。


午後最初の授業を終え、時間に余裕を持って部室に行く。

やっておく課題もさしあたりなく、暇を持て余してテーブルにあった園芸系の雑誌を読んでいた。


約束の時間を迎えようという頃、トントンとドアをノックする者がいた。

グリズリーのベアンハルトさんだと思い、何気なくドアを開けた。


「あ」


俺の体を、2週間前と同じ懐かしくも身じろぎさせるような感覚が走り抜ける。

そこに立っていたのはグリズリーではなかった。

店で再会した時と同じ、赤いエプロンを締めたエレンだった。


「ごめんね、ベアンハルトさんが急用で来られなくなって」

「エリオットくんがいるって聞いてたけど、きみだったんだね」


「配達の荷物、建物の前まで持って来てるんだけど……」

「階段があって台車じゃ運べないから、手伝ってくれる?」


まともな返事も出来ずにいる俺を特に気に掛ける様子もなく、彼女はさっさとドアの向こうを行く。

そんな必要はないのに、小走りで付いて行く俺がいた。



土と鉢、それから多肉植物の小さな苗は、狭い部室の一角を我が物顔で占領した。

ユリフェストは、もう16日後に迫っている。

2週間余りで、これらを鉢植えという形に仕上げなくちゃならない。


「多肉植物は、なるべく育てやすそうな種類を選んでおいたって」

「オーナーがそう言ってたわよ」


苗の前にしゃがみ込んで、エレンは言う。

デカい自分が突っ立っているのもおかしいかと思い、俺も同じように隣にしゃがみ込んだ。


「でも、珍しいね」

「え?」

「きみみたいなオオカミが、植物好きなんて」


「……やっぱり、そう思いますよね」

「よく冷やかされます」


俺がしゅんとしたのを見て、エレンはふっと笑う。

彼女がよく見せる、とても柔らかな笑顔だ。


「ううん、そういう意味じゃないのよ」

「植物を好きなきみは、きっと優しいんだろうなって思っただけ」


彼女は言葉を切ったけど、不思議な余韻が空間に残る。

ふと視線を上げて、あのビー玉のように澄んだ青い瞳が俺を見ている。

ドクドクッと、俺の心臓がまた変に動いた。


「……茶色と白、黒がちょっと多めね」

「え、何?」


彼女が呟いた言葉の意味が、俺には分からなかった。

深い海のようにも見えるその瞳は、じっと俺を見ている。


「毛の色の話」

「ああ」


「本当に似てるの、わたしの知ってるオオカミに」

「それってあの、あなたを助けたことがあるっていう?」


「うん」

「とても厳しかったけど、同じくらい優しかった……」


彼女は、なおも俺を見ていた。

しかしその視線は、俺を通り越してどこか遠いところを見ているように感じられた。


場所はもちろん、時間をも超えたどこか遠いところ。

彼女が瞬きをすると、その違和感はすっと消え去った。


「優しい、か」

「それは、ちょっと違うかもしれません」


エレンの視線を避けて、俺はぽつりと呟いた。

彼女の目が、今もこちらを見ているのが分かる。


「俺は、ただ逃げたくて」

「優しい自分でいたくて、それでそういう風にありたいと思っているだけで……」

「誰かを傷つけることは、もうしたくないんです」


そう、俺は優しくなんてない。

ただ、自分が怖いだけなんだ。


広げた右の手の平には、今はほとんど目立たない古傷がある。

あの日、彼のナイフから逃れようとして防御した時の傷だ。

俺は再び、ゆっくりと拳を握った。


「バラには、棘があるわよね」

「え?」


「植物はわたしたちと違って、自分で考えたりすることはないと思うの」

「花や草にも心があるっていう考え方は、嫌いじゃないけどね」


「上手く言えないけど、そんな植物でさえ、棘を持って自衛してるわけでしょ?」

「簡単に手折られないように、食べられたりしないようにって」


「だからきみに何か思う所があって、自衛のために優しくあろうとしても、それは全然悪いことじゃないと思うよ」

「そんなに、自分を責めなくてもいいんじゃない?」


俺は、不意に泣きそうになってしまっていることに気付いた。

彼女の言葉が、どうしようもなく胸を締めつける。


最後にもう一度、彼女は俺の目を見た。

それから何も言わずに、すっと立ち上がる。


「ずいぶん、油を売っちゃった」

「ベアンハルトさんが心配するわね」


階段の上り口まで、俺は彼女を見送りに出た。

荷物をここまで運ぶのに持って来たらしい台車を、彼女は少し力を入れて押し始める。

いくらか行きかけたその足は、何かを思い出したのか止まった。


「そうそう、きみね」

「何ですか?」


「それ、その丁寧な言葉遣い」

「わたしのこと、あなたなんて呼ばなくていいから」

「次に会う時までに、ちゃんと直しておいてね」


軽く片手を上げて、彼女は台車を押して帰って行った。

彼女の言葉には、やっぱり余韻がある。

教会の鐘が震えるように、今も頭の中でこだましている。


次に会う時まで……。

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