疑惑
誕生日のサプライズもあり、エレンとの関係が上手くいっていると感じるロブ。
そんな彼に、フローリアンが申し訳なさそうに話したのは……。
あの晩、俺とエレンの間には結局何も起こらなかった。
俺はチャドのやつを追い掛けるのに忙しかったし、彼女も長旅でかなり疲れていたから無理もない。
エレンとは、次の週末にまた会うことになった。
今度は彼女の提案で、外にランチに行くことになったのだ。
美味しい店だから、ドタキャンのお詫びにぜひご馳走したいと言ってくれた。
そんなわけで、週の始めから俺は機嫌がよかった。
ブルーマンデーよ、さようならって感じだ。
最近、とても調子がいい。
いろんなことが、上手く回り始めた気がしていた。
先日過ぎたユリフェストは、ライムのおかげもあって大成功のうちに終わった。
今年も多肉の鉢植えを作ったけど、彼女は園芸好きというだけあって器用だった。
鉢が壊れるなんてハプニングも起こらなかったし、俺が熱中症になることもなかった。
エレンはやっぱり仕事で来られなかったけど、2年生最初のイベントはまずまずの出来だったと思う。
エレンとの関係を進めるにも、前ほどは焦らなくなっていた。
俺の誕生日の晩に駆けつけてくれた彼女を思うと、機会があればどうにでもなる気がしたからだった。
焦らなくても、来るべき時は来る。
そう遠くはない未来に……。
「ロブ、ちょっといいかな?」
そんな俺を知ってか、フローリアンは遠慮がちだった。
何でも、2匹きりで話したいことがあるらしい。
俺は深く考えず、授業の後にカフェテリアで落ち合うことにした。
*
「ロブ」
「最近のきみはとても充実してるって感じで、友達として僕も嬉しいんだ」
「だから、本当はこんな話をすべきじゃないのかもって、実は今も悩んでる……」
「こんな話って?」
「うーん、あのね」
フローリアンは、珍しく歯切れが悪かった。
本来の彼は、優しいけど言うべき時はビシッと言うタイプなのだ。
「ロブの誕生日に起きたこと、チャドから聞いたよ」
「例の彼女、トラブルで来られなかったんだよね?」
「そうなんだ、郊外で車が故障したんだって」
「怒らないでほしいんだけど……」
「それって、本当の話かな?」
「え?」
チャドの言うことは、訳の分からないことが多い。
何だって? って聞き返すのも、日常茶飯事だ。
ただ、今日は違う。
俺が聞き返している相手は、フローリアンなのだ。
「それ、どういうこと?」
「うん、あのね……」
「僕、見ちゃったんだよ」
「何を?」
「きみの彼女を」
「見たって、どこで?」
「街でさ」
「お昼頃だったかな……」
「彼女とデートしてた時にね」
俺は喉がからからになっているのにやっと気付き、自販機で買った紙コップのコーヒーを急いで飲んだ。
その向かいで、フローリアンは申し訳なさそうにしている。
「それ……本当?」
「うん」
「僕が見た人は、きっときみの彼女だと思う」
「人間ってさ、そうそういないよね?」
「まして青い目と黒髪、きみの彼女と同じ風貌の人間なんて」
「ロブ、僕はね、きみが誰を好きでもいいと思ってるよ?」
「誰にしろとかあの子は止めろとか、そんなこと言う気は全くないんだ」
「だけどやっぱり、気にはなっちゃう」
「彼女は人間だし、僕らとは違うところも多いし……」
「何が言いたいんだ?」
「はっきり言うと、きみが騙されてるんじゃないかって心配してる」
全く予想もしなかった答えが、予想もしなかった相手から飛び出してきた。
そのことで、俺はとてもびっくりしている。
「もちろん、異性と付き合う時には騙されることもあるよ」
「そうされることも、経験として必要だとも思う」
「だけど、何かおかしくない?」
俺は、友達の顔をまともに見られない。
恋愛経験豊富なフローリアンが言うことには、強い説得力があるからだ。
「メスがオスを騙してくる時ってさ、むしろ関係を進めていこうとすることが多いんだ」
「相手にべったり惚れ込んだところで、別のオスが出て来るとかね」
「でも彼女は、エレンはむしろ逆じゃない?」
「きみと付き合ってるけど、関係を進めたくないって気がする」
「そのくせ彼女は、きみが彼女を思うのと同じくらい、きみのことが好きなんだって気もする」
「だから、余計に解せないよ」
「彼女は、何となく分かってたんじゃないかな?」
「誕生日に部屋で食事をした後、きみとの間にどんなことが起こりそうなのかを」
「だからあの日、トラブルに遭ったって嘘を吐いた……」
「どんな理由かは分からない」
「だけど、彼女には何かあるように思えてならないんだ」
「つまり、きみと寝られない、何らかの理由ってことだけど」
言い返さなきゃいけない。
エレンのことを一番よく知っているのは、彼じゃなく俺だ。
百戦錬磨のフローリアンだって、彼女のことはよく知らないはずなんだ。
それなのに、どうしてだろう。
俺はただ黙って、フローリアンの話を聞いている。
彼の推理じみた話を、なるほど言われてみればと思いながら聞いている自分がいる。
脳裏に、エレンの姿が浮かんだ。
艶のある長い黒髪が、空気を含んでふんわりと漂う。
深い海のような瞳を細めて、俺に笑いかける。
俺の名前を呼ぶ、彼女の穏やかな声。
「彼女のことを間接的にしか知らない僕が、何を言うんだって思うだろ?」
「それでも、きみに嫌われるのを覚悟でこんな話をしたのは、心配だからだよ」
「こういう言い方は、恩着せがましい気もするけどね」
フローリアンが帰った後も、俺はカフェテリアに残って考えていた。
考えれば考えるほど、彼の話は筋が通っていて正しいように思えてくる。
エレンは、俺のことを嫌っているわけじゃないと思う。
同時に、俺を騙そうとしているとも考えられない。
ただフローリアンの言う通り、彼女にはきっと何かがある。
あの瞳の中にひっそりと沈む、俺のまだ知らない何か。
ふと思い浮かべたエレンは、寂しそうな笑顔を浮かべてそこに立っていた。