表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

5/118

土曜日の花屋で

サークルの先輩と、花屋に行くことになったロブ。

そこで彼を待っていたのは、思いもよらない再会だった。

約束の土曜日、俺はエリオットさんと駅で待ち合わせた。

花屋の最寄りだというその地下鉄の駅は、アパートと大学のちょうど間といったところだった。

少し遅れてたエリオットさんと落ち合い、俺たちは花屋に向かって歩き出す。


「これから行く花屋、エリオットさんはよく行くんですか?」

「んー、エンケンの買い出しでが多いかな」

「品揃えが結構マニアックだから、ロブも気に入ると思うよ」


話をしながら、ぶらぶらと連れ立って歩いた。

この辺りには、買い物を出来る場所やおしゃれなカフェも多い。

そういうわけで、必然的にカップルも多い。


天気のいい土曜日に、並んで親し気に歩くオス2匹。

ビーバーとオオカミというこの凸凹コンビを、道行く獣たちはどう見ているのか。


「そうそう、ちょっと言っとかないとな」


花屋が見えてきたかという時、エリオットさんは足を止めた。


「あそこのオーナーさん、かなりデッカいからビビるなよ?」

「ま、ロブはオオカミだし大丈夫か」

「はあ……」


「そ・れ・と、もうひとつ!」

「実はあそこには、もうひとつびっくりすることがあるんだぜ」

「何ですか、それ」


「特に、俺たち史学科とは、無縁とは言えない誰かがいる!」

「誰かって?」


問いの答えをはぐらかして、エリオットさんは丸い体を弾ませるようにして歩き出した。

彼より歩幅の大きい俺は、急ぐことなくそれを追い掛ける。


【フラワー・ベアンハルト】


それが、店の名前だった。

ガラス張りの洒落た外観で、店内の様子が外からも窺えるようになっている。


「今日もいるかな、彼女……」


俺の足元で、小さいエリオットさんが可能な限り伸び上がった。

彼女って誰だ?


