エレン、消える
エレンとキッチンに立って料理を手伝うロブは、ふとこれから彼女との間に起こるだろうことを妄想してしまう。
そんな時、不意に誰かがチャイムを鳴らすが……。
エレンのキッチンは、うちのより少し狭い。
そこに俺が並んで立つと窮屈なんだけど、これはこれで楽しくもある。
今夜のメニューは、彼女が事前に予告していたカレーライスがメイン。
付け合わせには、トマトとモッツァレラのサラダを作ると言われた。
俺は指示通りにトマトをざくざく切りながら、ふと隣にいるエレンを見た。
カレーの準備をしている彼女はさっきの記事が気掛かりなのか、表情が少し曇っている気がした。
「大丈夫、すぐに捕まるよ」
「え? ああ、そうね……」
「やっぱり、どうしても気にはなっちゃって」
俺の言葉には何の根拠もなかったけど、少しでもエレンを安心させたかった。
言うか少し迷って、俺はさらに口を開いた。
「もし何かあっても……きっと俺が守るから」
「うん」
『今のは、さすがにキザ過ぎるぜ!』
『キザくて、寒いよー』
『おまえ、そんなキャラだった?』
頭の中のミニロブが、またうるさい。
いいんだよ。
恋をすると、俺みたいなオオカミだってこんなになるんだから……。
炒めた野菜と肉に水とローリエを入れて煮立たせ、丁寧にアクを取る。
鍋にルウを加えると、部屋にはカレーの匂いが満ちてくる。
それは、俺がエレンの匂いの次に好きな匂いだ。
今、キッチンにはその2つがある。
もはや幸せの匂いといっても、過言じゃない。
俺はトマトを刻み終わると、同じようにモッツァレラをカットした。
それを木製のボウルに入れると、バジルのソースでざっと和える。
彼女特製のカレーライスに、トマトのサラダ。
キッチンの小さなテーブルでそれを向かい合って食べ、会わなかった間の話をする。
デザートには、何かフルーツでも食べるかもしれない。
エレンは、いつもそうだった。
食後にはコーヒーを飲んで、ソファでTVを見ながら引っつくのもいい。
いや、それとも、先にシャワーを浴びておくのがいいのか?
代わる代わるにシャワーを浴び、それからソファで寛ぐ。
明日は何をしようか?
そんな話をするかもしれない。
気が付けば互いに言葉はなく、ただ視線を合わせるだけ。
どちらからともなく目を閉じて、キスをする。
エレンと最後にキスをしたのは、多分、あの山の夜でのことだ。
キスを重ねて、もつれるようにエレンの寝室に向かう。
まさか、ソファでってことはないだろう。
前に見たことがあったけど、彼女のベッドは俺には小さい。
でもそこに、倒れ込むように重なる。
白いシーツの上に、彼女の黒い髪が広がる。
海の青を湛える瞳が、潤んで俺を見上げている。
何度目かになるキスを交わし、彼女の服を脱がせる。
細い首筋に鼻先を押しつけ、その体温を味わうのもいい。
エレンは、声を上げるだろうか。
生身のエレンから立ち昇る甘い匂いは、さっき彼女が使ったボディーソープのものだ。
それを胸いっぱいに吸い込むと、俺はいよいよ我慢出来なくなる……。
ビーーーッ。
俺の妄想を中断させたのは、不意に鳴ったチャイムの音だった。
これから起こるだろうとはいえ、我ながら生々しく想像してしまったものだ。
ベッドの軋みが今にも聞こえてきそうな気がして、俺は大きく深呼吸をした。
「誰かな」
「ロブ、ちょっとお願いね」
カレーをかき回していたレードルを俺に託すと、エレンはエプロンを外して応対に出た。
そのまま、今度は俺がカレーの鍋を混ぜる。
*
どれぐらい経っただろう。
俺はふと、顔を上げた。
カレーは焦げやすいので、常にかき回してなきゃいけない。
俺は、それに集中し過ぎていたらしかった。
少し、遅いんじゃないか?
感覚では、もう5分くらいは経った気がする。
俺は鍋の火を止めると、玄関を顧みた。
耳をそばだててみるも、話声らしいものは聞こえない。
嫌な予感がした。
そう考える自分を、押し留める。
ゴミ箱の中には、さっき読んだ新聞が丸めて差し込んであった。
止せ、そういうことを考えるのは止すんだ。
俺は、自分に言い聞かせる。
ドアに近付くと、ノブをゆっくりと捻った。
その先にはエレンがいて、来訪者とにこやかに話をしている。
俺を認めると、ごめんねという顔をする……。
そう期待して開けたドアの先には、誰もいなかった。
チャイムを押した誰かも、それに応じたエレンも。
履いていた靴の片方を残して、エレンは忽然と消えてしまった。




