ノワール
人間の女を飼う獣の所で働いたことがあるという、サイトの管理人ノワール。
彼がエレンと繋がっていることを願い、ロブは接触を試みる。
友達ごっこにうんざりしたロブは、やがてノワールから情報を引き出そうと締め上げるも……。
「さて、どうするかな……」
クローゼットの扉を開き、何を着るか珍しく考えた。
今日のコーディネートはある意味、エレンとのデートの時よりも難しい。
ノワールと会うことになって、俺はいったんは落ち着くことが出来た。
やつと会うことで進展があるかなんて分からなかったし、何も進展しない可能性だってある。
それでもすがるものが出来たことで、俺は眠れるようにも食えるようにもなった。
全身黒い服装で、いかにもって感じで行くか。
それとも、案外普通じゃん? って格好で行くか。
俺は、後者を選んだ。
大学に行くようないつも通りの格好で、地下鉄に乗って出掛ける。
幸か不幸か、ノワールはそう遠くはない街に住んでいた。
『え、ウエストシティーなの? 全然近くじゃん!』
『これって運命ってやつー??』
相変わらず、神経を逆撫でしてくるメッセージだった。
運命なんて言うなら、俺をエレンのところへ連れて行けよ。
*
彼の指定した場所は、雑居ビルの地下にある胡散臭い店だった。
騒音にしか聞こえないような音楽がガンガンと鳴り、カウンターの中にいるスタッフも、怪しげな雰囲気を醸し出している。
待ち合わせた時間に店に入ると、テーブルから立ち上がった者がいた。
店内が薄暗くて、誰だかはよく分からない。
「Rさん……だよね? オレ、ノワールです!」
「えー、Rさんて、けっこう普通ぽいね?」
「まー、本当に危ないヤツほど、妙に普通だったりするんだけどねー」
やつが親し気に手を振る席に行くと、彼は愛想よく応じた。
俺が与えたかった印象を、そっくりそのままに受け取ってくれたみたいだ。
こいつの馬鹿さ加減には、いくらか感謝してやってもいいな。
ノワールは、貧相な雰囲気の漂う痩せたハイエナだった。
ああいうサイトを持っていそうな、いかにもというやつだった。
痩せた体を黒いタンクトップで包み、安っぽい艶のある、鋲がたくさん付いたジャケットを着ている。
耳には、リング状のピアスが並ぶ。
妙に大きな犬歯は、口からはみ出るようにしてそこにあった。
ぎょろりとして濁ったの目の下には、濃い隈があった。
薬をやってると告白されても、俺はきっと驚かない。
俺たちは店の一角に陣取り、飲み物を注文して乾杯した。
まるでただの友達同士のように、飲んで話をする。
「そうだ、これこれ」
「お近づきの印ってことで、ちょっと刺激強めのやつね」
ほろ酔い気分で上機嫌のノワールは、安全ピンがいくつも刺さった肩掛けの鞄から、タブレットを取り出した。
それに挿してあるイヤホンを、俺にはめさせる。
彼は、俺に何かの動画を見せたいらしかった。
再生された映像は、グラグラと揺れる不安定な画面からスタートした。
やがてそれが定まったかと思うと、その中心には人間の女性が捉えられていた。
金髪のその女性は一糸まとわぬ姿をして、ベッドの上で震えている。
『お願い、止めて……』
『何でもするから、お願い、帰して……』
荒い映像でも、彼女の顔が涙で汚れているのが分かる。
すすり泣きに、ズボンのベルトを外すような金属音が重なった。
不謹慎かもしれないが、映像に出て来るのが金髪の女性でよかった。
もしそれが黒髪、エレンと同じ髪の色だったら、俺はとても見ていられなかっただろう。
耳に差し込んだイヤホンから音割れした、女性の悲痛な叫び声が漏れ出す。
動画の中で繰り広げられる蛮行は、俺を始め、この世界に住む獣たちの多くが知らないことだった。