エリオットさんは、失礼な言い方かもしれないけど、こう見えて恋多きオスなのだ。

ここに、気になる看板娘でもいるのかもしれない。


その子会いたさにここに通う彼を想像し、ふと店内に視線を戻した時だった。

店の中で誰かがさっと動いたのを、俺の肉食獣の目が反射的に捕らえる。


自覚のない一瞬の混乱の後、俺はそれが誰なのか知っていることに気付いた。

そして気付いたときには、エリオットさんを置いて店内に駆け込んでしまっていた。


「いらっしゃいませ……」


店の入り口にはベルが取り付けてあり、チリンチリンと音をさせて来客を知らせる。

その音に、彼女は振り返ったのだった。

このベルの音に似た、澄んだ響きの名前を持つ彼女。


「あ、えっと……この前の」


呼吸が乱れていく俺を、彼女はすぐに思い出してくれたようだった。

店名の入った赤いエプロンを腰に巻き、黒く長い髪を、今日はポニーテールにしている。


「ロブ、どうした!?」


彼には少し重いドアを何とか押し開けて、エリオットさんが後に続いた。

エレンと向き合っている俺を見て、事情が分からずぽかんとしている。


ゼエゼエと息を弾ませている俺のせいもあって、店内は変な雰囲気になってしまっていた。

エレンが噴き出すと、その張り詰めた空気が緩んでいく。


「やだ、エリオットくんの知り合いだったの?」

「世間は狭いなんて言うけど、本当ね」


未だ事情が飲み込めず、下膨れの顔をたゆんと揺らせて首を傾げている先輩に、俺はエレンに助けられたことを話した。

全く思いもよらない再会だったこともあって、体の震えがなかなか収まらない。


「なーんだ、彼女とはもう知り合いだったのか」

「ちぇ、もっと驚くかもと思ったんだけどなー」


思惑の外れた先輩は、わざと頬を膨らませている。

彼の思惑は、しかし、完全に外れたとも言えない。

別の意味では、俺はちゃんと驚いているんだから。


エリオットさんがさっき言った意味が、ようやく分かってきた。

人間という存在は、俺たち史学科生が学ぶ歴史学に必ずといっていいほど登場するからだ。

獣の歴史を語る上で、人間と俺たちは切っても切り離せない関係にある。


「今日、オーナーいます?」

「うん、いるよ」

「2階で作業してると思うから、ちょっと呼んで来るね」


トントンと階段を上がって行く彼女の後姿を見ながら、俺はようやく落ち着きを取り戻しつつあった。

長く息を吐いて首の後ろに手をやると、ぐっしょりと汗をかいていた。


「何だよロブ、彼女、おまえのスイートハニーってやつ?」

「赤くなっちゃって、青春だね~」


エリオットさんの物言いは、時に少しダサい。

今どき、スイートハニーってどうなの。


「え、違っ……何言ってるんですか」

「俺は彼女に助けてもらったお礼を言おうと……」


「スイートハニー?」

「蜂蜜か何かの話かな?」


再び汗をかきながら弁解していた俺は、背後に威圧感を感じて黙り込んだ。

何か、自分よりずっと大きな何かが、すぐ後ろにいる。

再びうなじが濡れるのを感じながらゆっくりと振り返ると、そこには大きなこげ茶色の山があった。


「!!」

「あ、お久しぶりです」


固まった俺の背後で、エリオットさんはにこやかに挨拶している。

俺は振り返ったままの姿勢で、動けずにいる。


「ほら、言っただろ」

「オーナーさんめっちゃデカいけど、びっくりするなよって」


「彼、ロブっていいます」

「今年うちに入ってくれた、期待の星なんですよー」


振り返った先にいたのは、こげ茶色の毛をした大きな大きなグリズリーだった。

ずんぐりとした体に、つぶらな瞳が優しそうに光っている。


俺は背丈こそあるが、グリズリーほどガタイはよくない。

エリオットさんの言葉から察するに、彼がここのオーナーらしい。


「あ、ベアンハルトさんいたんだ?」


話し声が聞こえたのか、エレンも2階から下りて来た。

俺、エリオットさん、グリズリーのオーナー、エレンが、同じフロアに一堂に会した。


「ねえ聞いて?」

「このオオカミの彼だよ、昨日話したのって」

「偶然でびっくりしちゃった」


エレンは、親し気にグリズリーと話をしていた。

彼女が隣に立つと、オーナーの大きさは殊更に強調される。

今ここで彼がエレンに食らいついたとしても、俺はそんなに驚かないかもしれない。


「じゃあ、ゆっくりしていってね」


軽くそう言うと、彼女は店の奥に引っ込んでいった。

再会でこんなにも心が揺れているのは、どうやら俺だけみたいだ。


最初こそ驚きはしたものの、彼女にとってはちょっとびっくりした出来事程度になってしまったのかもしれない。

そこに11歳上の大人の余裕を感じ、同時に自分の子どもっぽさが浮き彫りになった気がした。


エリオットさんは、オーナーと学祭についての打ち合わせをしている。

残念ながら、その内容はほとんど頭に入ってこなかった。



小一時間ほど話して、学祭の出し物についてはおおむね決まったみたいだった。

うわの空でいたことはきっとバレているだろうし、後でエリオットさんには謝っておかなくてはならない。


「じゃあ、苗はまたそっちに配達するね」

「はい、よろしくお願いします」


エリオットさんが、打ち合わせのメモをリュックに押し込む。

もう話し合いは終わったのだから、後は帰るだけだ。

ここへ来て、俺は急に名残惜しくなった。


彼女の職場は分かったのだから、これから折に触れて訪ねればいいじゃないかとは思う。

幸運なことに花屋だから、サークルを理由に訪ねたっていい。

ただ俺は、そういうのがどうにも苦手だった。


今日のように正式な用事でもあればいいが、何となく来店するのははばかられた。

エレン目当てだと思われるのが、何だか恥ずかしかった。


店を出る時になって、オーナーが見送りのためにエレンを呼んでくれる。

またうちに遊びにいらっしゃい。

最後までそんな言葉を掛けられるのを期待していたけど、悲しいことに彼女はそんなことは言わなかった。


彼女との再会は嬉しかったけど、俺はこのチャンスをどうにも出来なかった。

そんな不甲斐ない自分が、とてつもなく馬鹿でどうしようもない生き物に感じられた。


「そうだ、これ」


いよいよお別れという時になって、エレンはエプロンのポケットから何かを取り出した。

ひとつをエリオットさん、もうひとつを俺の手の平に載せる。


それは、キーホルダーだった。

小さな丸いプラスチックに、花の絵が描かれている。

彼女が、部屋の鍵に付けていたものと同じだった。


「これ、店の粗品なの」

「よかったら使ってね」


ほつれて顔に掛かった髪をかき上げて、彼女は微笑んだ。

その顔は、馬鹿でどうしようもない俺の心をまたかき乱す。


レジの傍で電話が鳴ると、彼女は俺たちに軽く手を振って店に戻っていった。

手にした小さなキーホルダーをいつまでもしまえずにいる俺に、オーナーがそっと囁いた。


「よければ、また会いに来てやってくださいね」

「きみはいい獣だから、きっと彼女も喜ぶよ」


大きな体に似合う、低くゆっくりとした声。

オーナーの顔を見た俺に、彼はつぶらな瞳を細めてウインクしてみせた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