きみもそう思ってる?
エレンを部屋に送って以来、ネガティブな考えが抜けないロブ。
もしかして、彼女は俺が嫌いなんじゃないだろうか?
そんな考えが、頭の中を巡っている……。
珍しく、バスタブに湯を張った。
風呂に浸かって考え事をしたくて、温度はぬるめに。
バスタブに体を沈めると、自然にふーっと溜息が出る。
両手で湯をすくい、それで顔を洗う。
俺は、考えていた。
熱を出したエレンを、部屋まで送って行った日のことだ。
獣に体を見られるのが嫌なの。
分かるでしょ?
短いあの言葉の中に、言葉以上のものがぎゅうぎゅうに詰まっている気がした。
思い返せば、彼女の傍らには、いつもそんな雰囲気があった。
シシーとの一件で、彼女が口にした言葉だってそうだ。
自分が不当な扱いを受けていることは知っていても、それを自分自身で見て見ぬ振りをするしかなかった……。
今までずっと、そうだったっていうのか?
エレンは一体どれだけ、そんな場面に晒されてきたんだろう。
そうやって彼女は、今までずっと生きてきたんだろうか?
考えるのは怖いけど、もしかしたら、エレンは俺のことが嫌いなんじゃないかな。
俺というより、獣全体に対して嫌悪感を持ってるんじゃないだろうか。
あの日以来、そんな考えが頭の中をぐるぐると回っている。
俺を助けたのは単なる親切心からで、ここまで関係が続くとは思ってなかったとか?
電話番号も、嫌々教えてくれたとか?
あの個展の晩、俺が抱き締めたのも本当は迷惑だったとか?
ネガティブな思いにまとわりつかれてるなんて、我ながら情けない。
ただ、どうしても拭い去ることの出来ない考えでもあった。
今までが上手くいっていたと感じていただけに、なおさらだった。
俺と一緒にいる時の彼女は、自分で言うのも何だけど楽しそうだった。
よく笑うし、たくさん話もした。
それが、エレンの本心だと信じたい。
その一方で、誰かが囁く。
それは、自分に自信がない俺自身の声だ。
何といっても、彼女は俺よりずっと年上で大人だ。
そこに気持ちがなかったとしても、そうであるように振舞うことは造作もないはず。
俺は耳の先だけを水面に残し、ざぶっと湯船に沈んだ。
目をつぶると真っ暗で、ゴーッという自分の中の音を感じるだけになった。
お前は汚い獣だ。
もう名前も思い出せないあの子が言うのが聞こえる。
お前は汚い、お前らは汚い。
汚い、汚い、汚い、汚い。
エレン。
きみも、俺をそんな風に思ってる?
「ぶはっ!」
はあはあと肩で息をしていると、濡れそぼっている自分が馬鹿みたいに思えた。
こんな時でも、俺は彼女の声を聞きたいと思ってる。
リビングの方で、スマホが鳴るのが聞こえた。
俺は慌ててバスタブから飛び出すと腰にタオルを巻いて、相手が誰かも確認せずに電話に出た。
『もしもし』
『今、よかった?』
エレンを部屋に送ったのは、もう10日以上も前になる。
あの日から、俺たちは連絡を取り合っていなかった。
たったそれだけだったのに、懐かしくて仕方ない彼女の声。
「うん、大丈夫」
腰にバスタオル1枚でいることが、急に恥ずかしくなった。
ビデオ通話でもないんだから、気にすることはないだろうに。
『あのね、あの、この前はありがとう』
「具合はもういいの?」
『うん、お陰様でね』
『それでね、明後日の土曜日って空いてる?』
「土曜? うん、空いてるけど」
『だったら、この前のお礼も兼ねてなんだけど、何か食べに行かない?』
『もし、嫌じゃなかったら』
オスって、本当に単純だ。
いや、もしかして、こんなに単純なのは俺だけなのかな。
彼女に食事に誘われただけで、こんなにも嬉しい気持ちでいっぱいになっている。
さっきまで、あれこれ悩んでいたのはどこの誰だよ。
『ロブ? 聞いてる?』
「あ、ごめん!」
「うん、そうしよう」
『よかった』
『じゃあ、また土曜日にね』
『楽しみにしてるから……』
俺も、すごく楽しみにしてるから!
そう言えばよかったのに。
結局、俺は例によって何も言えずに電話を切った。
しばらくは部屋でぼんやりとして、彼女に誘われたという事実を噛み締めていた。
そしてつい、浮かれてガッツポーズをしてしまう。
その拍子に、腰のタオルが床に落ちた。