ライムのアドバイス
夏休み明け、ロブはライムとノヴフェストの出し物の準備をしていた。
エレンとの関係についてライムから、「ぐいぐいと迫ってみては」とアドバイスを受けたロブは……。
エレンに対して不安を覚えた時もあったけど、今ではそれほど気にすることでもなくなっていた。
夏休み明けはただでさえ慌ただしいし、11月のノヴフェストの準備もしなくちゃならない。
つまらないことで、あれこれ悩むのはもうおしまいにしよう。
ノヴフェストでは、今年もスワッグをやるつもりだ。
去年とは、束ねる植物の種類を少し変えることにした。
例年通り、材料はフラワー・ベアンハルトにお願いしてある。
今年も、エレンと回る楽しい学祭になるはずだった。
少なくとも俺は、そう信じていた。
*
「あー、やだぁ」
「けっこう肩凝りますね、これって」
部室でスワッグを作っていたライムは、うーんと大きく伸びをした。
エンケンの狭い部室内は、スワッグに使う針葉樹の香りでいっぱいだ。
「疲れた?」
「休憩してくれていいよ」
俺は彼女を気遣ったつもりだった。
しかし、ライムは頬を膨らませて反論する。
「何それー」
「先輩だってやってるんだから、あたしだってちゃんとやるよ!」
「そう? ありがと……」
最近のライムは、なぜか俺に冷たい。
いや、冷たいっていうのとは、ちょっと違う気もするんだよな……。
「……エレンさんて人」
「え?」
彼女の口からエレンの名が出た時には、さすがに驚いた。
束ねようとしていた葉を、パラパラと床に落としてしまった。
「あの人って、先輩の彼女なの?」
「え、何、急に……」
少し前のことだった。
スワッグの打ち合わせで、ライムを連れてフラワー・ベアンハルトに行ったことがある。
その時に、デザインについてエレンに相談したのを思い出した。
「何、違うんですか?」
「……いや、違わない」
隠すこともないと思った。
エレンとの付き合いは、いつも堂々としたものにしておきたかった。
「ふーん、やっぱ彼女だったんだ」
「何で分かったの?」
それに関しては、疑問が残った。
エレンと話をしたのはほんの数分のことだ。
手を繋いだわけでもキスしたわけでもないのに、何でだ?
「あ、その顔」
「キスしたりしたわけでもないのに、何で分かるのって顔してる」
考えていたことをずばり言い当てられ、俺はスワッグに集中する振りをしてお茶を濁した。
ライムもまた、作業を再開する。
「先輩の考えることなんて、すぐ分かっちゃうよ」
「彼女のことだって、そうだよ」
「あの人の前だと、先輩、全然雰囲気違うもん」
「そうかな……」
「いつも通りだと思うけど」
そんなことないよーと、ライムはなおも食い下がった。
話をしながらも、手は休めない。
「先輩があの人にべったりなんでしょ?」
「まあ俺がっていうか……」
「そんなにべったりでもないけど」
エレンに対して、べったりと粘着質になってるとは思いたくない。
ただ、好きっていう気持ちが強い自覚はある。
「……もうしたの?」
「え?」
「だから、エッチ」
俺は、膨らんだ風船から空気が抜けるような息を吐き、もう少しで出来上がりそうになっていたスワッグを、また針葉樹の枝に戻す羽目になった。
再び床に散らばったそれらを拾い集めながら、俺はもごもごと言葉を返す。
「それについては、濁させて?」
「あー、まだっぽい!」
「あの人、けっこう年上ぽかったけど、結婚まではとか、そういうあれなの?」
「さあ、どうかな」
こんな返しをしたら、濁した意味ないだろ、俺……。
「ねえ、先輩としてはどうなの?」
「相手が許してくれるのを待つつもりなの?」
「あ、体を許すって意味だけど」
「そりゃ、無理矢理は嫌だよ」
「きみだって、その気がないのに迫られても嫌だろ?」
俺の問いに、彼女はすぐには答えなかった。
黙々と手を動かしながら、目を伏せるようにしている。
「もしあたしが、エレンさんなら」
「むしろ先輩がグイグイ来てくれた方が嬉しいな」
「メスって、押しまくられて流されるのも嫌いじゃないんだよ?」
「相手がほんとに好きな相手なら……」
そこで再び、ライムは俺の目を見た。