いや、知っていても、知らぬふりをしていることかもしれなかった。
俺は、表情に軽蔑のさざ波を立てないようにと苦労した。
決して目を背けないよう、反吐が出るような動画を、食い入るように見つめた。
「闇サイトで見つけたんだ」
「Rさんなら、きっと気に入ると思ったよ」
俺のそんな様子は、ノワールを大いに満足させたらしかった。
オレ達の夜に! なんて言いながら、楽しそうにグラスを掲げていた。
*
「やっぱさあ、こういう性癖って周りには受け入れられないよね」
「みんな人間のことは嫌ってる癖に、あからさまにそれを見せないっていうか」
「孤独だよなー、欲望に忠実なだけのオレ達みたいのはさ……」
店を出ると、ノワールは煙草の煙を吐き出しながら独り言ちた。
今日初めて会ったやつに、よくもまあここまで心を許せるものだ。
自身が言うように、彼はきっと孤独なんだろう。
「でもオレ、Rさんに出会えてよかったよ」
「また一緒に飲もうな! オレも、新しいネタ見つけたら回すし」
「てかさー、Rさんのほんとの名前教えてよ」
もういい。
お友達ごっこは、もうおしまいだ。
俺はノワールの襟首を掴むと、通りから離れた路地裏に引き込んだ。
酔って足元のおぼつかない彼を、乱暴に放り出す。
「な、何?」
「どうしたの、Rさ……」
言いかけたノワールの首を両手で包み、そのまま壁に押しつけて上に引っ張り上げる。
痩せたハイエナを吊るすなんて、俺には造作もない。
首に掛けた手に、ゆっくりと力を込めていく。
「もううんざりなんだよ」
「お前の趣味にも、反吐が出そうだ」
「そもそもお前、俺の知りたいことは何も話してないじゃないか」
「約束しただろ? なあおい」
「お前が働いてたって場所について知ってること、洗いざらい全て吐け」
「俺は本気だよ」
ノワールは、喉に掛かった俺の手を掻きむしるようにして暴れた。
そんなことをしたところで、オオカミの力に敵うわけもないのに。
「どうした?」
「言う気になったか?」
「もたもたしてると、首の骨が折れるかもしれないぞ」
――俺はずっと、誰かを傷つけるのを恐れていた。
それは、相手が人でも獣でも同じだった。
でも、今は違う。
出来るなら、こいつの首をへし折ってやりたいと思っている。
殺意が、血液のように体内を駆け巡る。
「こ、いう、言う」
「よし」
俺は、絞める力を緩めた。
彼が妙な気を起こした時には再開できるように、手は首に巻きつけたままにしておく。
ノワールは激しく咳込み、俺の手に涎の川を作った。
「ウェッ……オ、オレが働いてたのは、金持ちの、肉食獣の屋敷だよ」
「そこで、何をやらされていた?」
「雑用だよ」
「庭の手入れとか、部屋の後片付け、とか」
「部屋っていうのは?」
「もう勘弁してくれよ……」
サイトの中ではあれだけ饒舌だったノワールも、現実ではずいぶんと歯切れが悪い。
俺は舌打ちをすると、また首に掛けた手の輪を縮める。
「分かった、分かったって!」
「サイトにも書いたけど、屋敷の主が女と楽しんだ部屋だよ」
「その後始末をやらされてた」
「あんたのことは、誰にも言わねえ」
「だから頼むよ、もう解放してくれ!」
俺の手が掛かった首を、ノワールは窮屈そうによじる。
俺は長い息をひとつ吐くと、最後の質問をした。
「屋敷の主は、誰だ?」
「年寄りのライオンだよ」
「確か医者だって聞いたような……」
ノワールの言葉が頭の中でスパークした瞬間、俺は首元にちくりとした痛みを感じた。
何だと思って振り返るや否や、視界が急に狭まる。
手から力が抜けて、押さえつけていたノワールが、崩れるようにへたり込んだのが見える。
意識が強制的にシャットダウンさせられる。
あっという間に、全てが闇の中に飲まれていった。