心躍る水曜日と失踪事件の影
いよいよ、約束の水曜日がやって来た。
仕事終わりのエレンの部屋に行ったロブは、彼女と久々に会えた喜びを噛み締める。
一方、エレンは気掛かりな新聞記事を読んでいて……。
エレンの仕事終わりは、17時。
そこから支度して部屋に帰って、17時半。
その時間に合わせて訪ねようかとも思ったけど、ちょっとがっついた印象になりゃしないか?
そんな気がして、かなり我慢して18時に訪ねた。
「いらっしゃい」
薄いブルーに小花柄の散ったワンピースを着て、エレンは俺を出迎えた。
料理中だったのか、シンプルなクリーム色のエプロンを締めている。
やばい、めちゃくちゃいい……。
ドアを閉めたその手で、俺はたまらず彼女を抱き上げた。
そのままくるんと回って、膝を床に付いてエレンを下ろす。
「こんなことする男の子だとは思わなかった」
エレンはいたずらっぽく笑うと、しゃがんでいる俺の首にぎゅっと抱きついた。
そしてそのまま、そっと呟く。
「ねえ、ロブ」
「気にしなくてもいいんだからね?」
「え、何?」
「あなたがわたしの過去を知っても、それを気にする必要はないってこと」
「ロブがわたしを特別に思ってくれるのは嬉しいけど、気を遣った特別は嫌なの」
「うん……?」
「つまり、あなたの前では、わたしはただの恋人ってこと」
「あなたが自分の彼女にしたいと思うことを、してくれればいいの……」
そこまで言うと、エレンは俺から離れた。
最後の一言は、耳の傍で囁くように言われた。
スマホを通して、彼女の声を耳元で聞いたことは何度もある。
でも、何のフィルターも通さない生の囁き声は、別格だった。
たまらん、まずいほどにたまらん。
『おい、これはどう考えても誘惑してるぞ!』
『何をもたもたしてんだ、さっさとキッチンのテーブルに押し倒せ!』
『何を言ってるんだよ、これだから粗野な獣は』
『ここまで来たら、もっと順を追って行こうじゃないか』
『体中からカレーの匂いをさせて、ムードも何もあったもんじゃない』
『食事をしてからシャワーを浴びて、行儀よくだ』
『てか、ランチにカレー食べちゃってんじゃん!』
『今日の夜もカレーじゃないの?』
『いいんだよ、カレーは何度食べても』
『それに、学食とエレンのカレーは別物なんだから』
頭の中では、ミニロブたちがやいやいとやかましい。
うるさいとばかりに、俺は頭の上で手を振った。
実際のところ、彼女から気にするなと言われたことは大きかった。
かつてエレンが経験したことを思うと、いくら俺のことを好きでいてくれたとしても、迫っていいものか迷いはあった。
そんな気持ちもあって、今まで何もせずに来てしまったというのもある。
俺に敢えてそう言ったということは、ミニロブAの言うように、ある意味では誘惑だろう。
彼女自身から、OKが出たと考えていいはずだ。
泊りを誘ったことからも、薄々それには気付いていた。
そして、今のが決定打というわけか。
俺もいよいよ……。
そう思うと、カレーも喉を通るか心配だった。
ふと見れば、ソファの前にあるテーブルには新聞が置いてある。
1部まるまるというわけではなく、気になる記事のあるページをを抜いてきた感じだった。
「何か読んでたの?」
「え? ああ、そうなの」
エレンは少し顔を曇らせると、広げた新聞のある場所を指で示した。
そこには黒い枠線で囲われた、小さな記事があった。
「仕事で使ってた新聞なんだけど」
「3日前のだね、えーと……」
そこにざっと目を通して、俺は嫌な気分になった。
書かれていたのは、こんな内容の記事だった。
【失踪4人目・目的やいかに?】
「――先月16日に続き、ここウェストシティー周辺で【人間】の失踪事件が相次いでいる。
失踪したのはいずれも若い女性で、連れ去りの経緯や方法、犯行の目的なども不明のままだ。
そもそも、これらの失踪に事件性があるのかという警察関係者の声もある。
今のところ犯行声明や身代金の要求などはないが、警察は引き続き捜査を行う模様」
こんな事件が起きていたなんて、全然知らなかった。
4人もの女性が行方不明になっているにも関わらず、新聞に取り上げられているのはごく小さな記事だ。
これがもし獣なら、もっと大きな目立つ記事になったに違いない。
「TVではこんなニュース見たことなかったから、驚いちゃった」
「ベアンハルトさんも、すごく心配してるの」
「そりゃそうだよ」
「俺だって心配だ」
「だからね、通勤はなるべく獣通りの多い場所を行くようにしてるの」
「帰りが遅くなる時は、ベアンハルトさんかリサが送ってくれるし」
それを聞いて、俺は少し安心した。
白昼堂々、あるいは獣の群れの中での連れ去りなんて、さすがに無理だろう。
「俺も迎えに行くから」
「必要な時は、遠慮せずに知らせて?」
「うん、そうする」
「さあ、こんな話はもうおしまいにしましょう」
「今日は、久しぶりに会えたんだから楽しまなくちゃ!」
エレンは明るく言うと、新聞を片付けた。
エプロンの紐を締め直すと、俺ににっこりと微笑みかける。
目と目が合って、そのままキス……。
と、なりそうだったので、俺は思わず顔を背けた。
「どうしたの?」
「ずっと会えなかったから、怒ってる?」
もちろん、そうじゃない。
俺はなおも視線を逸らしたまま、弁解した。
「何ていうか、その」
「今キスしたら、そのまま突っ走りそうで……」
ミニロブBの言う通り、ここまで待ったんだから勢いに任せたくはなかった。
ただ、キスをしてもなお理性が保てるかは怪しい所だ。
エレンは目を丸くしていたけど、じゃあ手伝ってと、俺をキッチンに誘った。