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悲しい咆哮

とうとう、エレンと対面したロブ。

自分との無理な関係を強いてしまったと謝るロブに、エレンは怒って……。

ミアが顎で指図したので、俺はゆっくりと部屋に足を踏み入れた。

そこは小さめのホールのような場所で、本棚やテーブルが、空間の中に無造作に置いてある。

談話室とあるくらいだから、自由に寛いだり出来るようになっているみたいだ。


部屋の奥には大きな掃き出しの窓があって、中庭に面していた。

こじんまりとした庭はしかし手入れされていて、春を目前に、草花が今にも息を吹き返そうとしている。


エレンはその大きな窓の前で、床に座って外を見ていた。

その姿が、テレサの話の中にいた彼女と重なる。

俺たちが入って来たのに気付くと、エレンは振り返った。


「ありがとう、ミア」

「無理言って、ごめんね」


エレンはこちらを見ていたけど、それは俺ではなくキツネのほうだったろう。

ミアは軽く手を上げると、腕を組んでドアに寄り掛かった。

どうやら、そこで待機するつもりらしい。


1対1で話を出来ると思っていたけど、そのあては外れたみたいだった。

でも、それも当然だろう。


「ねえミア、ワガママついでにもうひとついい?」

「悪いけど、外してくれる?」


エレンの言葉に、キツネは明らかに動揺していた。

組んでいた腕をほどき、壁を離れる。


「エレン、だって……」

「規則だっていうのは分かってるの」

「でも、お願い」


「テレサ先生は、わたしのことを信じて彼を開放してくれたわ」

「あなたも、わたしを信じてくれる?」

「ねえ、ミア……」


ミアは考えあぐねているらしかった。

それでも最後には、エレンを信じようと思ったみたいだ。


何かしやがったら、ぶっ殺してやるからな。

押し殺した声でそう凄むと、ドアの向こうに消えた。

そして部屋には、俺とエレンだけになった。


「わたしたち、約束したと思ってた」

「もう会わないって」


こんにちはとか久しぶりとか、期待していたようなことはもちろん言ってもらえなかった。

俺を拒絶するかのような彼女の言葉には、そのつもりをしていたはずだけどやっぱり動揺した。


「……近くに、行ってもいい?」


ドアの前で、俺はおずおずと尋ねた。

エレンは、何も言わなかった。


ここからエレンのいる窓際までは、けっこう距離がある。

このまま話し始めるのもどうかと思って、俺はそろそろと彼女の方に近付いた。

彼女は近付くなとも近付いていいとも言わなかったので、とりあえずは距離を取って床に座った。


「インタビューを受けたのを、覚えてる?」

「このシェルターで」


エレンは、ぴくりと動いた気がした。

しかし相変わらず俺の方を見ないで、ずっと庭に視線を留めている。


「じゃあ……知ったってわけでしょう?」

「わたしの、過去を」

「10年前、わたしがどうしてここへ来たかってことも」

「うん」


「それで……それで俺、きみに謝りたいと思った」

「俺はずっときみが好きで、きみも同じ気持ちでいてくれたんだとばかり思ってた」


「でもそれは、俺の思い込みだったのかなって」

「きみが俺を拒絶しないのをいいことに、関係を強いてたんじゃないかって思った」


「普通に考えたら、獣となんか付き合いたくないはずだもんな」

「きみにずっと嫌な思いをさせて、挙句には体まで求めて……」

「もう会いたくないって思われても、仕方ない」


「俺の顔だって見たくないだろうけど、このことだけは謝りたかった」

「ちゃんと面と向かって、言いたかったんだ」


「俺はきみに会ったことで救われたけど、俺は逆に苦しめただけだった」

「本当に、ごめん」

「ごめん、エレン……」


彼女に遮られることなく、俺は自分の思いを打ち明けることが出来た。

改めて言葉にしてみると、悲しかった。

自分が彼女と過ごして楽しいと感じていたからこそ、なおさらそうだった。


彼女にしてみれば、ライオンもオオカミも同じ獣でしかない。

あれだけ酷い目に遭った彼女に、どうして俺のことを好きでいてくれなんて言えるだろう。

ミアの言う通り、俺は横柄な獣だった。


「何、それ」

「何なのよ」


エレンの声は静かだった。

窓の外は、いつの間にか曇り始めていた。

クリーム色のユニフォームを着た草食獣が2匹、庭に干された洗濯物を取り入れている。


いつしかエレンは立ち上がり、窓を背に立っていた。

逆光の中に、彼女の姿が浮かび上がる。


「あなた、ずっとそんな風に思ってたの?」

「わたしが無理して、あなたと付き合ってたと思うの?」


「あなたのことが嫌いだったら、死んでもキスなんかしなかった」

「繋いできた手を振り払わずに、そのままなんかにはしなかったわ」


「笑いかけたり、出来るわけないじゃない」

「あなたは、獣なのよ?」

「好きでもなかったら、そんなこと、出来るわけなかったじゃない……」


彼女は両手を握り締め、絞り出すように言った。

声は湿り気を帯び、肩が小刻みに揺れている。


俺は、何も考えられなくなっていた。

さっきと同じ場所に座り込んだまま、エレンを見上げるだけだ。


「わたしが()()()に何をされたか、あなた知ってる?」

「服の下にどんな醜い体を隠しているか、想像出来る?」

「大切なものをなくして、今までどんな気持ちで生きてきたか、あなたに分かる!?」


いつしかエレンは、怒りのこもった目で俺を見ていた。

彼女の青い瞳は、今や嵐の海のように荒れていた。

俺は相変わらず何も言えずに、ただ彼女を見つめるしかなかった。


「……それでも、あなたは違ったのよ」

「自分でもどうかしてると思ったけど、踏み止まっていられなかった……」


「引き込まれるみたいに、どんどん好きになって」

「気付いたらもう、どうしようもなくなってた」


「あなたなら、あなたになら分かってもらえるんじゃないかって思ってたの」

「わたしの過去を知っても、受け入れてくれるんじゃないかって」

「でも、だめだった……」


ぼろぼろと涙を流しながらエレンが話すのを聞いて、俺はいたたまれなくなった。

エレン、俺は……と口を挟もうとしたけど、彼女はそれを許さない。


「だめだったのはわたしだったのよ、ロブ」

「最後の最後には、勇気を持てなかった」

「あなたに全てをさらけ出すのが、本当に怖くなったの」


「汚れたわたしを知って、あなたが眉をひそめるのを見たくなかった」

「繋いでいた手を離して、わたしから離れていくのに耐えられなかった」


「だから、わたしから離れたのよ」

「その方があなたのためだって、自分にも嘘を吐いた」

「そうやって、あなたから逃げたの」


「あれが、あんなことをするのが最良の方法だったなんて思ってない……」

「だけど、どうしようもなかったの」


「ハンナのためには、何だってやってあげたかった」

「その後に、何を背負うことになるか分かっていても……」


俺にその資格がないことは、痛いほどに分かってる。

それでも俺は、泣くのを止められなかった。


やっと床から腰を上げて、エレンに歩み寄る。

両手を広げて、彼女を抱き締めた。


俺の腕の中で肩を震わせていた彼女は、やがて大きな声を上げる。

それはさながら、獣の咆哮のようだった。

獣に虐げられたエレンの、悲しい咆哮だった。


部屋の外には、ミアがいるはずだった。

それでも、部屋の中に飛び込んで来る者は誰もいなかった。

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