山の夜
シェルターからの帰り道、日暮れ前に車がエンストしてしまう。
仕方なく、車中泊をすることになったロブとエレンだったが……。
エレンを迎えに行った翌日、俺たちはまた街に帰ることになった。
シェルターで一泊させてもらって、何やかんやと別れを惜しんでいる間に、夕方近くになってしまったのだった。
「エレン、元気でね」
「ここはいつでも、あなたを歓迎してることを忘れないで」
テレサは、そう言って俺たちを送り出してくれた。
キツネのミアは不服そうだったけど、最後にはシェルターのスタッフとして自分を納得させたらしかった。
この世の中で、人間だけで生きていくのは難しい。
誰か頼れる獣が1匹でもいるなら、それが彼女のためになるんだと思ってくれたみたいだった。
彼女はエレンに抱きつき、長いさよならを言った。
鍵を挿し込んで、エンジンを掛ける。
低い唸り声を上げて、車はゆるゆると走り出した。
行きに空っぽだった助手席には、今はエレンが座っている。
ベアンハルトさんとの約束を果たせたこともあって、俺は安堵していた……。
*
そして、安堵し過ぎたみたいだった。
もうじき日も暮れるかという頃、薄緑のトラックはエンストを起こして動かなくなってしまった。
よりにもよって、何もない山の中で。
この道を行けば、街に続く大きな道路に出られますよ。
テレサにそう言われて、俺はその道を行くことにした。
悪路な上に初めての道ではあったけど、地図を見ると一本道で、迷うことはなさそうだった。
で、こうなった。
とりあえずボンネットを開けてみたけど、専門知識があるわけでもないから何が何だか分からない。
自分でどうにかするのは諦めて、俺は車内に戻った。
「車、動かなさそう?」
「うん、そうみたい」
「ところで、ロブって運転出来たのね」
「えー、今それ?」
「大学生になる前に免許取ったんだけど、街じゃ乗らないしペーパーなんだけどね……」
げんなりという俺の横で、エレンは笑っている。
こうしていると、今までのことが夢みたいに思えてくる。
隣のエレンは、黒いシャツの上に赤いパーカーを羽織り、ジーンズを履いている。
まるで、春休みに遠出のドライブをしただけみたいだ。
「今、どのへんだろうな……」
「ちょっと、歩いて様子見て来るかな」
「それは止めた方がいい」
「もう日も暮れるし、この辺りは外灯もないから真っ暗になるの」
「街では春でも、ここはまだまだ冬よ」
かつて山で暮らしていたエレンにそう断言されると、俺が口を挟む余地はなかった。
今夜は車中泊をし、明るくなってからまた考えようということになった。
「シェルターのみんなに感謝しなくちゃね」
「うん……」
街まで遠いからと、シェルターのスタッフが弁当を用意してくれていた。
保温ポットのコーヒーは、ありがたいことにまだ温かい。
弁当のサンドイッチを頬張っているうちに、辺りは一気に暗くなった。
外灯もない暗闇は、予想以上に心細く感じるものだった。
エレンがトランクを開けると、携帯用のラジオと毛布が出て来た。
ラジオは、まだちゃんと使えそうだ。
ラジオのスイッチを入れてみたけど、どこに合わせてもノイズだらけだった。
唯一聞き取れた局ではちょうど天気予報をやっていて、明日の朝は特に冷えると、嬉しくない情報を与えてくれただけだった。
ラジオで音楽でも聴ければ気晴らしになるかと思ったけど、それも無理みたいだ。
食事を終えるとやることもなくなり、俺たちは寝ることにした。
フラワー・ベアンハルトの社用車はグリズリー仕様なのか、ピックアップタイプだけど車内も意外に広い。
座席をフラットに倒すことが出来、横になれそうなスペースを作れた。
寝床というには狭すぎる空間に、俺たちは横になった。
「……静かだな」
「でしょ?」
俺たちは並んで、毛布に包まっていた。
寝床のスペースは俺には狭すぎたけど、こんな時に文句は言ってられない。
体を折り曲げるようにして、何とか毛布に潜り込む。
外では、樹々の間を風が通り抜け、笛の音のような音がする。
しかしそれが止むと、ほとんど何も聞こえない。
無音という壁が、四方から迫ってくるような錯覚を覚える。
「俺も田舎暮らしだったけど、山の中っていうのはまた違うんだな」
「ロブ、不安?」
「そ、そんなこと……」
そうは言ったけど、俺は山の夜に漠然とした不安を抱えていた。
そして、ここにエレンがいることを心から嬉しく思った。
もし彼女を連れて帰れない帰路でこんな目に遭ったとしたら、軽く発狂したかもしれない。
「っくし!」
「寒い?」
「うん、少しね」
まさかこんなことになるとは思わなかった俺は、街の気候に合わせた服を着ていた。
長袖のTシャツに薄い上着という格好で、慣れてない山の夜は寒かった。
毛布があるといっても1枚だし、何より俺とエレンで被って寝るには小さそうだった。
まさかとは思うけど、凍死したりしないよな?
そんな思いがちらりと頭をよぎり、慌ててそれを振り払う羽目になった。
いつの間に俺は、こんなにメンタルの弱いやつになってしまったのか。
「ねえ、ロブ」
「寒い夜には、どうしたらいいか知ってる?」
その声は、暗闇から聞こえてきた。
外灯もない山の中では、何もかもが真っ黒に塗り潰されたようになる。
気配と衣擦れの微かな音で、エレンが体を起こしたのが分かった。
俺は、音の方を向いた。
彼女が再び横になった気配は、まだない。
何かごそごそと動いているのは分かるけど、よくは見えなかった。
そんな時、風が夜空に掛かる雲を吹き飛ばしたみたいだった。
雲に隠れていた月が現れ、車内は急に明るくなった。