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言葉を持たない獣たち

月明かりの差し込む車内で、エレンは服を脱いだ。

やがてロブとエレンは、毛布の下で……。

照明を点けたほど、明るくなったとは言えない。

それでも、至近距離にいる誰かが何をしているのかを知るには、十分な明るさだった。


エレンは俺の目の前でパーカーを脱ぐと、長袖シャツの裾をまくってそのまま上に引き上げた。

くしゃくしゃになったシャツの下から顔が現れ、腕を下ろすと胸が揺れた。

今は肩までの長さになった髪が、つるんと弾む。


普段は気にも留めなかった月の光も、何も明りのない場所では闇を照らすのに役に立つ。

俺は月光に浮かび上がるエレンの体を、まじまじと見つめることが出来た。


別れを切り出されたあの晩に、見るはずだったかもしれない彼女の体。

それは傷だらけで、痛々しかった。


「外してくれる?」


くるっと俺に背を向けると、エレンは少し体を屈めた。

言われるがままに、俺はブラジャーのホックを外す。

そんな経験はない癖に、もたつかずに上手く出来たのはよかった。


そこでようやく、エレンの背中全体が露わになる。

目に留まるのは、ひときわ長く深い傷跡。

右肩に始まり、背骨を断ち切るように、腰の左側まで続いている。


肉食獣の、爪の跡。

今やこの世界の誰が、こんな傷を背負っているっていうんだ。


俺はおもむろに、その傷に手を触れた。

その手が冷たかったのか、エレンの背中がびくっと震えた。


背後から肩を抱くと、今度は唇を押しつける。

少し背中を反らせたのか、その中央が窪んだ。

エレンが、溜息のような、はあっという息を漏らす。


俺は自分も起き上がると、薄い上着とTシャツを脱ぎ捨てた。

そうして、エレンと毛布に包まり直す。


その下で、エレンは何も言わなかった。

ただ温かさを求めるように、少し冷たい手が俺の体のあちこちを弄る。


俺もそれに応じるように、毛がなくすべすべとしたエレンの体に触れていく。

傷という傷に手を触れては撫で、キスをする。

薄く幅広の舌は、おずおずと古傷を覆う。


いつしか風は止み、辺りはますます静寂に包まれている。

互いに動く音と息遣いだけが、狭い車内を漂っていた。


不思議と、かつて彼女に感じたような高まりは今はない。

俺をいっぱいにしていたのは、彼女をただ大切だと思う気持ちばかりだった。


一緒に夜を明かせば、必然的にそういうことになるだろうって気はしていた。

でもそれはどこか別の所にある考えみたいな気がして、全然現実味がなかった。


太古の昔、獣たちは言葉を持たなかった。

それでも彼らは、どんな風に相手を思っているかということを伝える術を、ちゃんと持っていた。


愛情、労り、慰め。


それらの気持ちは、言葉じゃなくてもちゃんと伝えられる。


今は、言葉なんてあっても意味がない。

俺はまだ自分の中にもあるだろう、野性だった頃の本能に従うことにした。


きみが好きだよ。

あなたが好きよ。


毛布の下で、俺とエレンは2匹の獣になった。

体ではなく心で交わる、言葉を持たない獣に。



カーテンのない車内には、嫌というほどに朝の光が流れ込んでいる。


ゴンゴンと何かを叩く音と寒さで、俺は目が覚めた。

目を開けると、外に見知らぬ爺さんがいた。

座席の傍にある窓に顔をべったりと押しつけ、こちらを窺っている。


「うっお……」


あまりに突然のことで、俺は言葉を失った。

爺さんがなおも窓を叩くので、俺は急いで服を着て車外に出た。


「あんちゃん、こんなとこでどうしたぁ?」


俺よりは小柄なイノシシの爺さんは、田舎者のステレオタイプといった感じだった。

きょとんとした目で、俺を見ている。


「実はあの、車が故障し」

「あと10分も走りゃ、道沿いにモーテルがあんじゃないの」

「あんちゃん、そんくらい我慢しなきゃだめよ」


俺が事情を説明しようとするも、爺さんは食い気味にまくし立てる。

そして何かを、勘違いしている。


「まあー、分かるよ?」

「わしにもそういう時あったけどさぁ」

「もう今! って時ね、今しかないっていうね……うーん」


「あのー、何の話を」

「でもよぉ、こんな寒いとこで放り出したら、()()()()()()()になっちまうぞ?」


イノシシの爺さんは自分の股間をバシバシと叩き、グァッハッハッハと豪快に笑った。

バイト先のヒヒ爺さんもそうだけど、年を取ると下ネタを垂れ流すようになるのはなぜなんだろう……。

それでもやっと事情を話すと、機械工だったという爺さんはあっさりと車を直してくれた。


「メスっちゅうもんは、月が満ちる晩には欲しがるもんなのよ」

「まあー、分かるよ?」

「車ン中っちゅう()()()()()()()()()も、燃えるもんだけどよぉ、うーん」


さらに下ネタを投下すると、彼は上機嫌で帰って行った。

変な爺さんだったし色々大いに誤解していたけど、これで晴れて街に帰れることになった。


テレサの言う道に出るには、あと少しのことだった。

そして爺さんの言う通り、10分くらい走ると古びたモーテルが現れた。

ここまだやってる? ってほどに、寂れたモーテルだった。


「車、直ってよかったわ」

「うん、そうだね」


「さっきのお爺さんと、何話してたの?」

「彼、すごく楽しそうだったわね」


エレンにそう言われて、俺はどう答えたものか迷った。

運転に集中しないといけないからなどと言って、適当にごまかした。


「そういえば、その髪」

「え?」


「切ったの?」

「よく、似合ってる」

「前の長い髪も好きだったけど、今のその髪型も好きだな」


ペーパードライバーの俺は、とてもじゃないけど脇見する余裕はない。

今頃言うの?

そう言って隣のエレンが笑ったのに、その顔を見ることが出来なかった。

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