鳶色の瞳は、少し潤んでいるように光っていた。
*
「ロブ、いらっしゃい」
数日後の晩のこと。
俺は、大学の帰りにエレンの部屋に寄った。
ラフなワンピースに身を包んだ彼女は、にこやかに俺を迎えてくれた。
「学祭の準備は順調?」
「いつもこんな遅くまでやってるの?」
壁掛けの時計は、8時半を回っている。
俺をソファに座らせ、エレンはコーヒーを淹れている。
初めて会った時に用意してくれた、蜂蜜入りのコーヒーだ。
TVでは、古いホラー映画をやっていた。
ソファ前に置かれたテーブルには、ポップコーンの入ったボウルもある。
薄暗くした部屋で、ポップコーンをお供にホラー映画を見る彼女を想像すると和んだ。
「これ、何か見始めたら止められなくなっちゃって」
「別に、怖いってわけじゃないんだけどね」
言い訳をするような口調でそう言いながら、エレンは俺の隣に腰を下ろした。
マグカップを両手で包み、少し前のめりになってTVを見ている。
この映画は、俺も前にTVで見たことがある。
街にゾンビが発生するというありきたりなストーリーで、ラストもそんなに面白くない。
もちろん、今日が初見だろうエレンには黙っておく。
「!!」
いかにも何かが出て来そうな扉から、やっぱり奇声を発してゾンビが現れた。
お約束の展開なのに、エレンはびくっと体を震わせている。
いつの間にか、俺たちはぴったりとくっ付いて座っていた。
「全部見て言うのも何だけど、そんなに面白くなかったかも……」
「それなりには、楽しめたけどね」
1時間後、映画を見終わったエレンはTVを消した。
一緒につまんだポップコーンは、ボウルの底にいくつかが残るばかり。
空になったマグカップをトレーに載せ、エレンはキッチンに向かうために立ち上がろうとしていた。
その刹那、俺の脳裏にライムの言葉が浮かんだ。
ソファから腰を浮かしかけた彼女の腕を掴み、ゆっくりと引き寄せる。
俺の隣に腰を下ろした彼女が何? と言い終わる前に、キスをした。
思えば、俺からするのは初めてだった気がする。
「ん、んふ」
突然のことで驚いたのか、エレンは少し声を漏らした。
俺は片手で彼女の腕を掴み、ソファを背にした彼女に覆いかぶさった。
自由なもう片方の手をそっと顔に触れさせると、エレンの頬は、柔らかく滑らかだった。
頬から耳、髪の毛、首筋と、キスをしながら手を移動させていく。
エレンは、俺にされるがままに身を任せていた。
俺の手は、もはや俺自身の意識を離れて勝手に動く気さえする。
ごつごつした手の甲でエレンの首筋を撫でたかと思うと、肩からその下、胸に触れるかという危ういエリアに進んだ。
エレンの体が、ぴくりと動く。
しかし彼女が抵抗しないのをいいことに、俺の手はさらに先へと進む。
胸には触れず、今度は腰のラインへ。
撫でるように過ぎた先には、ワンピースの裾がある。
そこに滑り込めば、彼女の太ももに触れることが出来る。
俺の手は、そのことをよく知っているみたいだった。
エレンと付き合う前によく感じた、どくどくとした鼓動。
それを今、懐かしくもまた感じている。
ライムやフローリアンの言う通り、エレンは待っていたのかもしれない。
決意を固めた俺が、彼女の体を求めるのを。
そう思ったのも束の間、俺はそれが、身勝手な妄想だったことを知ることになる。
「ロブ」
俺の手が、ちょうどワンピースの裾を持ち上げようとした時だったと思う。
そこで初めて、エレンは抵抗を見せた。
手の平を俺の胸に当て、押し留めている。
「ごめん、ロブ……」
「今日はちょっと……だめな日なの」
彼女は、俺の顔を見なかった。
「あ、うん」
「ごめん」
どうしたらいいか分からなくなって、俺はそれしか言えなかった。
彼女から体を離すと、ソファの前に立った。
首の後ろは、しっとりと汗をかいて熱い。
ソファに座ったままのエレンは、俯いてじっとしていた。
きちんと座った膝の上に、緩く握った拳を載せている。
やがて、顔を上げて言った。
「遅くなるから、もう帰らなきゃ」
「明日も学校でしょ?」
いつも通りの年上らしい顔で、エレンは俺に向かって微笑んだ。
その顔は、彼女がよくやる、困ったようなあの笑顔だった。