2月16日
サークルの用事でフラワー・ベアンハルトに寄ったロブ。
オーナーのベアンハルトは、何やら意味深な独り言を口にする。
彼の言葉から、来たる2月16日は特別な日であることが分かって……。
新しい年が明けて、早くも2か月目を迎えようとしている。
2月は寒く、忙しい月になりそうな予感がした。
この前冬休みだったのに、そうこうしているうちに進級前の春休みがやって来る。
義務教育ではないから、2年生になれるかどうかはみんなに保証されていることじゃない。
チャドなどがいい例で、進級のための単位がギリギリな彼は、レポート提出や補講に奔走していた。
エリオットさんは、次の春にはめでたく4年生になることが決まった。
大学生最後の年は、いよいよ就職活動も本格化する。
エリオットさんは、一足先にエンケンを卒業することになった。
追い出しコンパと称した会は、年内にやった。
コンパなんていっても全然賑やかなものではなく、結果的にサシでの飲み会になってしまった。
メンバーが俺しかいないので、それも仕方がないんだけど。
酔ったエリオットさんは俺に感謝して泣き、エンケンの望み薄な未来を悲観してまた泣いた。
酔い潰れた上に道端でゲロまで吐いて、彼が住む学生寮まで連れて帰るのに苦労した。
結局それも、今ではいい思い出の一つになってしまっている。
4年生になっても部室に顔を出すとは言っていたけど、これからのエンケンをメインで引っ張っていくのは俺だ。
この研究会の未来を明るく照らしてやれる自信はほぼないけど、やれるだけはやるしかない。
2月の始め、エンケンの幹部引き継ぎを伝えるためにフラワー・ベアンハルトに顔を出した。
エレンとプライベートで付き合うようになってからは、ここへ来る回数も減ってしまっていた。
「やあ、ロブくん」
「しばらく見なかったねえ」
オーナーと久々に世間話をするのは楽しかった。
ベアンハルトさんは相変わらず大きく優しくて、のっそりとしていた。
「エリオットくんも、もう4年生になるんだね」
「月日が経つのは早いねえ」
ベアンハルトさんの視線の先では、エレンが何やら作業をしていた。
忙しそうに見えたので、敢えてこちらに呼ぶことはしなかった。
「ああ、そういえば」
「2月16日は忙しいなあ、困ったなあ」
独り言のように話し始めたオーナーに、俺はきょとんとした。
そんな俺を放ったらかしにして、彼の独り言はなおも続く。
「誰かさんの誕生日なんだけどなあ」
「誰か、お祝いしてあげてくれるかなあ」
そう言いながら、グリズリーのオーナーはちらちらとエレンの方を見ている。
事情を飲み込めずになおもぽかんとしている俺に業を煮やしたのか、彼の独り言はかなり直接的なものになった。
「あー、2月何日にはエレンの誕生日があるんだよなあ」
「今年はその日に限って、私たちは用事があるんだよなあ」
「あーあ、彼女には悪いことをしたなあ」
「もしかして、2月16日ってエレンの誕生日なんですか?」
「そうっ、そうなんだよ!」
「ロブくん、よく知ってるね!」
ベアンハルトさんは急に前のめりになって、ぐいぐいと俺に迫る。
全体的に大きいものだから、近くに寄られると圧がすごい。
「私と妻はちょうど予定が入ってしまっていてね」
「きみは彼女と仲がいいから、よければ一緒にお祝いしてやってもらえないかな?」
思い返せば、彼は俺とエレンが仲良くすることに賛成みたいだった。
ベアンハルトさんが、俺たちの関係についてどこまで知っているかは分からない。
何にしても俺は、エレンの誕生日を祝ってもいいやつというポジションにいるみたいではある。
誕生日を祝うなんて、カップルの醍醐味じゃないか。
もちろん、俺は快くOKを出した。
*
「やだ、ベアンハルトさんに頼まれたの?」
誕生日を一緒に過ごさないかと俺が提案した時、エレンは真っ先にそう言った。
「やだ」という、ここではほとんど意味のない言葉に、ちょっぴり傷ついている自分がいる。
「いや、頼まれたわけじゃないよ」
「偶然、きみの誕生日が近いって聞いたから」
俺はそう濁したが、エレンは全部分かっているような気もした。
ちょっと困ったような顔をして、ふうっと息を吐く。
「ベアンハルトさんって、とってもマメなの」
「毎年わたしの誕生日には、リサがケーキを焼いてくれてお祝いしてくれるのよね」
「今年は、ちょうど遠方で友達の結婚式があるっていうから、フェードアウトするのにちょうどいいと思ってたの」
「わたしももういい年だし、お祝いっていうのも何だか恥ずかしくて」
これは、雲行きが怪しくなってきた。
彼女は誕生日なんかもういいと思っているけど、俺はむしろ、祝いたい気持ちでいっぱいなんだ。
「でも、あの」
「エレンが嫌じゃないなら、俺は一緒に祝いたいな……っていうか」
「もし、本当に嫌じゃなければ」
「それは……嫌ってことはないわよ」
「いいの?」
彼女の折れそうな気配に、俺は大きくうんうんと頷いた。
エレンは青い目を細めて笑う。
「じゃあ、ケーキを買って来てくれる?」
「わたしが何か食事を作るから、一緒にお祝いしてもらおうかな」
「分かった」
2月は寒くて、陰鬱としたシーズンだ。
しかしそれも、去年までのこと。
2週間後に迫った彼女の誕生日のため、俺はあれこれと準備が必要になった。
何て楽しくて、何て充実した時間だろう。
こんなに意味のある2月を、俺は今まで過ごしたことがない。